パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ポール・マッカートニーとウィーン

2013年06月30日 08時22分43秒 | ポール・マッカートニー
都市の印象、例えば二度と訪れることのないような旅行地の場合
天気が良かったり悪かったりでその評価は随分と違ってくる

同様にフト目にしたもので、その都市のイメージを
決定づけてしまうようなことも少なくない
たとえそれが、単に個人の印象にすぎないとしても
自分にとって意味あるものは、結局は個人の記憶、思考の
中にしか存在しないのだから、
ある種の思い込みはその人自身のキャラクターに通じる

と、ややこしいことを理屈付けようとしているのは
自分にとってウィーンとポール・マッカートニーは縁がある様に思えるということ
それが偶然なのか、必然なのか
モーツァルトがプラハで歓迎されたようにポールもウィーンで
他の地区以上に愛されているのか?
と考えてしまったから

というのは、こんな看板を見つけたから

写真家であったリンダ・マッカートニーの作品展が開催されている
ということなのだろう
これはウィーンについた最初の日にシュテファン寺院の近くで見つけたもの

別のポスターもあった


何故これが気になったかといえば
実は37年前、自分がウィーンに来た時
ポール・マッカートニーはウィングスのツアーを行なっていて
たまたま偶然自分は野外のライブを体験することが出来たことがあるからだ

またポールが!ウィーンで!
その偶然に少し偶然以上のものを感じたということ

ザルツブルクが生誕の地であったにもかかわらず
モーツァルトはその地との相性が良くなく
ウィーンこそ、(最後はかわいそうな扱われ方をしたけれど)
モーツァルトにとって相思相愛の都市であった
と同じ事が、ポールとウィーンの間にも言えないか
と想像してしまった

つまりウィーン子はポールが好きなんじゃないのか?
と思ってしまったということ
モーツアルトを愛すると同じ感性でポールを
受け入れているんじゃないのか
根拠のない連想だけれど、こんなふうに考えることは楽しい
(誰の迷惑になるわけでもない)

そういえばポール以外にも
自分とワーグナーに関しても似た様なことがある(少し縁がある)

最初のヨーロッパの1976年は、バイロイト音楽祭が100周年の年
この時幸い自分はあの専用の祝祭歌劇場でトリスタンとイゾルデ、パルジファルを
見ることが出来たが、何十年ぶりのヨーロッパの今年は
ワーグナー生誕200年
それがどうしたと言えばそれまでだけれど
少しはワーグナーの音楽・周辺を辿ってみようか
と思うキッカケにはなっている

ということで
音楽の街、ウィーン
左利きのタレ目の天才音楽家ポールは
何かでつながっている
と考えたい自分がいたということ

ホント、自分以外の人にとってはどうでもいいことだろうな

自分では結構楽しんでいるけど
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とりあえずの国

2013年06月29日 21時24分31秒 | あれこれ考えること
前に行った時も感じたことを
今回も感じる事になった
ドイツと日本の比較

「かなわないな!」
何がかなわないか?
勿論日本の方が優っている部分もある
鉄道の時間の正確さ、人の親切なこと、自販機の便利なこと
しかし、それらを差し引いても根本的なところで
負けているような気がしてならない

その自然、森、きれいな草原、美味しそうなフルーツ、自転車の利用
路面電車と車、バスとの融合などなど
そこから感じられる全体的な印象として日本の現在は
皮層的な感じがしてならない

ドイツは時間がかかろうが、根本から徹底的に考え
我慢強く実行していく国
一方日本は結果をすぐに求める「とりあえずの国」

全ての問題に関しても、向かう時の態度は
「とりあえず」ではないのか
難しい理屈、面倒な理解に至る思考、そうしたものは
攻略本を読んでしまうかのように
飛ばされて即結果だけを求められる
そして、一人ひとりは自分は何をしたらよいかだけを
考えることになる

今回思いを新たのしたのが、野菜・フルーツのこと
町中できれいにディスプレイされた野菜・フルーツは本当に
美味しそうだった
朝食時に頂いたフルーツはしっかりと個性を感じさせて
なにやら植物の生命力さえ感じるものだった

オーガニック農法に関することでも
日本の感覚とヨーロッパ諸国とはその最初のところで
なにか違ってやしないか?
日本は高付加価値のため?
しかし、ヨーロッパはそうするのが当たり前
今ある自然を、食べ物を大事にしたい
そんな風に感じられる(根拠はないが、そう感じたということ)

話は飛ぶけれど、ヨーロッパに様々な個性的なチーズが存在するのは
あれだけ様々な牧草の生えているところに
牛が放牧されているからではないのか
チーズの香りは結局、牛の乳、つまるところ牛の餌となる
草の香りが大きく左右するのではないのか
(もっとたどれば土に行き着くけれど)

この広い大地には効率的に生産するために
化学肥料をばらまくなんてことはしなくても済んでいるのでは
あるいは、そういうことに関する嫌悪感がヨーロッパの国にはありはしないか

日本の食品は個性がなくて(癖がない)ただ食べやすい
という視点から評価される
しかし、ヨーロッパでは食べ物は個性があって当たり前
むしろそれを楽しむようにしなければ、、
と考え方が大きく異なる気がする

そしてこの日本のお化粧された考え方が
色んな所ではびこり、結局は日本の根本的な進歩を
妨げているような気がしてならない

日本に今大事なことは「とりあえず」の考えを
少し後退させること
時間がかかろうが大事なもの、ことは深く学び
個々の知識・判断力を向上させること

それは「個の確立」という言葉で表わされるかもしれない
だとしたら、37年前、若い自分が感じた必要性を
今も感じているということ

日本は少しも変わっていない
日本はこんなに表面的に変化するだけでいいのか
少し不安に思ってしまうのは杞憂だろうか
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コンフェデ杯準決勝 雑感

2013年06月28日 20時08分26秒 | サッカー
眠いながらも頑張って見た ブラジル 1-0 ウルグアイ
後半少しと延長戦とPK戦を見た スペイン 0-0 イタリア戦(PK7-6)

まずはブラジル対ウルグアイ戦の印象から
なかなか不思議な感じだった
一つはブラジルが一人ひとりがうまいと思えなかったこと
日本に対する時は懐の深さ、アイデア、パスの正確さ、
手がつけられないドリブル、プレーの緩急の変化が際立つのに、
パスミスはするは、ドリブルで仕掛けても抜け切れない
何か下手になっているような気さえした

勿論、そのようにウルグアイが守っていた
と言ってしまえばそれまでだが、個人個人の守備に関する
反応の高さ(速さ)は、ちょっと感動的

体に染み込んだ相手のプレーへの反応は
フィジカルによるだけというより、慣れからきているようで
日本人も慣れればある程度行けるのかも!とつい思ってしまう

しかし、ブラジルの現実的な勝ちへのしたたかさ
ゲーム全体を俯瞰して見る経験
やっぱり経験がものを言ったのか
日本がこれを真似ようにもまだまだ時間がかかるのだろうか

スペイン対イタリア戦は一転
両チームとも非常に技術が高い印象
特にイタリアの守備には何度もため息が出たくらいだ
ブロックが(2つのラインが)しっかり出来て、
しかも崩れず、ルーズボールに対しても反応が早い

確かにお国柄なのか、そうするのが当然というように
守りの形はできている
気合が入った時のイタリアの守りは正にカテナチオ

スペインはうまいなあ
柔らかなトラップと正確なパス
ちょっとイタリアと比べるとポカがありそうだけど
なんか楽しそう
お気に入りのイニエスタ、本当にうまいな

さてPK
最初のイタリアのキッカー
いきなりのチップキック
緊張感がある中であれを行ったのはすごいけど
ゲームの流れを変えるまでには行かなかった
(普通あの手のキックはゲーム全体の勝敗の流れを変えてしまうことが多い)
対するスペイン
先行のイタリアがどんどん決めていっても
正確なキックによるシュート
あれだけ疲れている中で平然とコースをついてのシュート
基礎的な秘術の高さ、メンタルの強さは
ランキング1位に納得
いや、この試合は面白かった
あと再放送があれば見なくては
(ブラジルの試合はあまり面白くなかったかな)

さて決勝
疲れていなければスペインが
日本でバルサがネイマールのいるサントスに行ったような
試合になりそうなのだが
ブラジルには地の利もあるしスケジュール上の有利さもある
そして現実的なブラジル人の対応力も馬鹿にできないし
結構地味な試合になりそうかな

自分としてはスペインがブラジルをコテンパタンにやっつけたほうが
ブラジルにとっても良いことのように思えるが
そんなんだったら大騒ぎになるんだろうな

でもやっぱり今のブラジルのセレソンって小粒な感じ
ダヴィド・ルイスは好きだけど

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やっぱり美しかったノイシュバンシュタイン

2013年06月27日 20時08分44秒 | 旅・旅行
6月14日は、前回行かなかったコース
余りにも定番、通俗的すぎるので気がひけたバスによる
ノイシュヴァンシュタインをめぐる旅

ミュンヘン中央駅付近からバスに乗る

流石に人気コース
時間前に多くの人が集まっている
そしていろんな言語が飛び交っている
自分たちは日本・中国・ロシア人の乗るバスに

最初の訪問地はリンダーホフ城
ルードヴィッヒⅡが完成したもの
バス停から10分ほど歩く
城には勝手に入るのではなく団体(国)毎に
中では日本語の音声も流れる

庭園の少し高くなった場所から城を眺める

集合時間まで余裕がなく余韻に浸る暇はない

次は家々にフレスコ画の描かれた小さな可愛らしい村 オーバーアマガウ



10年に一度「受難」の劇が上演されるとか
次は2020年
ここは食事とお土産タイム?

さていよいよお待ちかねノイシュバンシュタイン
バスの左手前方に突然(?)見え始めた時は
ちょっと感動

だが、バス駐車場から城までは結構歩かなくてはならない

馬車を使う人、シャトルバスを使う人、歩く人それぞれ
自分はシャトルバスを利用 往復2.6ユーロ

終点近くには絶好のビューポイント マリエン橋がある
しかし、その人の多いこと

皆が橋から城を撮っているが
橋が耐えられるか心配に思ったのは自分だけか?
だがそこから浮かんでいるように見える城の美しいこと

これには少し感動した
これは初めて上高地に着いて穂高連峰を見た時の感動に似ている
そして曇り空の中に幻想的なノイシュバンシュタインを見ると
ルードヴィッヒⅡの「美」にこだわりも納得できるような気にさえなった

ツアーは日本人が多かったせいもあり(10人程度)
二日間使わなかった日本語を話す機会があった
バスの隣に座られた方は山形から来られたおばあさん(?)
妹さんと一緒に、姪っ子さんのガイドでヨーロッパをあちこち回っているとか

それにしても、このコーズが何故人気あるのか理解できた
もう一度行きたいか?
と聴かれたら
「ヤー!」
と答えるだろう
季節を変えて訪れればまた違った印象を持つことだろう

それにしても、朝から微妙だった天候
結局降られずに傘を使わずに済んだのはありがたかった



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本田の言葉

2013年06月26日 20時23分51秒 | サッカー
今回のコンフェデレーションズカップは夜遅いだけでなく
自分がヨーロッパ旅行中だったので
見られたの最後のメキシコ戦だけ
しかも眠気眼で

いろんな方面からいろんな話が聞こえる
ザックの賞味期限だとか
メンバーの底上げが必要だとか
選手交代のまずさとか
勝負どころの把握ができていないとか、、、

でも、見てないから自分はなんとも言えない
ただメキシコ戦を見ただけでも
感想はいつもと同じところに行き着いてしまった

たまたま本田が自分の感じるところと同じ事言っていた

「今回はDFの個もクローズアップするべきやと思う。
相手は詰まった時に蹴るけどそれが収まってしまう。
完全にはめているつもりで蹴らせているのに、キー プされる。
逆にうちが苦し紛れのボールを入れた時はつぶされる。
そこは逆にキープしないといけない。
小さい体でも良い守備をやっている国はあるわけで、
僕らも練習でそういう能力を身につければ補える部分だと思う」

つまり相手が攻め込んできた時、とったボールを繋ごうとしても
相手の早いプレッシューがあるときにはうまく繋げないということ。
あるいはクリアしても、全部拾われるから依然としてリズムは
変わって行かないということ

ここの問題はずっとそう思っていた
イタリアとかスペインは落ち着いて前にボールを繋げてる
しかし、日本はバタバタするから相手もプレシャーの掛け甲斐があるというもの
日本の技術は高いといわれるが、こうした現実的な部分を見ていくと
果たしてそうなのかな?と思わざるをえない

そもそも何をもって技術が高いというのか?
そこのところの基準が曖昧なのではないのか

メキシコ人もイタリア人もブラジル人は勿論のこと
最後の正確なクロスやシュートは当たり前の世界
しかし、日本は一見チャンスは多いように見えるものの
最後の最後で雑になっている

そしてこういう正確さは残念ながらDFのポジションには要求されていないのか
問題視されていない
ここが問題!

ではどうやってステップアップしていくか?
クリアするところと繋ぐところをはっきりさせる
と言った単純なものではなく、日頃から意識して
プレスを掛けられても繋ぐ(正確なキック)ことができるようにする

試合は勿論Jリーグの全体でガチガチのプレスを
特にDF陣に掛けるようにする
(つまり高い位置での攻撃を相手側が行うということ)
この沢山の経験から知恵として繋ぐ技術を身に付けることができると思うのだが
どんなものだろう

ところで、どうもわからない選手が内田だ
スタメンで選ばれているが目立った活躍をするわけでもないし
(今まで代表戦でアシストって何点あるのか?)
逆にPKとかオウンゴールとかレッドカードとか
全てが本人のせいではないにしろ、マイナスの場面にやたら出てくる
この意味では運が無い
運が悪い選手は、残念ながらちょっと避けたいのが自分の考え

酒井宏樹はミスが多くても可能性を感じる
しかし、内田はクロスは相手にぶつけてばかりか
大きくハズレたり
メディアは彼のことは何故か悪く言わない

もっとも、プロの視点から見れば
内田の総合力は今のところライバルよりは優っている
ということになるかもしれないが
自分は今回も内田は最後の最後になってスタメンから外される
そんな気がしてならない

それにしても、本田の洞察力のある言葉
日本代表の問題と言うよりは日本サッカーの課題として
とりあげなくちゃいけないと思うのだけれど
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ベートーヴェンとモーツァルトのお墓を訪ねて

2013年06月25日 20時06分35秒 | 旅・旅行
6月18日 ウィーンでのこの日はまるでお墓参りの一日

ベートーヴェンの眠っているウィーンの中央墓地へは
U3で終点のSimmeringまで行って、そこで71番の路面電車に乗り換え
ZentralfriedhofのZweite Torで下車

門をくぐると案内がある

ところがどこがベートーヴェンのお墓か分からない

結局のところ大通りを真っ直ぐ200メートル歩けば
左手にmusikerという看板が出ていて容易に見つかるのだけれど
正直なところ、ちょっと苦労した

ベートーヴェンのお墓

いろんな印刷物で見られるおなじみのもの

37年前ここに来た時は本当に感動した
それは自分がベートーヴェンの心酔者だったためではない

彼の音楽が「見えないけれども確かにあるもの」
を自分に提示し
それがその後の自分の人生にとっても
重大な位置を占めるようになったのだが
とにかくそのキッカケをつくった人の眠るところ
37年前もそのキッカケがなければここには来なかった
そんな意味でやたらと感動した

今回はもう少し冷静に眺められた
そして静かに手を合わせた

彼の周りには、シューベルトの墓石

ブラームスの墓石


ベートーヴェンの脇を固めるように囲っている

彼らも自分のレベルとは随分違うがベートーヴェンがいなかったら
違った人生を送っていただろう
尊敬、畏敬の対象として近くに居たかった気持ちはわからないでもない

その後、次はモーツアルトの眠る聖マルクス墓地へ
来た路線を引き返し、途中で別のトラムに乗り換え、St.Marxで下車
5.6分歩くと入り口に

そまま緩やかな坂道を登って行くと左手にあった


かわいそうなモーツァルト
現在の名声とは全く反対の、信じられないような無関心に満ちた葬られ方
それはまるで意地悪な神様が、音楽史上最大の天才の秘密は明らかにしない
という意図があるかのよう

それにしても、今を生きている人間にとっては
モーツァルトを利用した?経済的な活動がもっとも大事なことのようで、
おみやげ屋、コンサート会場などのモーツァルトの扱いは
どこかしら音楽とは関係ないところで
動いてしまっている気がしないでもない

フルトヴェングラーのお墓、ブルックナーの眠る聖フローリアン修道院、ベートーヴェンのお墓、
そしてモーツァルトのお墓をめぐる、まるでお墓参りのような今回の旅
それは信心からではない

むしろこの何十年での自分の変化を確認するための旅
「見えないけれども確かにあるものがある」
と考えがちの自分の今の位置の再確認の旅

この意味では観光地を積極的に無駄なく訪れるというものではなかった
確かに帰ってからは、あそこに行っておけば良かった
と思わないこともない
だが、人はあれもこれも望むことは出来ない
自分は自分らしい選択をしたこの旅を、
久しぶりに自分自身に戻ることが出来た旅として
そしてまるで夢の中のような出来事として記憶に留めることだろう





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「上へ、上へ!」聖フローリアン修道院にて

2013年06月25日 16時36分47秒 | 旅・旅行
過去の記憶をたどる旅 5日目の6月16日 
ザルツブルクからウィーンに向かう途中リンツに立ち寄った

この街の外れにある聖フローリアン修道院は
ブルックナーがオルガニストとして活躍した場所ということだけでなく、
本人の希望でそのオルガンの下に棺が納められているところ
朝比奈隆の録音の中にもこの場所での演奏されたものがある

この旅はノイシュヴァンシュタインへのバス旅行を除けば
ほとんど日本人と接することがなく
リンツ駅に降りる日本人は見かけない

バスステーションから聖フローリアン行きに乗車
約30分ほどで到着
停車場から少し歩くとアルバムジャケットにも使われる修道院の姿が現れる


この場所の昔の記憶は、ただ壮麗なところだったというしかない
いったい昔は何を見てきたのだろう

中に入ると

圧倒的な表現意欲というよりは、壮麗でもどこか控えめの感じのスッキリした感じ

振り返ると

ブルックナーのオルガン
この下に彼は眠っている?

教会内は数人しかいなかった
ふとしたキッカケでおばあさんと話すことになった

「ブルックナーの棺が納められているのですよ」
「ああ、そう!どこからいらしたの?
 昨日結婚式があってまだ花が飾られているでしょう。」
「日本から」
「そんなに大きな声を出しちゃダメ。ここは神聖なところ、静かに。
 天井を見てご覧なさい、神様は偉いから上の方に登っていくように表現され、
 私達人間は下にいるのです」
そんなことを拙いドイツ語でやり取りした

やがておばあさんは教会から出て行って
そこにいるのは自分だけとなった

それから、この空間を体全体で感じるつもりで席に座った
その刹那、先ほどのおばあさんの言葉が頭に浮かんだ
神様は上の方に登っていくように、、、

そうか、それで9番のアダージョの冒頭、
どこまでも上昇するような旋律が生まれたのか

ブルックナーはこの最後の交響曲を
愛する神に捧げるつもりで作曲したとされる
なるほど、心情的な面だけでなく音階も上に上にと向かって、、、
そんな風に自分勝手に思い込んでいると
頭の中でその部分の音楽が鳴り始めた
どんどん上昇していく
天井の絵画もどんどん登っていくみたい

数分間、ボーッとしながら思い込みであったとしても、
奇跡のような充実した時間が過ぎた
まさにこの時間のためにここに来たのだ
と感じるまでの

あとの時間はおまけのようなもの
修道院近くの田舎の風景がよく見えるレストランに立ち寄りビールを


よく見るとグラスには目盛が記されている
ごまかさないためか、ドイツ的な真面目さがそうさせるのか

このレストランからの眺めはとても良い

のんびりとした田舎の風景が遠くまで見渡せる
この辺りの自然を満喫するための
散策の為のコースもあるらしい

予めこのことを知っていたなら
ここでの時間はもう少しとったかもしれない
だが帰りのバスの時間までには余裕が無い
少しばかり残念な気持ちを残しながら
聖フローリアンをあとにした
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「まだ、あった!」ウィーンで37年ぶりのコーヒーとケーキ

2013年06月24日 22時39分26秒 | 旅・旅行

その姿が目に入った時、思わず声が出た
「嘘!」
それはウィーンシュテファン寺院の近くの出来事

今回の37年ぶりのドイツ・オーストリアの旅は
単なる観光旅行というよりは、自分探しのようなニュアンスもある

訪れるコースは順番は違っても同じ場所
そこで昔感じたことを、今はどのように感じるのか
を確かめるために旅に出た

さてこの思わず「嘘!」と声が出た出来事といえば
ずっと記憶の中に鮮明に残っている喫茶店が目の前に現れたから

37年前、ユースホステルに泊まった自分はそこで知り合った仲間と
ウィーン随一の繁華街に来て、男同士で喫茶店に入った
そしてそこでコーヒーと上部に赤い薄いジェルのようなもので覆われた
少し酸っぱいケーキを頼んだ
コーヒーは飲み終わると底に粉が残るような濃い目の味だった

その店が「Aida」だった
オペラ座の近く、流石にオペラのタイトルの店名か!
でもドイツオペラじゃないよな!
そんな風に感じたのを覚えている

この店には確かもう一度来た記憶があるが
それがこの時より先だったのか後だったのかは覚えていないが
とにかく2回来たことには間違いない

それにしても、まさか今も店が存在しているとは
変化の激しい世の中で、まだ存在していてくれているとは
こうなれば何を於いても店内に入ることに
そしてあの時と同じようにコーヒーとケーキを注文


ただ少し変わっているかな
と思われたのが店員さんのこと
今回の店員さんはインド系お顔立ちをしていた
明らかにこの土地の顔つきではない

本当はこの土地の人の風貌であれば
「37年前、ここで同じようにコーヒーとケーキを頂いたのですよ」
と話しかけようとしたのだけれど
定員さんも若く、残念ながら話しかける機会は訪れなかった

同じ場所をあえて再び訪れる回想の旅
フルトヴェングラーのお墓、ブルックナーの聖フローリアン教会、
ベートーヴェンのお墓、シェーンブルン宮殿、ミュンヘンのノイエ・ピナコテーク
それらは意図的に目的を持ってその場所に向かったのだが
この「Aida」は期待していなかった分、感激した

コンディトライとマイスター称号を持つケーキの店で
美味しいはずのケーキも今回は少し自分には合わなかったけれど
それでも偶然のめぐり合わせに少し興奮した夜を迎えるのだった
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ムジークフェラインザール(楽友協会ホール)の音

2013年06月24日 19時31分56秒 | 旅・旅行
ニューイヤーコンサートでお馴染み
ウィーン楽友協会の黄金のホール
その音の(響きの)良さでは世界屈指のものとされるが
先日の37年ぶりのウィーンへの旅でその音を体験する機会を得た


最初は音楽は聞かないつもりでいた
なにしろ正装の服を持っていくのが面倒で、結局持参せず
ヨーロッパのメリハリの有る服の切り替えには
応えられないと思ったから

ところが、シュテファン寺院の近くだったかで
モーツァルトの生きていた時代の服装とかつらを被った青年が
月水金の8時半から、ムジークフェラインザールでコンサートが
あるからチケットを買わないか!と勧めてきた

聞くところによると服装は正装でなくても良いとのこと
ここで、グラっと来てしまった
ムジークフェラインザールと言えば音の良いホールとして有名だが
その音の実態はどんなものか?
この興味に負けてしまって、チケットお買い上げということに

さて8時ころに会場に入る

このコンサートは残念ながら音楽を聴くというより
旅の思い出の一つとしてのエンタメコンサート
だから自分がしたようにいたるところでは写真撮影が
しかも、演奏中にも、、、

音楽は聴いていない方が多いようで
プログラムもそういう人を想定してか
短めの曲をバラエティーに富んだ構成
(もっとも昔は音楽会はこんな感じのプログラムだったらしいが)

さて肝心の音は、どうだったか
まずすごく木管の音が綺麗に聞こえた
そして全体の音の柔らかなこと
ピッチが高め(?)のウィーンの弦の音も
決してヒステリックにならない、それどころかパートがうまく聞き取れる
おまけにホルンの音の圧倒的なふくよかさ

なるほど、ここで集中して聞くことが出来たら
それはそれで貴重な体験になるだろうことは
容易に想像できる

しかし、それにしても観客(?)は聴衆になっておらず
最後まで集中はできなかった
でも主催者のプログラムはなかなかの優れもの

魔笛の夜の女王のアリアから、パパゲーノの歌、それにパ、パ、パ
と歌うところまで盛り上げてお終いに「美しく青きドナウ」
最後の最後にラデツキー行進曲
指揮者は観客側を向いて拍手の参加を促し
大きな拍手、小さな拍手を大きな手振りで指示
観客はノリノリで楽しんだ
勿論自分も(こんな楽しみ方もあっていい)

ということで、まずまず満足の時間だった

でも本当は、シュタッツオパーで見かけた
トリスタンとイゾルデ
ウィーン滞在最終日に上演されるものだったから
行きたかったな!
というのが本当のところ
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ウィーン最後の一日は

2013年06月18日 19時54分39秒 | 旅・旅行
最初の計画通り中央墓地のベートーヴェンのお墓参り

その周りにはブラームス、シューベルトも並んでいる



モーッアルトは聖マルクス墓地に

かわいそうなモーッアルト
何処に埋葬されたか本当はわかっていない

ハイデルベルクもそうだったけど、ヨーロッパの墓地は森の中にあって、鳥の声が至る所で聞こえる

ベートーヴェンもマーラーもメシアンも鳥の声に魅了され、曲に取り入れたのは、解る様な気がする
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