パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

久しぶりに交響曲を通して聴いた

2024年12月20日 09時34分02秒 | 音楽

久しぶりに交響曲を一曲通して聴いた
CDではなくてレコードの方で(不調だったレコード再生は先日直った)
良い音悪い音というより自分は圧倒的にレコードの音のほうが好きだ
CDの音は録音スタジオできっちり余分な音は省かれている感じ
レコードの音はライブ会場で聴いている感じ
レコード再生は大音量も騒がしいというより音圧が違う

久しぶりに聴いたのはショスタコーヴィチの5番の交響曲(バーンスタイン指揮)


最近はオーケストラ曲より小編成の室内楽を聴くことが多くなっていた
まるで私小説とか独り言を聴くような感じで
大げさな人生観を語るような交響曲より
こうした音楽のほうが今の気分にフィットしていた

だが急にあれ(特に第3楽章)を聴いてみようかと言う気分になって
バーンスタイン指揮のニューヨークフィルのレコードを引っ張り出した

ロシアのウクライナ軍事侵攻以来ロシアの音楽家は
作曲家も演奏家も可愛そうな立場にある(知らず知らず避けているような)
彼らには罪はないが(ゲルギエフはプーチン支持で問題ありとされ
いろんなところで演奏拒否がなされている)
それで曲の良いものは良いと思い、久しぶりに手にしたのだった

この5番の生演奏はゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場管弦楽団で
名古屋で聴いたが、これはなかなか良かった
音色が繊細で第1楽章では雪がどんどん積もっていくようなイメージのところ
第3楽章の静謐な木管同士の会話
そして圧倒的なフィナーレ
爪楊枝のような指揮棒を駆使して丁寧に指揮したゲルギエフ
なんか質感が普通の演奏と違うな、、と感じたことを覚えている

ところでこの5番は聴きどころがたくさんある
一番有名なのは第4楽章だが、マーラーの5番の第4楽章に匹敵すると思われる
第3楽章もとてもいい
寒々とした静かで内的な会話は、次の楽章との対比が際立っている

最近イライラすることの多いが、こうして音楽に向かい合うと
音楽は良いなあと素直に思う
そしてそれは自分の心を平安にしてくれるような気さえする

ところで聴き方の年齢による変化は
今のほうがモチーフ変形とか旋律の展開が聞き取れるようになっていて
その技術的なところが面白いと思うようにもなってきている


お気に入りのショスタコーヴィッチの5番の第3楽章はこんな音楽

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調作品47 第3楽章 チョン・ミョンフン指揮

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オルガン演奏によるブルックナーの交響曲

2024年10月04日 08時47分39秒 | 音楽

クラシック音楽の世界では3大Bという言葉がある
一般的にはバッハ・ベートーヴェン・ブラームスのことをさすが
自分はブラームスの代わりにブルックナーを選ぶ
2024年はブルックナーの生誕200年だ

2020年にコロナ禍で生誕250年を大騒ぎできなかったのがベートーヴェン
今年のブルックナーも日本のメディアにはほとんど報じられず大騒ぎできていない人だ

ブルックナーオタクは男ばかり、嫌いな作曲家の筆頭ともいわれるブルックナー
でも、自分は大好きだ
ウィーンの彼の最後の家も、彼の心臓が眠るザンクト・フローリアン修道院も
そこでは日本人の誰にも会わなかったが、大いに満足感を得られる時間を過ごした

生誕200年となれば、商業的にも特別な企画が生まれる
その一つがオルガン編曲による交響曲の演奏だ
これは外すわけにはいかないが一枚一枚購入すると高くなるので
セットでやすいのを手に入れた


ブルックナーの音楽はオルガンの影響下にあると言われる
弦楽器よりも金管楽器が活躍する傾向があるからと思われるが
それは実際に聴いてみると、そうかもしれないと思う

ただし圧倒的に困ることが一つある
それはオルガンの音は弱音と強音のダイナミックレンジが広すぎるので
音響がCDには収まり切れないでいる
フォルテを基準にするとピアノの音は極めて小さな音になる
そしてピアノの時の柔らかい音色はスピーカーからは聞き取りにくい
(ダイソンの扇風機は音が大き過ぎる)
オルガンの音はやはり教会の広い空間の中で聴くのが一番のようだ

オルガン演奏を生で聴いたのは多分ケルンの大聖堂とウィーンのシュテファン大聖堂
50年以上も前の話で、たまたま演奏会があることを知って出かけたのだった
大音量にびっくりしたのは当然だが、今も覚えているのは別のことで
演奏のプログラムに「インプロビゼーション」というのが当たり前のように入っていたことだ
即興演奏という音楽が、ごく自然に組み込まれていてこの国の人々は
古い音楽ばかりをありがたがっていない!と強く感じたのだった

CDに収まりきれない音楽を自宅のオーディオで楽しむには少し忍耐がいるが
いつか名古屋の芸術劇場コンサートホールで
ブルックナーのオルガン編曲版の交響曲を聴いてみたいものだ
(どこかのテレビ局が試みてくれないかな)

CDはまだ聴き始めたばかり、まずは各交響曲のアダージョ楽章ばかり聴いて
その世界に浸ってみることにしようか
(アダージョ楽章はどの交響曲も良い)

ところで、数年前にはオルガンではなくてピアノの二重奏で彼の交響曲を演奏した
CDを手に入れたが、このときもダイナミックレンジの不満を覚えた

ブルックナーの音楽はやはりコンサートホールで聴くのが一番だろうが
田舎に住んでいる身としては、これらで満足するしかない

 

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「トリスタンとイゾルデ」と「魔笛」

2024年08月21日 09時39分44秒 | 音楽

最近はエアコンのない2階で音楽を聴く機会は全くない
音楽はもっぱら車で聞き流すだけになっている

少し前ipodに入っているフルトヴェングラー指揮の「トリスタンとイゾルデ」
全曲を選んだ
長い曲を運転するたびに少しだけ聴く
その繰り返しで音楽を体験している感じではないが
それでもあの演奏の濃厚な感じは伝わる

フルトヴェングラーの演奏は他の人と何かが違う
彼の演奏は緩急の激しさを指摘されるが、自分はむしろ音色が違うように思えてならない
二幕の愛の二重唱とブランゲーネの警告の部分の管弦楽の音色は心にまとわりつくようだし
二幕の最後、トリスタンが剣で致命傷を負ってしまう際の音は
取り返しのつかないことが起きてしまったと思わせる痛切な響きがする

三幕の前奏曲も暗くて絶望的で、すでにトリスタンは死の間際にいることを暗示する
つまりは後期ロマン派の濃厚な世界が展開されている

この濃厚な音楽を聞き終えた後、そう言えば、、
と思い出して次に選んだのがモーツァルトの「魔笛」だった

車で聞き流ししているだけなのに、この2つの音楽にはすごく大きな違いが感じられた
古典派と後期ロマン派の違いの向かっているものが違うからだが
それでも際立つのがモーツァルト音楽がスッキリしていること
シンプルで難しいことをしていなくて、それでいて必要充分のことをしていて
そして心から楽しい(一幕後半部分はとても楽しい)
それに見通しがいい

やはり「魔笛」は最高だな、、と思う
自分が選ぶモーツァルトの音楽は「魔笛」は絶対外せない

「トリスタンとイゾルデ」と「魔笛」
そのどちらに心動かされるかは、、その時の気分次第だが
暑くて集中が続かない今は、モーツァルトの方が好ましいかな

ちなみに「トリスタンとイゾルデ」と「魔笛」はこんな音楽

Wilhelm Furtwängler - Prelude: Tristan und Isolde, Act 3



新国立劇場オペラ「魔笛」ダイジェスト映像 Die Zauberflöte - NNTT

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涼しい音楽(音)

2024年08月15日 09時34分06秒 | 音楽

涼しい音楽(音)は何か?
との問が以前あった

直ぐに思いついたのはシベリウスの「トゥオネラの白鳥」だった

トゥオネラの白鳥  シベリウス

寒々とした雰囲気を自分は感じるのだが、それは一般化できるのだろうか

先日取り上げたショスタコーヴィチの五番の交響曲の第1楽章の中間部分(5分くらいのところ)
第一主題が静かに奏される部分はなんだか雪が深々と積もる感じで
聴くたびにひんやりとした気分になれる

やはり寒い国の人の音楽はひんやりした和音感があるような気がする

そんなことをぼんやりと思っっていたら、風鈴の音について連想がつながってしまった
風鈴はガラス製よりも南部鉄器のそれのほうが音が消えるまでが長く涼しい感じがする
ガラス製はチリンチリン
南部鉄製はチリーン、チリーン
こんな感じで、色とか見た目はガラス製だが音は後者のほうが好きだ

暑い夏の夜はリムスキー・コルサコフの「シエラザード」もなんとなく良い

Rimsky Korsakov 「Sheherazade, Op.35」 II. The Kalendar Prince

アラビアンナイト(千夜一夜物語り)は一時期、途中まで読んだことがあったが
物語性に富んでいてなんだか面白かった

ということで、暑い夏を乗り切る方法をいろいろ探す毎日

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凄いと思える能力に感謝したい

2024年05月30日 09時23分01秒 | 音楽

いくら食リポが上手でも食べ物の味は実際に食べてみないとわからない
ところがみんな同じ経験をしているのに、感じ方が全く違うことはある
少しばかりオタクっぽい世界のことだが、同じレコードを若しくは演奏を
聴いて感じることの多様差、好みの差は存在する

音楽について語ることは音楽を楽しむことに繋がるが
この音楽の感じ方について気になったのがYoutubeでこの演奏を
聴いたからだ

【高音質】ウラニア盤じゃないけどウラニアのエロイカと同じ演奏(1944年)

全部聴くと長いので、15分41秒からの第2楽章を取りあえず聴いて欲しい

これを聴いて人はどう感じるのだろう
自分は「全くなんて演奏なんだ  特に2楽章 深すぎる」のコメントに全く同意する
そこには音楽を聞くということが極めて重要な体験と思われるような時間経過が
存在して、口から出るのは「凄いな!」の一言だ

だが、そう感じるのは実はそんなに多くないのかもしれない
今の時代の空気に合わない大げさっぽい古めかしいもの、、
と感じるかもしれない(自分は今の若い人がどう感じるかはわからない)

でも、これは本当に凄い
そして自分にラッキーな能力があるとすれば、この演奏に驚きとか
感動を覚えることができる能力だと思う

指揮者は自分で何一つ音を出していない(演奏していない)のに
どうしてこんなに印象が異なる演奏が存在するのだろう
(他の演奏はあれよあれよと時間が流れていくだけのような気がしている)

ということで、口を酸っぱくしてもフルトヴェングラーは凄い
と言いたい!ということ

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ベートーヴェンとモーツァルト ジョン・レノンとポール・マッカトニー

2024年05月11日 10時01分02秒 | 音楽

緩徐楽章の作曲家と言えばブルックーが頭に浮かぶが
ベートヴェンのそれも捨てがたい
誰かが「考えるアダージョ」と口にしたことがあったらしい
彼の若いときの作品ヴァイオリン・ソナタ第二番の第2楽章は
おそらく初めて聴いても心が動かされると思う

ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ 第2番~第2楽章

モーツァルトにも印象的な楽章のあるヴァイオリン・ソナタK304がある

【涙が止まらないほど泣けるMozart】Violin SONATA K.304 第2楽章(終楽章)

どちらが良い!といった比較は無駄なこと
個性の違いとか、方向性の違いでどっちも良い

この2つの曲を聴いて、ついビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニー
のことを少し考えてしまった
それは上記の作曲家の個性の違いは、ジョン・レノンとポール・マッカートニー
との違いに似ているのではないかということ

試しにジョン・レノンとポール・マッカートニーの同ジャンルの音楽をアップすると
こんなふうに違う

ジョン・レノンの「ガール」
Girl (Remastered 2009)


ポール・マッカートニーの「Junk」

今は「教養としてのビートルズ」という言葉があるそうだ
ビートルズはベートーヴェンとモーツァルトが同時いたような
グループだったとの印象を持ってしまう

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「美しい5月に」と「ガニュメート」

2024年05月10日 19時15分48秒 | 音楽

晴れると湿気もなく新緑もくっきり映える5月
日本だけでなくドイツでも5月は特別のようだ
ゲーテには「マイリート」(マイは5月 リートは歌)という詩があるし
シューマンの歌曲集「詩人の恋」の一曲目の「美しい5月に」は
ピアノ伴奏がとても幻想的でうっとりしてしまう

この歌曲はピアノ伴奏が効果的で歌よりもピアノ伴奏を集中して
聴いてしまいそうになる
それはこんな曲

Dichterliebe, Op. 48: No. 1, Im wunderschönen Monat Mai

ピアノ伴奏がものすごく魅力的で自分が大好きな歌曲は他にもある
それは花々のむせ返るよう香りに包まれて呆然として憧れを感じてしまう
ヴォルフのゲーテ歌曲集のなかから一曲「ガニュメート」だ

Wolf: Gedichte von J. W. von Goethe Published Vienna 1890 - Ganymed

ほんと5月は良い季節
ただし、晴れて湿気がない時は


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フルトヴェングラー指揮の「運命」を聴いた

2024年04月28日 09時42分19秒 | 音楽

連休中だが、自分はいつも連休中
生来横着者だから暇は苦痛ではない
だが世間が休みだと少し気分が違うのは事実だ
どこかいつもよりのんびりする
そこでいつもは聴くことの少なくなったレコードを聴いた

中古レコード店で安く購入したフルトヴェングラーの遺産(LP13枚セット)

この中からド定番のベートーヴェンの5番の交響曲

僕らの世代のクラシック音楽の入門は「運命」だった
出版社がカラヤンの指揮したレコードと解説をセットにしたものを売り出して
初回は廉価だったので購入したのだった
冒頭は誰でも知っている、だが最後まで知っているのはかっこいいぞ!
そんな気持ちで聴いたのだったが、聴き終わった時は「使用前使用後」のように
全く違う自分になっていた気がした
それは音楽体験というだけに収まらない、何かとて大きな経験をした
そんな気持ちになったのだった

運命はそのオシの強さゆえに何度も聴く気になれない
というものの聴き始めてしまえば、そんなことは気にならなくなるのだが
とにかく久しぶりに聴いた

「すごいな!」
聴き終わった時出たのはこの言葉だった
同じくフルトヴェングラーの指揮した7番の交響曲を聴いた時に出てくる言葉が
またしても自然に出てしまった
「すごいな!」の意味は、聴き終わった時に感じた巨大さと
オーケストラの奏者の熱気、熱中度が尋常ではない雰囲気に感じられたこと
とにかくその言葉以外の言葉が見つからない
本当にすごい

有名な冒頭は全く今風ではない
思い切り大見得を切るように始まる
すごく重い音色で大げさすぎると思えないこともない
ところが始めってしまうとその大げさ感はなくなる
むしろ音楽自体がそれを求めているかのように
徹底的に使用される動機が耳に入る
一楽章を聴いてしまえば次の楽章から最後まで聴くのは必然だ

フルトヴェングラーを聴く人の感想は似通っている
巨大な体験、こうした言葉がニュアンスは少し違っても出てくる
とにかく大きいのだ(何が大きとか、どうして大きく感じるのかはわからないが)

この巨大な体験故にこの指揮者の虜になって、ついには彼のお墓参りまですることなった
しかも2回も(1976年と2013年)

写真は2013年に訪れたハイデルベルクにあるフルトヴェングラーのお墓

音楽は今はサブスクで聴き放題が流行っているようだが
自分は音楽を集中して聴かないのはもったいないと思えて
車に乗る時以外は聞き流すことはしない

集中しないと感じられない何かがある
集中して何かを感じられる典型がフルトヴェングラーの指揮した音楽だ

だが、今の時代とか若い人たちはこのような音楽は
重いと感じてしまうのだろうか
(知らないのはもったいないと思えてならないが)

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バロック風のビートルズの音楽

2024年04月14日 17時41分50秒 | 音楽

パッヘルベルのカノンが始まったかと思うと、急に違うメロディが流れる
このメロディは「レット・イット・ビー」だ
このようにクラシック音楽とバロックの音楽を合体したのが
ビートルズ・オン・バロック

このレコードに収録されているビートルズの楽曲は以下の写真の12曲


ビートルズのそれぞれの曲を池辺晋一郎氏が巧みに編曲をして(弦楽合奏の形式で)
違和感のないバロック風にしているが、参考にしたバロックの音楽は以下の通り

「レット・イット・ビー」バッハルベルのカノン
「アンド・アイ・ラブ・ハー」コンチェルト・グロッソ風
「エリナー・リグビー」バッハの管弦楽組曲の中からブーレー
「チケット・トゥ・ライド」ヴィヴァルディ四季の夏の第三楽章
「レディ・マドンナ」ヴィヴァルディ調和の霊感1番 第3楽章
「イエスタデイ」バッハの管弦楽組曲三番からエアー

「ヘルプ」特定の曲ではないがフランス風序曲
「イエローサブマリン」バッハ ブランデンブルク協奏曲4番 一楽章
「ミッシェル」バッハの管弦楽組曲1番の第4楽章
「バック・イン・ザ・USSR」コレルリ コンチェルト・グロッソの第4番
「ヘイ・ジュード」バッハのヴァイオリン協奏曲イ短調 第2楽章
「ロング・アンド・ワインディング・ロード」ヴィヴァルディの四季第2楽章他

これがとても面白い
音楽で遊ぶとか楽しみというのは、こういうことだと思う
昔、クリスマス・イブに桑田佳祐と松任谷由実たちが音楽で遊んだ
クリスマスショーというのがあったが、それもこのノリに近いものだった

音楽はホントすごいな
いろんな楽しみ方があるものだ

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アルバム収録の音楽を思い出してしまった

2024年04月10日 09時39分20秒 | 音楽

昔、購入しなかったビートルズの赤盤、青盤
「ナウ・アンド・ゼン」の新曲をきっかけにレコードで2セットを昨年購入した

その中で青盤の方に収められた「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」
を聴いた時には何か変な気がしてしまった
この曲が終わったときに「ハピネス イズ ア ウォームガン」の冒頭が
頭の中でなり始めたのだった

「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」はホワイト・アルバムの一面で
皮肉っぽい「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」
から続いて演奏されるジョージ・ハリスンの名曲だが
ホワイト・アルバムでは熱気があるこの曲の後
ジョン・レノンが「She is not a girl」と「ハピネス イズ ア ウォームガン」
を寂しそうに歌い始める
このコントラストがすごく効果的で、ついそれを思い出したのだった

アルバムの記憶が残っているために、変に思えたのがもう一曲あった
それは「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」で、青盤のように前後の関係なく
ヒット曲の扱いで羅列されるとなんだか違和感を覚えてしまった
この曲は熱気と色彩に満ちた「サージェント・ペパーズ」の最後の曲で
それまでの過程があって(音楽を聴いていて)初めて効果的な曲と思える
だから青盤でこの曲を聴いてもどこか不満が残ってしまった

音楽の流れというのは、何でも繋げれば良いというものではなくて
どこか必然のような流れも必要だと思える
それを思うと、アルバムというのはよく考えられたものだな!
と改めて感じた次第

どうもヒット曲集より、何らかの方向性をもったアルバムのほうが面白いようだ



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