目的はフランクのヴァイオリンソナタ
この曲のライブはこの日で多分4回目
最初はチョン・キョンファ
これは良かった 特に3楽章の夢見心地な雰囲気は今も覚えている
2回目は ヂュメイ
ラ・フォル・ジュルネでの演奏
しっかり手のうちに入って職人と芸術家の混在した演奏
3回目はやはりラ・フォル・ジュルネで一昨年
日本人の演奏だったがちょっとピアニストの演奏が
自分の好みでは無かった
毎月送られる宗次ホールの案内
前々からチェックを入れて
時間ができたので土日の安いJRを使って名古屋へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/50/e9bd772464e374a45a513a59b057fe11.jpg)
このヴァイオリニストの事は知らない
ただ曲に興味があっただけで、フォーレも好きな方なので
この二つを楽しみに出かけた
さて演奏は
チューニングの時からよく鳴るヴァイオリン印象
解説パンフレットには1727年製のストラディバリウスとある
演奏時もよく鳴った
高い音も以前宗次ホールで聞いたヴァイオリンのヒステリックな音とは
全然違った
中音も余裕のある音
お目当てのフランクのソナタ
一言で言えば若々しい演奏
ピアニストもヴァイオリニストもまだ若い
聞かせどころを掴んだ職人という演奏よりは
勢いに任せた情熱的な演奏
本当はもう少しきめ細やかなニュアンスも欲しかったし
せっかくの第3楽章の瞑想的な部分も音楽の進行以外の
感慨は無かった
そこでふと浮かんだのが演歌の歌手の歌い込んでいるパフォーマンスの事
彼ら、彼女らは同じ曲を何千回と歌っている
そしてそこから演奏される音楽はまさに歌い手のものとなっている
細かな感情の揺れ、間の取り方、それは良い意味で効果的であり
芸術家というより職人のなせる技
若い二人の演奏はそれぞれよく練習はされているかもしれないが
まだその域には達していない
といっても今が悪いというのではなく
今は今しかできない演奏なので、それはそれで良いとも思うが
それでももっと弾き込んで自分のものになっている状態にものを
もう一度聴いてみたいものだと思う
フォーレのヴァイオリンソナタは
晩年の室内楽の渋いものとは違って
フォーレにもエネルギーに満ちた若い時代があったのだ
と感じさせる曲
何となく最初の楽章のメロディで統一されているような気もしたが
最近の記憶力は全然自信がない
最初にアンコール曲は何だったかな
と気になって仕方が無かった
聴いた事は有る、好きな曲だ、なのに、、、
ラフマニノフのヴォカリーズ?
いや違う、、、、
もやもやしていたが
答えは壁際に貼ってあった
「フォーレ 夢のあとに」
そうだ、そうだったんだ
バーバラ・ストライザンドの「クラシカル バーバラ」の中にあった曲だ
という事で久しぶりに集中して聴いた音楽
いつもとは違う疲れ方をしたせいか久しぶりに深く寝た感じ
来月の宗次ホールはベートーヴェンの14番の弦楽四重奏曲と
シューベルトの「死と乙女」のプログラムを今のところ予定している
ところで、昨日の演奏会のピアニスト
楽譜は紙製ではなくiPadを利用していた
ページをめくる人がいなくてもできるところが便利
(一応予備で後ろには女性が待機していたが)
便利な時代になったものだ
この曲のライブはこの日で多分4回目
最初はチョン・キョンファ
これは良かった 特に3楽章の夢見心地な雰囲気は今も覚えている
2回目は ヂュメイ
ラ・フォル・ジュルネでの演奏
しっかり手のうちに入って職人と芸術家の混在した演奏
3回目はやはりラ・フォル・ジュルネで一昨年
日本人の演奏だったがちょっとピアニストの演奏が
自分の好みでは無かった
毎月送られる宗次ホールの案内
前々からチェックを入れて
時間ができたので土日の安いJRを使って名古屋へ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/50/e9bd772464e374a45a513a59b057fe11.jpg)
このヴァイオリニストの事は知らない
ただ曲に興味があっただけで、フォーレも好きな方なので
この二つを楽しみに出かけた
さて演奏は
チューニングの時からよく鳴るヴァイオリン印象
解説パンフレットには1727年製のストラディバリウスとある
演奏時もよく鳴った
高い音も以前宗次ホールで聞いたヴァイオリンのヒステリックな音とは
全然違った
中音も余裕のある音
お目当てのフランクのソナタ
一言で言えば若々しい演奏
ピアニストもヴァイオリニストもまだ若い
聞かせどころを掴んだ職人という演奏よりは
勢いに任せた情熱的な演奏
本当はもう少しきめ細やかなニュアンスも欲しかったし
せっかくの第3楽章の瞑想的な部分も音楽の進行以外の
感慨は無かった
そこでふと浮かんだのが演歌の歌手の歌い込んでいるパフォーマンスの事
彼ら、彼女らは同じ曲を何千回と歌っている
そしてそこから演奏される音楽はまさに歌い手のものとなっている
細かな感情の揺れ、間の取り方、それは良い意味で効果的であり
芸術家というより職人のなせる技
若い二人の演奏はそれぞれよく練習はされているかもしれないが
まだその域には達していない
といっても今が悪いというのではなく
今は今しかできない演奏なので、それはそれで良いとも思うが
それでももっと弾き込んで自分のものになっている状態にものを
もう一度聴いてみたいものだと思う
フォーレのヴァイオリンソナタは
晩年の室内楽の渋いものとは違って
フォーレにもエネルギーに満ちた若い時代があったのだ
と感じさせる曲
何となく最初の楽章のメロディで統一されているような気もしたが
最近の記憶力は全然自信がない
最初にアンコール曲は何だったかな
と気になって仕方が無かった
聴いた事は有る、好きな曲だ、なのに、、、
ラフマニノフのヴォカリーズ?
いや違う、、、、
もやもやしていたが
答えは壁際に貼ってあった
「フォーレ 夢のあとに」
そうだ、そうだったんだ
バーバラ・ストライザンドの「クラシカル バーバラ」の中にあった曲だ
という事で久しぶりに集中して聴いた音楽
いつもとは違う疲れ方をしたせいか久しぶりに深く寝た感じ
来月の宗次ホールはベートーヴェンの14番の弦楽四重奏曲と
シューベルトの「死と乙女」のプログラムを今のところ予定している
ところで、昨日の演奏会のピアニスト
楽譜は紙製ではなくiPadを利用していた
ページをめくる人がいなくてもできるところが便利
(一応予備で後ろには女性が待機していたが)
便利な時代になったものだ