パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

アメリカも例外ではない、と思うのだが

2008年03月31日 21時54分41秒 | Weblog
中国へのチベットのデモ対する中国政府の報道
遠く離れたわが国では
中国が苦しい嘘を言っているように
多くの人が感じている

同様なことは、北朝鮮のわけのわからない報道も
またイラク、ロシアでも似たようなことが
起こっている

つまりは時の政府や権力者は
都合のよいように物事を伝えるようにしている

しかし、ならばアメリカでも同じことといえないだろうか?
あけっぴろげでオープンな感じのイメージに
あまりにも無条件にアメリカの言うことを
信じてはいないだろうか?

結局人のすることは同じで、アメリカだって
偏向した報道をしているのだが
アメリカだけは正しい報道をしていると
信じきっているようなわが国の報道
これは問題ではないのだろうか?

それは国益の点からそうしているのではなく
ただ単に白痴的に盲信してるだけのようで
それが今のわが国のレベルを現しているようで
少しばかり不安な気持ちが拭い去れない
困ったものだ
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審判は特等席

2008年03月26日 21時06分38秒 | Weblog
サッカーで、子供たちが一番好きなのはゲーム
そして、一番上手くなる練習もゲーム(?)

このゲーム近くで見ていると、
審判の場所で見ていると本当に面白い

とにかく夢中になっている表情が、気持ちが目に入って
知らず知らず低学年という事を忘れさせる

相手との激しい競り合い、
俊敏な身のこなし、方向転換(練習ではできなかったのに)
これらは彼らが気づいてないだけで
日に日に進歩している

この審判の特等席を多いに活用して
彼らの進歩を助長するのが
ゲームの場面場面のプレー評価の声

つまり子供がよいプレーをした時とか
勇気あるプレーをした時
また諦めずにギリギリまで頑張ったときなど
できるだけ大きな声で
「そう!」
「うまい!」
「えらい!よく頑張った!」
「今上手くできたからもう一度、同じ事をやってみてごらん」
こんな風に子供たちに話しかける

すると子供たちも手応えのあるプレーをしたと
感じているときなどは、納得の表情でうなずいて
それこそ前にもまして夢中になってゲームに向かっていく

こんなとき、言葉というものは
実に大きな力を持つものだ!と実感する
そして、自信を持つという事が
いかに子供達の成長に役立つか
あらためて思い知らされる

そのためには子供たち一人一人を
レベル、性格を把握しながら
きちんと見ていかなくては!

それにしても、成長していく子供たちを見ていくのは
本当に楽しい!
真っ赤な火照った顔をして、満足そうな子供たちの顔も
こちらを幸せにしてくれる

一般的にはボランティアでやっているといわれている
サッカーのコーチ
実は、こちらが充分楽しませてもらっている


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我慢、我慢!幸せそうな子供を見守ることにしよう!

2008年03月24日 22時23分17秒 | Weblog
低学年のサッカー
そのゲームで頻繁に見られるのは
かたまってしまう事だが
その原因は「やりたいことがみんな同じ」
という点にある

彼らはとにかくボールに触りたい
味方がドリブルをしていると
まるで自分がしているような気になって
彼の近くによっていき
しばしば彼から、味方であるにもかかわらず
ボールをとってドリブルを始める

また進行方向に待ち構えている味方は
自分がボールに触りたいがために
味方の進路妨害をしてしまう

こんなことはあまりにも当たり前に見られることで
これが低学年のサッカーといえるかもしれない
しかし、想像するに
それだけ夢中になっている子供たちは
ある意味本当に幸せなのかもしれない

ほかの事が目に入らないくらい夢中になる
そんなことは、いずれできなくなってしまう
ならばできるうちに目いっぱいさせてあげたい
そんな気がしてならない

しかし、少しばかり気の弱い子は
自分のしたいことを人に先にされてしまうと
元気がなくなってしまう
彼にとってはゲームに勝つより
もっとボールに触りたい!が本音だろう

低学年のサッカー
自分の目標は、たくましい子に育てること
目の前にあるボールは全部自分のもの
味方が目に入ろうがお構いなしに
自分のしたいことをする

その後、彼らなりに多くの経験をつんで
自分のとりあえずなすべきことを
理解するようになる
そんな風になるまでしばらくは我慢、我慢!

サッカーをするような子は
人にあれこれ言われるのがいやなタイプが多いので
なるべくあれこれ言わず(態度や姿勢のことは別)
自分で気づいたり感じたりすることを
多くするように導いていきたいものだ
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考える癖

2008年03月23日 20時36分56秒 | Weblog
今日は少年サッカーの納会
ほぼ毎週見ているので、彼らの進歩は気づきにくいが
それでも1年前から比較すると
随分それらしい格好になってきているのも事実だ

教えたい事、身につけさせたい事
数え上げればきりがないが、限りある時間の中では
ある程度仕方ないかもしれない

1.2年は正直なところまだトラップが上手くできない
そして正確なキックも、強いキックもできない
それは第一にそれらの練習が彼らにとって
あまり楽しくない反復に終始するからかもしれない
反対にドリブルやフェイントは結構楽しんで練習する
だが、それもすぐに飽きてしまう

練習の最後にお楽しみのゲームを行うが
その時夢中になっているな中で時折見せるプレーは
とくにドリブル、反転などは確かに練習の成果が現れるが
その程度をみて次に練習する事を考えたりする

右利きの子は右足のインサイドで方向転換するので
自分では蹴りにくい左側の方へボールを持っていってしまい
いつになっても右で蹴る状況にならないでいるのを見ると
右足のアウトサイドの方向転換、
もしくは左足でのインサイドの方向転換を練習するのだが
いざ試合になると、なかなかそれはできずに
たまに思い出したようにできる程度

だから知らず知らずのうちに最適のプレーができる様になるまで
練習は繰り返し行う事にしている

こうした試合の中で誰もが気づく事は
低学年のゲームはボールを中心にかたまってしまうということ
これを大人たちは、かたまらないようにポジションを教えたり
周りを見るように指示するが
実際のところ、夢中になっている子供にとって
固まらないようにする事は難しい事だ

子供たちは背が低く、実際目に入っているのはボールだけで
もうそれ以外目に入らない状況のように見える
それに彼らにとって楽しい瞬間は
このようにチンチンになってボールを追いかけている事のように思えるので
自分は子供たちがかたまっても、気にしないでやらせる事にしている

すると子供たちの中には少し固まりから離れてチャンスを狙っている子や
危険を予想して後ろで守り始める子たちが出てくる
そしてそんな事を繰り返すとまた別の子は
誰がそのゲームでキーになっているか(うるさい存在であるか)
観察するようになり自らその子の方を見たり
自分で彼の邪魔をしようとしたりする
また声をかけて味方に指示するようにもなる

これらは声をかけましょう
周りを見ましょう
といったプレーの事で、教えなくても
ほどほどのことはできるようになる

自分はなるべく子供たちに、どう動きなさいとかの指示はしないで
むしろ失敗させるようにしている
失敗したとき「どうすればいいか考えてごらん」
位の事しか言わない
反対に、効果的な対処法に気づいたり、
プレーをした時には思いっきり褒めてあげる事にしている

その褒めるタイミングがいいと
彼も自分のしている事に手応えを感じて
自信を持つようになり、自分の考えた事は
よい事なのだとの体験につながる

この自信は予想以上に彼の心の中に育まれるようだ
しかし、残念ながらこうした事は
次の週にはすっかり忘れられていて
また始めっからのスタートになり
一見同じ事の繰り返しの練習になる

サッカーは判断のゲームといわれるが
答えを知っている(?)大人たちは
すぐに答えを教えてしまうので、
子供たちは自分で考える癖が身に付かず
大人の言われた通りの事をするようになってしまう

ドリブル好きな子が途中で失敗などすると
持ちすぎるな!パスしろ!
と声をかけるが、自分はこの方法では
その子は伸びないのでは!と思ってしまう

ドリブル突破の技術を更に磨くか
味方を効果的に使うべきか
自分は彼にサジェスションするだけで
彼のキャラクターにあった解決法を
彼自ら気づくようにさせたいと思っている
(たまには彼の能力を更にアップさせるために
 無理矢理のドリブル突破もさせたりするが
 こうして何か指示する時は彼らの能力を上げる
 目的の時だけにしようとしているつもり)

子供の練習に一番難しいのは
オーバーティーチングにならない事
もっとも何がオーバーティーチングか
ハッキリした決まりなどなくて
個々の判断によるだけだけれど

ただ、自分はいろんな状況で(サッカーだけでなく)
子供たちに考える癖を持ってもらいたいと思っている

この一年そのつもりでやってきたが
どれだけ子供たちに通じたかわからないし
そして、すぐに忘れられてしまうだろうが
何らか心の奥底に残ってもらえれば
それでいいか!と思う事にしている

来年度はまたメンバーが変わってしまうので
今の子らにもっと教えたい事もあるのだけれど
一人でなにもかも!
というわけにはいかないので仕方ないかな!



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フルトヴェングラーとカラヤン

2008年03月20日 17時44分11秒 | Weblog
さすがNHK、
BSデジタルのおかげもあるのだけれど
視聴率関係なしのマニアックな番組を流してくれて
大いに楽しめた

それはベルリンフィルの7時間をかけた特集
自分は初めの2時間半程を見て
それに触発されてカラヤンとフルトヴェングラーの
聴き比べを行った

テレビでは歴史を語る意味で
フルトヴェングラーが先で「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら」
ついでカラヤンのブラームス4番の第4楽章と時間をおいて放送されたが
たしかブラームスの方はどちらもベルリンフィルでレコードがあったぞ!
と聴き比べにいたったわけだ

聴いたのは同じ曲、つまりブラームス4番の第4楽章
カラヤンは1963年録音のもの
一方フルトヴェングラーは1948年のライブのもの

最初はテレビで聴いたばかりのカラヤンの方
これは高校時代に購入したもので結構気に入って
当時は繰り返して聞いたもの
しかし、あの終わり方がなんだか唐突な感じがしてならなかった

やっぱりテレビで見たのと大きな印象の変化はない
きれいな音、分離のいい音
この頃のカラヤンはもっと後の時期のものよりいいのでは!

ついでフルトヴェングラーにして針を下ろすと
その音の重さにびっくりした
とても同じキーとは思えない程の重さ、暗さ(?)
しかし聞き込んでいくと頭で予想していたよりも
各楽器の音がはっきり聞こえる
そしてニュアンスも精細なところまで気が配られている
ライブのせいもあるのだけれど勢いも
また演奏者の熱気も感じられて
あの終わり方もさほど違和感がない

ここで今度はCDでブルックナーの8番を聞いてみようと
引っ張りだしたのは
カラヤンは1957年録音のもの
そしてフルトヴェングラーは有名な(?)1949年のもの

今度はフルトヴェングラーの方を先に聞いた
比較は第1楽章で行ったが
流石に録音が悪くて閉口する

これも高校時代は必死になって聴いた曲で
特に第3楽章は恍惚となる瞬間があって
一番好きな曲の一つだ
今でも時々引っ張りだして聞くのでそうだった、そうだったと
印象を確認する程度
しかし、不思議な事に、長い曲なのに短く感じてしまう

一方、カラヤンのこのCDで聞けるベルリンフィルの音は
とてもふくよかで、ドレスデン・シュタットカペレみたいな感じ
もしかしたらフルトヴェングラーの頃は
こんな音がしていたのかもしれない
(まだフルトヴェングラー時代の演奏者が多く残っていた時期なので)
後のウィーンフィルの音よりもこちらの音の方が好きだ
演奏は結構ゆっくりしている
もう少し早いイメージがあったけれど
フルトヴェングラーを聞いた後なのでそう感じたのかもしれない
なんだかチェリビダッケみたい?と
不意にそんな思いが頭をよぎった
録音はフルトヴェングラーのものとは比べ物にならない
しかし、聞いている途中なぜだかよそ事を考えてしまった
フルトヴェングラーのほうはライブのせいもあって
耳を離させない力があるが、
それはライブのせいだけだろうか?
それでもこれはカラヤンのディスクの中でも好きなものの一つだ

二人の音の違い、音楽の違いは個性によるものもあるが
時代の影響もあるだろう
カラヤンですらもう古典になりつつある現在
同じ古いものを楽しむなら
今は、必死さの度合いでフルトヴェングラーに
触手が動いてしまう
また時間が過ぎれば比較的気楽に聴ける
カラヤンに行く事もあるかもしれないが


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必要な装備

2008年03月19日 22時26分34秒 | Weblog
雨が降るたびに思うこと
それはキーレスエントリーシステムを備えておけばよかった!

今の車にした時のサービスが
CDチェンジャーとキーレスエントリーシステムの
二者選択だったのだが
キーなんて回してすますれば!
などと軽く考えたのがまずかった

今日のような雨の日は、
キーをかったり、あけたりするだけで数秒かかって
その間濡れてしまう

こんなことなら、車の営業さんは
ちゃんと説明してくれれば
キーレスエントリーシステムも付けてもらったのに!
などと的外れな不満を感じているこの頃だ

確かにキーレスエントリーシステムは
便利で必要な装備だから
今度は付けてもらおう
もっとも今は標準になっているかも
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ヨーロッパの小野、稲本

2008年03月17日 22時50分39秒 | Weblog
2週間ほど前、ボーフムVSフランクフルト
つまり小野対稲本の日本人対決のゲームを
久々にリアルタイムで見た

特にどうということはなかったが
二人とも妙にチームに溶け込んでいて
浮いていたりすることはなく
むしろどこにいるのかなと
探すのが大変なくらい(?)だった
これが中村俊輔ならもう少し楽に見つけられそうだが
それだけ中村の存在感があるというか
特徴のある選手ということなのだろう

一方小野は同じ攻撃的ミッドフィルダーとはいえ
プレイスタイルが違うせいか
チームの調和のほうに気を配っているようだ
しかしながら見た目にはここ数年見た中では
一番吹っ切れたようなプレーをしていた

相変わらず守りは気のない、ガンと接触して
ボールをとりに行くなんてことはないし
しばしば気の抜けたようなミスもするが
それでもいつもと違うところが垣間見れた

自陣の深いところで体を入れて奪ったボールを
ドリブルで持ち上がり
サイドに展開したプレーはらしくないというか
今までにはあまり見られなかったプレーだった
それはもしかしたら高校時代には多く見られた
プレーだったかもしれないし
U19の時も忘れてしまったが
こんな感じだったのかもしれない

確かに運動量は少ないし
スピードもない
しかしもう少しボールに触る機会が増えると
明らかにゲームが落ち着いたり
テンポの変化が見られそうだ

それにしてもフェイエのときもそうだが今回も
ヨーロッパの連中は基本的にみんな
「俺が俺が」タイプが多い
日本ではあんな感じでは絶対、
「早くパスしろ!」
と批判の対象になるだろう
しかし比較の上では一人で何かしようとしない
日本のほうが実は異常なのではないのか

話は逸れたが現在の小野は初めて
人に信用されて(今のところは?)
のびのびと出来ているようにみえる
人に信用されることが
いかに選手のモチベーションを上げるかの
良い見本のようだ
(中村俊輔の監督の信頼も同じようだが)

さて稲本、体は横に頑丈になっているようだった?
相変わらずボール奪取はダイナミックで
日本人にはないたくましさが見られる
しかし今までコンスタントに使われなかったのは
何故なんだろう?といつも思ってしまう
イングランドの時もトルコの時も!

それは単に同じポジションにライバルがいるから
といった問題だけではなく
何かが欠けているから
(それは何なんだろう?)
監督に信頼されずサブ的な扱いしかされない
のではないか、と思ってしまう
(ベンゲルからも結局大いなるチャンスは与えられなかった)

もっとも稲本については今まで
熱心な観察者ではなかったので
自信を持って言えるわけではないが

今回稲本は代表に選ばれたようだが
いいところを!というより
普段の姿を見せてもらいたいものだ

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コーチの通知表

2008年03月16日 19時22分45秒 | Weblog
そろそろ少年サッカーも納会の季節
頻繁に顔を合わせているので少年たちの変化に気づく事は
難しいけれど、下の学年を見て一年前はこのくらいだったのか
と、改めてその変化の大きさに驚いてしまう

特に1年、2年担当の自分は4月始まったばかりの
1年生のマイペースぶりには閉口したものだ

練習中に砂いじりしたり
喧嘩したり、退屈したり、話は理解してもらえないし
体力はないし、少しでも擦りむいたりすると神経質になったり
それが今は、マイペースは相変わらずだけれど
間違いなく逞しくなっている

逞しくなっている事は
2年生の方がより感じられる
もっとも自分の目標は、「逞しく!」
にあるものだから、そうなってもらわなければ困るのだけれど!

昨日も練習終了後に、
来期の申し込み用紙を持参した子が数人いた

この時期、実はコーチ陣は少しばかり心配な面がある
来期も続けて練習に参加するのだろうか?と
あるコーチが
「コーチの通知表は、子供たちが続けるかどうかで評価できる」
と言っていたが、将にその通り!

特に小さな学年ではサッカーだけでなくても
一緒に過ごしていた時間が楽しかったかどうかが
冷静に評価されているようで気になって仕方ない

今この地区ではスポーツは、野球が人気をぶり返し
(前からサッカーよりは人気があったが)
両方のクラブに参加している子がいて
徐々にどちらかに選ばれつつある
だからと言って、自分たちに向いてもらうように
甘い話をするわけではないが
できれば続けていってもらいたいのが本音のところだ

それにしても、コーチが何人かいれば
その数だけの考え方、教え方があって
一応サッカー協会でガイドラインは敷かれているが
一年間の指導のうちに
確かにそのコーチの色にチームが染まっていくのは
当たり前とはいえ、不思議な気がする
(それだけ責任があるという事かもしれないが)

来週はいよいよ今季最後の練習日
締めは、みんなそろっての食事会

この一年の通知表がどうかは
自分ではわからないけれど
楽しい時間を過ごさせてもらったのには
間違いのない事実
また来季も楽しく続けられればいいのだけれど!

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ベーシスト ポール・マッカートニー

2008年03月11日 22時07分04秒 | Weblog
離婚に大金が必要となって
その費用を稼ぐために
ポール・マッカートニーはビートルズの曲を
itunes storeに配信する事を決めたとか

ビートルズと言えばジョンとポールだが
インテリっぽいジョンに比べて
お気楽なラブソングばっかり?のポールは
かわいそうに過小評価気味

しかし、大きな声を出して言えないが
本当はポールの方が好き!
という人の多いのも事実
ちなみにビートルズの中で好きな曲は?
と聞くと
「yesterday 」 「let it be」「 long and winding road」
「here there and everywhere」 などなど
ポールの曲が無邪気に上がってくる

つまり音楽の楽しさ心地よさからすれば
ポールの音楽はジョンのそれ以上だろう

ところでベーシストとしてのポールはどうだろう
これが結構好きな演奏家の一人だ
with a little help from my friend
のリンゴとベースのデュエットは歌う様な演奏の典型だし
something
don’t let me downの中間部はなんて必然の音の運びだろう
lucy in the sky with diamond
の心臓の音を想像させるような音は充分サイケデリックだし
come togetherやwhile my guitar gently weepsは
特徴ある土台でご機嫌
これらの曲は実際ベースの音を真面目に
聞こうとしている自分が、いつもいる

しかしwings時代のベースはあまり好きなのはない
してみると、やっぱりよいベース演奏をするためには
ポールは他の3人が必要だった?

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スペック至上主義の(?)日本の音

2008年03月10日 21時28分46秒 | Weblog
昨日の日曜、真空管アンプを購入した店から
新しいCDプレーヤーの聴き比べイベントのDMが届き
出かけてみた

型番はわからないがESOTERICの製品
(多分CDトランスポートP-05とステレオDAコンバーターD-05)
今回は購入目的というより
CDプレーヤーを替えればどもくらい音が変るのか
自分の耳で確認したかったので
よい機会だった

しかし結果的には充分な比較はできなかった
なぜなら聴き比べの装置、アンプ、スピーカーが
自分の普段のグレードとはかなり違って(違いすぎて)
ハイエンド仕様過ぎて
これだけお金をかければそこそこの音がしなくては!
と感じさせるものだった

さて音は
聴いた最初のCDが最近よく聞くようになった
フランスの?クリスマスソング(合唱曲)
なるほどクリアな音そして少なくとも自分の家の物よりは
人間らしい音!が第一印象
次はJAZZ風な星影の小径?
そしてクラプトンの1曲

この辺りから???と感じるようになった
何かが違う!
きれいでメリハリがあって、それなりに自然な感じはするのだが

そこで普段聞いているCDをかけてもらう事で
記憶の中の音と比較する事にした
ジョン・レノンのWOMAN

ここではっきりわかった
この音は自分の求めている音ではないと!
非常にクリアでまるで録音スタジオにいるような
感じがするのは事実だが
一つ一つが楽器の音ではなく、
作った音のように思えて仕方なかった

店の人が席を外した時に、同席したもう一人の人と
感想などを話し合ったが
やっぱり似た様な印象、彼いわく
「この機械の音は測定室の音、スペックは完璧で最初は驚くけれど
 聞いていて疲れてしまう」

ふとipodのイヤホンを替えた時の事を思い出した
破損してしまって替える事になったものは
最初についていたものと随分音が違った
最初のものは、もたっとしていたが刺激的でなく聞きやすい
一方、家電屋さんで求めた国産メーカーのものは
メリハリがあってクリアで
そう丁度今回の印象と同じだった

となると、こうした音の傾向を求めるのは
日本の趣向性なのだろうか?と考えてしまった

それはいい音とは何か?というより
(それは人それぞれで百人百様の好みがあるだろうが)
スペックで表わせるものを絶対視する様な
音づくりの様な気がする

おそらくイギリスでは、ある音が好ましい音と仮定すると
その音を出すために技術を活用して
スペックは芳しいものではないかもしれないが
そんなものはでてくる好ましい音のためには
簡単に犠牲にする覚悟があるだろうが
日本ではスペック、理論が全てで
実際の音の心地よさは、このスペックなら満足できるはずと
感覚を理性で納得させようとしているみたいに思えてならない

それは一種の自信のなさのあらわれなのだろうか?

自分の信ずる物を説得する感情的な力強さよりは
客観的な数字を生み出して安心しているのは
一見科学的のようだが
なんだか責任逃れをしている様な気がしてならない

いずれにしても
まだまだ?CDは音質でレコードにかなわないと
再確認した次第だ


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