木曜日恒例の日本語ボランティア
一回一回がどう進んでいくかわからない状態
昨日もどうもやる気は見えず
それでも一人はノートに漢字の書き取りを始める
(縦にではなく横に書いていく)
もうひとりは授業でやり残した感想文(テーマは違法薬物使用に関するもの)
を書き始めた
そしてこの中では一番日本語の堪能な子は、勉強をしようとしている彼らに話しかける
感想文を見せてもらうと「子どもはアルコールを飲んではいけないけど、、、」
との記述があったので、どうも集中できていない彼らに
「なんで子どもはアルコール(お酒)を飲んじゃいけないのかな?」
するとAちゃんが答える
「肺が真っ黒になって、体がグチャグチャになってしまうから」
Nくんも
「体にいい影響がないから、、」
そこで一緒にボランティアしてるSさんが
「食べたり飲んだりすると、それらは体のどこに行くのかな?」
「???」
そのうち誰かが
「胃!」と答える
「だよね、食べたものは肺には普通はいかないよね」
「Aちゃんはタバコの場合と勘違いしてるね、きっと
真っ黒になるというのはニコチンのことだな」
すると「ニコチン」の音で子どもたちは大喜び
「〇〇チン」
この言葉で連想される、ちょいと秘密っぽいものが気になって仕方ないらしい
とこんなふうに集中力を欠いて時間だけが過ぎていく
彼らにとってこうした時間はどんな意味があるのか
彼らはこれらの時間をどうすごしたいのか
(ボランティアの立場は少しでも日本語がうまくなればいいと思う)
そんなことをつい考えてしまう
彼らの落ち着きの無さは、小学校という規則の中の生活、よくわからない
日本語の暮らしの中で暮らさざるを得ない状況を終えて
この場所に来ると、言葉(ポルトガル語)が自由に使えるし
同じような仲間がいるから知らず知らずストレスの発散を
してるかもしれないと甘く考えたりもする
集中力の無かったNくんが急に腕立て伏せを始めた
「先生、連続で何回できる?」
「そうだな、若い時は2.30回くらいかな」
「嘘、そんなの全然できない」
そう言ってまた腕立てをする
「もっと腕を深く曲げて鼻が下につくぐらいにしてみな」
「今度は手の上に手を合わせて、その状態で腕立てをしてみな」
体にエネルギーが溜まっている感じのNくんは勉強よりもやる気があるようだ
そのうち勉強が一段落した子たちも集まってきたので
「空気椅子の競争をしようか」
と試しに言ってみると、みんな大乗り気
それぞれが壁に背をつけて、膝を曲げて空気の椅子に座っているような格好をして
「よーい、スタート」
これが思いの外楽しかったようで、いつも気分屋のJさんも必死に頑張っている
ブルブルする脚を我慢しながら、みんな大きな声を挙げて(低学年の豆まきのときのように)
興奮気味におこなう
「もう一回」
「もう一回」
別の場所で勉強をしてる子達には迷惑な騒ぎ方になってしまった
この行動がこの時間の使い方としてよかったのか、悪かったのか正直なところわからない
でも、子どもたちが生き生きした表情をしていたのは事実で
次はこうしようと自発的に遊びを提案し合ったのは、子供らしくて少し安心した
大騒ぎしすぎて少し怒られて時間が終了
みんなが帰って残ったGくんに
「大人になったら何になりたい?」
と聞いてみると
「ええとね、通訳」
「それはいい考えだ、今はもしかしたらバカにされてるかもしれないけど
君は2つの言葉がわかる、、絶対、有利だし、、」
「ポルトガル語だけじゃなく英語も、、」
これらの言葉に驚いた
彼のことを見るようになった昨年は、彼はふてくされていた
時間を適当に適当に過ごして、自己責任というものの捨て置かれて
将来は工場のラインのなかで働くだけ が想像できるようだった彼が
「通訳になりたい」と言い出したことは、それができるかどうかは別として
こちらはとても嬉しかった
彼には前に言ったように
「ものごとは段々と進歩して行くとは限らない
ちゃんとやってても伸びないときがある、でもある時、急にグィーンと
伸びることがある その時のために我慢して頑張りなよ」
彼は理解していると目で応えた
本当に自分らは何ができて何をしたら良いのか
敗北感のような気持ちを持ちながらの帰り道がいつものこと
でも、ちょっとだけ良いことがあった昨日のこと