パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

オリンピックの記憶

2014年02月26日 19時39分23秒 | あれこれ考えること
何年か経ってソチオリンピックの特集がされるとき
話題になるのは常識的にはメダリストに焦点が
当たりそうだが、もしかしてそれら以上に
取り上げられるのは浅田真央の振幅の激しかった
ドラマティックな展開かもしれない

どうもこれは日本だけのことではないらしく
各国でもそうらしい

ショートプログラムが終わった後
世界中の人から応援のメール・ツイッターの投稿があったという

しかし、結果的にフリープログラムでも3位の成績
前日との対比を除けばさほどのことではなさそう

いったい何故、浅田真央がそんなに騒がれるのだろう?

外国特派員協会の記者会見の様子が放送されたが
なるほど、そういうことか!
と思う点があった

人はどうしても好き嫌いがあるので
万人に受け入れられることは難しいが、
もっとも抵抗感なく受け入れられるのは子ども

子どもは無条件に愛情を持って受け入れられる
浅田真央は結局、多くの人にとって「子ども」
としての存在なのではないのか

日本人は小さな頃からの彼女を見ているから
真央ちゃんと自分の子どものように思ってるのは
不思議ではないが、どうやら外国人もそんな風に感じているのではないか

外国特派員協会の記者会見を現場で見た
テレビ局スタッフがふと漏らした言葉
「いや~、癒されました」
これはあの森喜朗氏の配慮のないコメントに対する
彼女の気の利いた答えに対する評価ではない
多分、あの会見場にいた人が感じた正直な印象だったのではないだろうか

質問に真剣に答える表情、仕草は
大変な経験を積んだ女性というよりも
まだまだいろんな事をどんどん吸収して感じていきそうな可能性に満ちた
愛すべき女の子に見えて、それが無条件に心地よかったのではないかと思う

思えば浅田真央の欠点はそこにあったのかもしれない
キム・ヨナと比べると子どもすぎる
自分の立ち位置の正確な分析と今できることへの徹底的な追求
そして勝つための周到な計画と、ものすごい集中力
キム・ヨナのこうした姿は本当に素晴らしい

一方、浅田真央は
良い悪いを越えて幼い

しかし、人に感動を与えたのはこの幼いという点
いつかは生きるため、生活するためにたくましくならざるを得ないが
それでも人生の一時期、純粋に前だけ向いて努力することができる
そのことへの各人の思いが浅田真央に投影して見ていたのではないか

人間性は表情・外に現れる
浅田真央の誰にでも好かれる姿は(将来は分からないが)
子どもがまっすぐ伸びている心地良さなのかもしれない

そして、この子どもがどんな風に成長するか?
それはメダルとは関係ないところで興味深いことかもしれない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤヌコヴィッチ、チャウシェスク、マルコス、そして、、、

2014年02月25日 19時19分14秒 | あれこれ考えること
心配されたテロもなく無事終了したソチオリンピック
ところが隣国ウクライナは風雲急を告げる展開に向かっている
親ロシア系のヤヌコビッチ元大統領は実質上失脚
それどころかデモの人間を殺した容疑で逮捕状さえ出ているという
また別のニュースでは、市井の人々は困窮しているというのに、
ヤヌコビッチの豪華すぎる邸宅
(東京ドーム三〇個分)や不正蓄財が問題視されている

似たようなニュース昔聞いたことが有る
コマネチの国、ルーマニアが崩壊した時のこと
つまりチャウシェスク大統領がデモ隊によって
倒された時チャウシェスクの異常さ表す象徴としての
馬鹿でかい大統領府(邸宅だったかな?)があった

まだまだある、フィリピンのマルコス大統領も同じ
スイスの個人バンクだったかに不正蓄財された金融が
存在していたし、またイメルダ夫人には何十足の靴が
意味もなく保管されたり、、、

そしてあの国、北朝鮮も上層部は、やはり内緒で
不正に蓄財さしているようだ
餓死するかもしれない人が多いというのに

こうして眺めてみると、政権トップが贅を尽くしたり
国民に関心なく、不正蓄財をするのは国・時代とは関係無いようだ

つまりトップの人間はこういうことをおこしやすい
それも政権や利権のポジションが長く続くと!

心配なのは、もしかしたらトップになる人間には
こうしたえげつなさが必要なのかもしれない
ということ
いや、こんなふうなえげつない人間しか
トップになれないかもしれない

おそらく日本も例外ではない
江戸幕府を倒して民主主義の移行に尽くした人々も
(つまり政権幹部)、えげつなく多くの金額を懐に
したのではないか?
(広瀬隆氏の「持丸長者」には、
 明治初期の政権幹部の異様に多い収入の話が紹介されている)

政治家とは、残念ながら国民のためというより
人に認められたい欲求が多いとか、目立ちたがりとか
権力欲が強いとか、お金に執着心がある人のほうが
なりやすい職種のようだ

だとすると、政治家や経営者になれない平々凡々の庶民は
世間的に立派な人間として評価されなくても
なんら恥じることはないのかもしれない
(末は博士は大臣か、その後者は尊敬に値しない可能性があるということ)
悪いことをする勇気(?)がない、悪いことを考える知恵がない
こうした人間的な弱さ、正常を持つ庶民こそが
実は社会を支えているのだという気さえする

尊敬すべき人、
それは肩書ではなく、地位でもなく
当たり前の自然な感情を生活に活かすことの出来る人
庶民は偉くなれなくても、そのままで価値ある存在なのだ
(と思う)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交響曲第九番

2014年02月23日 20時03分41秒 | 音楽
吉田秀和氏はフルトヴェングラーが亡くなった時
ヨーロッパが終わった(だったかな?)と感じたらしいが
自分はマーラーの九番の交響曲を聴くと
ヨーロッパの世界の黄昏を感じてしまう

特に最初の楽章と、終楽章
(もっとも真ん中の楽章はそんなにいいと思わないし
 自分にとって退屈)
この曲は絵画的とは言わないが、小説的なストーリー仕立ての
音楽の印象を受ける
高校時代は、イケイケ!やれやれ、もっとやれ!
と第一楽章のクライマックス部分に拍手したが
いつの頃からか聞かなくなった

バーンスタインが来てこの九番の交響曲だけのプログラムを
聴きに行ったことがあったが、自分のコンディションが悪かったせいか
全然感動しなかったし、記憶に残っていない

とは言え、たまにユーチューブなどで聴いてみると
やっぱりそれなりの曲に思える

ところで九番の交響曲といえばベートーヴェンだが
自分にとって思い出深いのがブルックナーの九番
レコードショップでマーラーの巨人とブルックナーの九番の
試し聴きをして(その時はどちらの曲も全然知らなくて初めて耳にする音楽だった)
そこでブルックナーの不思議な響きに圧倒されてしまい
そこからブルックナー狂いが始まった

しかし、九番の交響曲は実演ではどうもいい経験をしたことがない
確か二度ほど聴いたことが有るはずだが
流れすぎて何も残らない感じ
(レコードで聴くと本当に浸ることができるのに)

最近は第3楽章の寒々とした
(クレンペラーの演奏は初めて聴いた時そんな気がした)
テーマを聴き比べるのが面白くて、いろんな指揮者のを聴いている

この九番はマーラーとそれと違って
ヨーロッパとか時代をあんまり意識することがない
ただ響き・音楽が有るだけ
それは何時の時代でも通用しそうな感じがするのは
自分がブルックナーが好きなだけの錯覚だろうか?

好きな演奏は、評判のシューリヒトではなく
クレンペラーのもの(特に第3楽章)
ドホナーニも案外好き
ショルティもイメージとは違って案外イケる

終楽章を録音したラトルは、うーーん
もう少し年令を重ねてから聴いてみたいかな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥居強右衛門と鈴木金七郎

2014年02月23日 15時31分15秒 | 徒然なるままに
先日の中日新聞三河版で紹介されていた講演会を聴きに行った
場所は自宅から歩いて10数分の富永の構造改善センター集会所
そして公演の題目は「鈴木金七郎について」


鈴木金七郎とは何者?
大半の人はそう思うだろうし、事実自分もその一人だった
ところがこれがなかなか興味深い人物
あの長篠の戦いの地元の英雄、鳥居強右衛門が岡崎に援軍を
要請に行った時、実は単独行動ではなく鈴木金七郎も同行したというのだ

この話を前の新城市教育長の小林芳春氏が
ベースとなる文献を丁寧に紹介しながら
話を進めていく


会場にはこの日の主役の鈴木金七郎の子孫の方もみえて
中日新聞で報道されたためか60人ほどの聴衆
地元新城市はもちろんのこと、豊川市、岡崎市から来られた方もいた

まずは、本題の鈴木金七郎の「長篠城救援の使者」に
3つの説があることが文献名を挙げながら解説
1)強右衛門単独説「三河物語」「信長記」「家忠日記増補」、、、
2)強右衛門・金七郎の二人説「長篠日記」「広祥院文書」「総見記」「四戦記大全」
3)強右衛門が先、金七郎は後の使者「武徳大成記」「四戦紀聞」

様々な可能性が考えられるが、明らかに鈴木金七郎と言う人物がいて
岡崎まで行ったことは確率が高い
ただ問題はそこから、
鳥居強右衛門は武田方に捕まり、例の英雄的な死を迎えたが
鈴木金七郎のその後についてはバッタリと情報が途切れている

長篠の戦いの二年後、地元白山神社のお祭りの席順には
上位を占めている資料があって、どうも生き延びているらしい
そしてずっと後の江戸時代、新城の俳人大田白雪の『続柳陰』には
「川上村 此村ヨリ鈴木金七出ル。奥平信昌ノ家士」との記述があり
彼の存在はそれなりに知られていた形跡がある

ただ、とにかく情報がない
有るのは子孫に代々伝わったなにかと
いろいろな想像力を駆使した資料の分析

ただ言えることは、生き延びたという事実と
鳥居強右衛門の忠臣ぶりとその劇的な死との対比

時代の雰囲気、求めるものが
鈴木金七郎の生き様とはかけ離れていたから
記録から無視され、記憶からほおむりさられることに
なったのではないか

生き残って生き恥をさらす
それは極めて恥ずかしいこと
こんな考え方は戦国時代も江戸時代も、
もしかしたらちょっと前の時代にもあったかもしれない
だからこそ、その時代の覇者も地元の人間も
そして身内さえも黙ってしまったのではないか
と想像される

生き延びることは、何も恥ずかしくないことだ
生物として当然の欲求だし
生き延びてこそ達成できる使命も有るだろうに
そして何よりも家族は誰も身内の死を望んでなどいない

鈴木金七郎は生き延びた
彼を再評価するのではなく
彼のような生き方も楽に受け入れられる世の中にならないと
忠臣蔵が英雄視されるばかりでは(その他の英雄的な死を賛美するような風潮)
この国は危険な方向に突っ走ってしまわないか、とても心配

そうした意味で鈴木金七郎の生き方を考えるのは
今の人間にとって意味有ること、
多くの人に知ってもらいたいものだ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

源氏物語は漫画からスタート

2014年02月22日 19時40分12秒 | 徒然なるままに
少し前、テレビで前瀬戸内寂聴さんの
特別番組を流していた

この人は凄い
御歳90にもなるというのに全くの現役
頭の回転は速いし、宗教者と言っても
妙に分別くさいことは言わない
ただ心の動きに素直に従っているみたいで
なるほど若い女性が京都嵐山の瀬戸内寂聴さんの庵まで
説教を(お話を)聞きに来るのは分かる気がする

彼女は三島由紀夫を天才と崇めていた
残念ながら自分は三島由紀夫とは相性が良くない
何かの雑誌で三島由紀夫の原稿の写真を見た事があったが
ほとんど書き直しのないきれいな文字で書かれていた
それは、まるでモーツァルトの手書きの楽譜みたい
書き落とされた瞬間から完成されているような
そんな印象の残る原稿用紙だった

しかし、残念ながら三島由紀夫は自分と相性は良くない
いくら天才的な作品であっても、どこか人工的な感じ
作り物の感じが際立ってどうも受けつけられない部分がある

そういえば吉田秀和氏も三島由紀夫には同じようなことを
書いていた文章があった

この瀬戸内寂聴さんの番組で一番印象に残ったのは
源氏物語の話
かつて谷崎純一郎、円地文子が難解な原文の古文から
その時代のわかりやすい現代文に翻訳(?)したけれど
それらの文章でさえ現在はわかりづらくなっている
だから自分もあらたに源氏物語の現代文への翻訳に
取り組んだ

しかし、ある時、源氏物語の漫画があることを知って
読んでみたらこれがとてもわかりやすくて面白かった
だから自分が大学教授(だったかな?)を務めている
授業で、まずは漫画の源氏物語を読む(見る)ことを薦めた
と屈託なく話していた
漫画を見て、それから自分の(瀬戸内寂聴)の現代文の
源氏物語を読んで、最後に、本当に良いのは原文で読むこと
こうした発想の柔らかさは素晴らしい

それで自分もそうしようかな、と思いつつも、
女性用の漫画を見るのは(買ったり借りたりするのは)
少し恥ずかしい
というわけで図書館からは瀬戸内寂聴さんの現代文の
源氏物語をこの間借りてきた

ついでの話だが、あのテレビ番組で他に話に出てきたのが「蜻蛉日記」
これも読んでみると女の嫉妬が赤裸々に表されていて
ライバルの女性が失敗したりすると露骨に良い気味だ
というようなシーンがあって、人間ぽくて面白い
と紹介されていた

そんな話なのか?
それなら読んで見ようという気になったかもしれないが
僕らの時代の高校の古文の授業は最悪
ほとんど文法の話がメインで話の内容なんて二の次
あれじゃ古文は好きになれない

どこか教育が間違っていないか?
話が面白かったら、話のその先が知りたくなって
勝手に勉強するようにならないか?
(ならないかな?)

とりあえず、何にせよ、まずは楽しいということが大事
源氏物語は漫画からスタートは
本当に素晴らしいスタート方法かもしれない


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャンピオンズリーグとオリンピック

2014年02月21日 20時30分36秒 | あれこれ考えること
今週行われたスポーツイベント
ヨーロッパサッカーチャンピオンズリーグ決勝トーナメントと
冬季オリンピック

これらを見ていると不意に絶望感に襲われそうな気になってしまう

日本人はどれだけ努力しても
越えられない世界が存在するのではないか
そんなことを感じさせる選手がゴロゴロいるからだ

そして彼らの大半は才能だけでなく
半端じゃない努力もしている
だが基本的には身体能力・才能という天から与えられたものが
格段に違う

イブラヒモビッチのどんな場所からでもゴールする力は
多分永久に日本人では不可能だろうし
メッシのどんな狭いところでもナイフで切り裂くようなプレーは
とても今世紀中には日本人には出来そうにない
バロテッリもカカもそれ以外のそこそこ有名な選手全体が
日本人が努力すれば達することのできる位置より
ずっと上にいるように思えてしまう

アイススケートもスキーも、そしてフィギュアも
ある時世界に近づいたと思っても
最後のところでどうしても辿りつけない

だからといって自分の夢を捨てられない
ビッグマウスの本田はそう口にする
実は彼が一番自分の限界の悔しさを感じているのかもしれない

今できることをするしかない
この開き直りと努力は、もしかしていつか報われる時が
来るかもしれない

でもそれ以上の選手は依然と存在する現実を
また目にしてしまう

それでも、自棄になりそうになっても
できることをするしかない
そしてその努力はおそらくいちばん彼が望んだ
姿ではないかも知れないが、何がしらの精神的なご褒美を
手にすることができるかもしれない

しかし、世界にはどうやっても追いつけない人物
と言うのは存在するものだ
(彼らが幸せな人生を送ることができるかどうかは分からないが)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

判定競技は難しい(フィギュアスケート雑感)

2014年02月21日 19時39分21秒 | あれこれ考えること
今朝は少しばかりホッとしたというか、
残念だけれど、どん底からよく頑張った
と日本中の人が思ったのではないだろうか
浅田真央のフリーの演技

まずは良かった
あのままで終わると人生の敗者にもなってしまいそうで
勝負の結果を問わず、そちらのほうが心配だった

ところで韓国ではキム・ヨナの得点が低いと
抗議の声があがっているらしいが
確かに、あがっても不思議ではないかもしれない
と思うのが素人の感想

衣装、表情、音楽の選択、そしてなめらかな流れ
それはスポーツというより
どこかエンターテイメントに近い完成度
素晴らしい
本当にプロフェッショナルな戦いぶり

優勝したソトニコワは素人には分からないが
これまた印象としては、馬力があって
これはスポーツ選手と言った感じ
これはこれで魅力もある

ついでに言えば浅田真央もエンターテイメントよりは
スポーツ選手(アスリート)の方を向いた選手だったのかもしれない
3回転半をとぼうとするのは100メートル走で
10秒を切ろうとする執念と同じ種類かもしれない
勝つということに目標を定めればもう少し違った方法があったかもしれない

ただ、本人が自分だけが出来た技に対するこだわり
それができた時の特別の喜び
かつての体が軽かった時の
昔の自分を乗り越えようとする気持ちは
現在の自分の冷静な分析ができていないといえるかもしれないが
(年齢を重ねたら年齢に合わせて変化すべき?)
これはいい悪いを越えて個性みたいなものだから
仕方のないこと

そしてそこに判定という人間の主観が伴う競技ときている

最初の方の競技者の採点は少し厳し目になる
こうした傾向はモーグルでもあったようだ
(上村愛子がもう少しスタート順が遅かったら、、、)

いずれにしても、判定競技は難しい

それにしてもキム・ヨナのサバサバした姿は
敵ながらアッパレ
彼女はどのくらい深い経験をしてきたのか

日本人は単に感情的に反感を持つだけでなく
相手をリスペクトする意味で
彼女の凄さを再確認しなければいけないと思う

誰だってあの舞台に立つ選手は
辛い練習と極度のプレッシャーに耐えてきたのだから

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

監督、コーチの力(サッカーとフィギュアスケート)

2014年02月20日 20時10分57秒 | あれこれ考えること
ヨーロッパサッカー、チャンピオンズリーグの決勝トーナメント
今週行われた分は全てアウェイチームの勝利
確かに、バルサはシティよりもいい出来だったし
アトレティコはミランに勝っても当然の試合運び
バイエルンはえげつなく強い
パリ・サンジェルマンはイブラの毒気が相手チームのやる気を削ぐ

ここで気になったことといえば監督のこと
バイエルンのグラディオラはバルサの時も
素晴らしい成績を納めた
そしてバイエルンに来ても柔軟な、しかし力強いサッカーで
勝ち続けている
アトレティコもシメオネの現実的なサッカーで
チームをバルサ・レアルと並ぶ位置にまでしている

バルサやレアル、バイエルンは選手もポテンシャルが凄いので
勝って当然かも知れないが、それでもそれらのチームは
チームとして統一感のとれた戦いをしている
残念ながらミランはまだ個人の能力で何とかする傾向にとどまっている

やっぱり監督の力は大きい
それを感じたのはJリーグのお荷物といわれた
名古屋グランパスがヴェンゲル監督を迎えてら
びっくりするほど変化したこと
もちろんデュリックスとトーレスの補充はドンピシャだったが
そのリーズナブルの価格の選手を引っ張ってきたのはヴェンゲル

監督は選手の選択眼が必要ということ
そしてその選手の使い方

確かに同じ選手でも監督によって使い方はずいぶん変わる
自分が数年前まで少年サッカーのコーチをしていた時でさえ
同じメンバーでもたまにコーチを変えてチーム編成すると
ポジションや行うサッカーはずいぶん変わる

監督の仕事は選手を見る目
普段の練習の充実
そして選手間のモチベーションのアップと維持

モウリーニョがやはりいつもいい成績を収めるのは
マンチェスター・ユナイテッドのモイーズよりも
現時点ではるかに優れた監督の証拠
モイーズはイマジネーションが少なすぎる
ファーガソンがその時代時代に変化して柔軟なチーム作りをしたのに
今はゴリゴリ力任せっぽい
一時代昔に戻ったというより、モイーズはバルサとの戦いで
ファーガソンが受けた衝撃を感じ取れなかったと思える

監督は選手なみに柔軟な感受性が必要
その点でマンチェスター・ユナイテッドはもうしばらく苦労しそう

そこで香川に話を移すと、香川はこのチームの向かおうとする方向とは
残念ながらフィットしない事が予想される
香川は移籍すべきと思う
ザッケローニが香川にマンチェスター・ユナイテッドに移籍が決まった時
「おめでとう」というのは数年後の結果を出した時にとって置く
と言ったのは、こうしたことを予想したから

ところで急に話をサッカーからフィギュアスケートの話に
浅田真央は残念というか、ある程度予想できた
緊張、氷の状態、いろいろあるけれど最後は自分の問題
やっぱり一番の欠点の精神的な幼さが出てしまったのではないか
柔らかい人に好印象を与える表情は残念ながら勝負師の顔ではない

勝負師に徹するためにはコーチの力が必要だった
男子の金の羽生のコーチはキム・ヨナに金を与えたコーチだったというし
一頃の安藤美姫をステップアップさせたのもやはりコーチの力
そのコーチは全体をプロデュースするので音楽も練習方法も
プロの仕事ぶりを発揮するだろう

浅田真央は音楽の選択からイマイチ
ノクターンのあの曲の中でどうやって3回転半のような
スプリント系の技を上手くできるというのだろう
音楽に対して無関心すぎると思うのは独断か

とにかく結果として演技するのは、プレイするのは
コーチや監督ではないが、大きな影響を与えるのは
今まで上げた例から紛れも無い事実

浅田真央はもう少し勝負師のメンタリティーを
身につけるべきだったし
勝ちにこだわるコーチと組むべきだった

また話はサッカーに戻って日本代表監督ザッケローニ
一時期は連敗が重なって解任したほうが、、、
との意見も出たが、オランダ戦・ベルギー戦で持ち直した
代表監督は試す試合が組めないからたいへんだ
いつも勝たなければならない使命を負う
するとどうしても完成度の高い固定したメンバーを選んでしまいがちになる
つまり選手を試す余裕がないということ

しかしワールドカップ本番まで
そんなに時間はなくなってきた
ザッケローニ監督は今からどんな選手選考をするのだろう

闘莉王、大久保、川又は選ばれるか?

ガンバの宇佐美は運が無い、こんな時に全治8週間の怪我
内田は怪我が間に合うか、本当に回復できるか?

ザッケローニ監督には
やはり名監督であったと言われる手腕を発揮してもらいたいものだ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜は寝るもの

2014年02月19日 19時51分41秒 | 徒然なるままに
今日はソチオリンピックの女子フィギュアスケートのSPプログラム
きっと朝早く起きるか、夜通しで見るか、明日は寝不足の人が多くなりそう

自分の寝る時刻は、毎日0時を超えることはない
これは受験勉強に取りくんだ高校時代も同じ
何よりも寝ることが優先順位の一番だった
勉強しなければいけない思いよりも
睡魔には勝てなかった
思えばずいぶん根性なしだったが
遊ぶときでも夜には弱かった
飲み会とかその後の二次会でも
いつもの床につく時刻になると
視界に白いモノ、瞼をくっつける糊のようなもの
が現れて、早く目を閉じよと命令しているよう

というわけで、生まれてこの方夜には弱い

頑張って夜中(早朝)に見たのはワールドカップ位なもの
今度のブラジル大会も仕方ないと諦めて
夜中のライブ観戦となりそうだが
今日のフィギアはパス
夢の中を選択する

それにしても、こういう例外的な日を除いて
日本はどんどん夜型になって睡眠時間が少なくなっていくけど
それは一体どうなんだろう

東京は24時間バス(だったかな)
名古屋は終電を遅らせるとか試しにやってみるとか
そうすると経済効果がどれだけ、便利になるとか言われるが
はたして生物としての人間に対していいことなのだろうか?

田舎に住むと夜は暗い
季節になると虫や蛙の声が聞こえ
まるで闇が大きく呼吸しているように感じることがある

人間は夜行性動物ではなく昼行性動物
本当はお日様が昇る時刻に起きて
夜は闇の優しさに包まれる
それが一番なのだろうけど
今都会に住んでいる人にはきっと実感として感じられないだろうな
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リスペクトするのは、その努力に対して

2014年02月17日 20時00分13秒 | Weblog
努力すれば報われる
ということは、(欲する結果に対しては)
全ての人に与えられるものではない

金メダル、ノーベル賞、バロンドール、世界記録
それらを求めてどれだけの人が
どれだけの努力をしていることか

大半の人は努力しても報われないことをしている
といえるかもしれない
(そこで得た経験が後々役立って、人生においては
 結局努力が報われると感じられるようになったとしても)

テレビ局が大騒ぎしているオリンピック
そのライバル国、ライバル選手だって
日本選手と同じくらい努力をしているだろうし
それぞれの物語はあるに違いない

圧倒的な才能、実力差がある場合は別だが
勝利の女神は本当に気まぐれ
その時点の人間の判断では理不尽と思えることが多すぎる
(もっとも、人間が結果を予想できるということ自体が不遜ではあるけれど)
結局、「運」と言う一言で片付けられてしまうかもしれない

オリンピックでもサッカーの試合でも
相手をリスペクトすると言う言葉が多く使われる
だがそれは憧れからと言うよりは
おそらく技術を得るまで、また技術を維持するのに
どれだけの時間と努力がなされたかを
自らの体験から想像できるので
その努力に対してリスペクトするということなのだろう

カールルイスも有森裕子も
辛い練習に耐えてきた自分を褒めてあげたい
と言ったが、気持ち的にはこれと同じ
お互い頑張ったね!
とリスペクトしあう

そこには北朝鮮だろうが、イランだろうが、中国だろうが
関係ない世界のはずなのだが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする