パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

今朝のおしゃべり(驚き、笑えたこと)

2025年02月06日 09時29分04秒 | 子どもたちのこと

子どもたちのためと言うよりは、自身の心と体の健康のために
行っている月曜日と木曜日の小学校校門までの付き添い

小さな子と話すのは話が通じないことも面白い
今朝は、笑えることがあった

「まだ口の中にレーズンパンの残りがある」
「朝ご飯は、パン?ご飯?」
「パン」
「パン一択でしょう」
「パンと牛乳か」
「私、牛乳大嫌い」
「卵は目玉焼きと卵焼き、どっちが好き?」
「目玉焼き!」
「目玉焼きには何かける?塩、醤油、ソース?」
「塩」
「塩コショウ」
「そうだね、シンプルなのが良いかもね」
「卵、白いとこは好きだけど、オレンジのところは嫌い」I
「ゆで卵もそう?」
「うん」
「あのね、卵を割って黄身と白身に分けて、白身の方を思いっきりかき混ぜて
 泡立てて、それをご飯の上にかけて黄身を乗せて醤油をかけると
 いつもとは違う卵かけご飯になるそうだよ」
「どうせ、youtubeからでしょう?」

あらら、突っ込まれてしまった
先日、生まれたときからYoutubeがある子どもたちの生活ぶりの驚きを覚えたが
今朝もまた驚いたというか、笑えてしまった

今日はみんな饒舌だった
「鼻毛が伸びてる」
「君たちが小さいから鼻の中が見えるんだよ
 ほら、こうしてかがんで見ると鼻の中は見えないでしょう
 先生の鼻の中も見える?」
「見えないかな」
「白い鼻毛が見える」

またもやツッコミ
「うーーん、歳だから仕方ないかな」

こんな会話がとても幸福な時間を感じさせてくれる
そして無邪気な子どもたちが、そのまま素直に育ってくれることを
気負いもなく思う
未来の大人たちへの責任は、今の大人にあると身にしみて思う

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今日のおしゃべり

2025年01月30日 12時48分15秒 | 子どもたちのこと

月曜日と木曜日、子どもたちは木曜のほうが機嫌がいい
月曜日と木曜日は近所の子どもたちと小学校校門まで歩いていく
挨拶が目的のボランティア活動だが、ウォーキングを兼ねて
健康のためにここ数年続けている

今日の子供たちは機嫌が良かった
おしゃベりしたのは1.2年生の女の子だったが
月曜日のそれと比べると、いつも木曜日の方がハイテンションの感じだ

月曜日は休み明けで、エンジンがかかっていなくて調子が出ずどこか不機嫌
でも木曜日は学校生活のリズムに慣れて、登校は普通にこなす行事のようだ

寒い今朝は、まるで権利のように1年生の女の子が袖の中に手を突っ込んでっくる
冷たい手が触れる 
そうくるだろうと予想していて自分の手はなるべく暖かくしておく
お互いの手の感触を感じながらおしゃべりしながら歩く

どういう経緯か忘れたが桃太郎の話になった
桃太郎は何から生まれた?聞いてみると
男の人の大事なところから生まれたんだよ、、
と笑いながら1年生の子が答える
大人の反応を見計らっているようだ
子どもは何故うんちとかこうした話が好きなんだろう

しばらくして1年のIちゃんが物語を始めた
あるところに、KちゃんとIちゃんがいました(2年生と1年生の子の名前)
二人は学校に向かって歩いていきました
一緒におじさんも歩いていきました  おしまい
ふたりとも笑いながらおしゃべりを続ける

ふたりとも大きくなったら何になりたい?
話題を変えて聞いてみた
1年の子はデザイナー
2年の子はお菓子屋さんとか花屋さん、先生が良いと答える
校門近くになって5年生の男の子に聞いてみる
Hくんは?きっとYoutuberかな
彼は満更ではない感じ

そこに門で待っていた校長先生も会話に参加する
Youtubeは誰もやっていないモノにしないと駄目だよ
もうゲームの実況も料理もいっぱいあるし、、

すると、それを聞いていたいつもは時間ギリギリに投稿する男の子が参加した
チャンネル登録が500以下は駄目みたいだよ(運営として扱ってもらえない?)
登録者が1万あると、〇〇円儲かるみたい

なんか驚いてしまった
小学生がこんな話をするとは!
確かに、子どもたちの将来なってみたい職業にYoutuberがあるのは知っていたが
こんなに身近なものだったとは

時代の流れとは言え、すごいなあ、、
そう言えば、以前、こねて焼くだけのパンの話になった時
4年生のAちゃんは、「こねて焼くだけのパン」で検索すると良いよ
とアドバイスがあった
デジタル社会は彼らにとってもう当たり前のものになっているようだ
ほんと、凄いな!とまたもやため息がでてしまう

校長先生に「リテラシーの勉強が必要ですね」と声をかけると
「もうそれは始まっています」との答え

いやはや凄い時代になっているものだ




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今朝のおしゃべり

2024年12月05日 09時11分52秒 | 子どもたちのこと

月曜日と木曜日のルーティン 小学校までの付き添いウォーキング
あまりおしゃべりしない2年生のKちゃんが急に聞いてきた
「おじさん、おもらししたことある?」
「そうだな、あるかも、小さい時はおねしょしたことがあるかな
 Kちゃんは?」
「うんとね、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと前にしたことがある」
これを聞いていた手を繋いでいる1年生のIちゃんに聞いてみた
「Iちゃんは?」
「わからん」
「そうか、都合の悪いことは覚えていないもんね」
Iちゃんは、「あったかい」と言って最近は手を繋いできている

そんなことを話していて、頭に浮かんだことがあった
「みんな今までで一番古いことで覚えていることは何かな?
 おじさんは〇〇西保育園のすべり台でスーパーマンみたいな格好で
 滑って降りたことを覚えているなあ」
「〇〇保育園って?」4年生のAちゃんが聞いてきた
「今の小学校のすぐ裏にあったんだよ」
「私、知っている」

今度は最近ふっくらし過ぎの5年生のHくんが
「俺はユニーに行ったことを覚えている」
と、体を触りながら答えてきた 
そして「ちょっと太り気味じゃない?」
とからかいながら言ってくる
「それを君から言われたくないなあ
 最近、僕は痩せてきたんだよ」

それから、自分が小さかった頃の話をした
お弁当のこと、薪をもって小学校に行ったことなど、、
こんな感じで校門までの時間はあっという間に過ぎていった

こんな他愛もない話がとても幸せな気分にしてくれる
彼らは大きくなった時、これらのことはきっと覚えていないだろう(と思う)
でも、どこか記憶の片隅に残っていてくれたら良いな








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いつもより大きな声の挨拶だった

2024年07月04日 18時22分32秒 | 子どもたちのこと

今日嬉しかったこと

夕方、庭の木に水やりをしていた時、
近くのアパートに住むブラジル人の家庭の方々が車で出かけようとしていた
「こんにちは」と奥さんの声がする、彼女はまだ小さな女の子を抱っこしている
彼女は朝に子どもを送り出す時も顔も見ると「おはようございます」と挨拶をしてくれる

先日は女の子のおでこに擦り傷があったので聞いてみると
転んで怪我してしまったとのこと
かわいそうに、、
気をつけてね、、と女の子に話しかける
話しかけたのはどこの誰かわからない人かもしれないが
表情は不安そうなものではなかった(と思う)

お母さんの声に続いて男の子の声が聞こえた
「こんにちは」
ずいぶん元気のいい声だ
声の主は月木の校門までのウォーキングに出会う子だ
かれはその時は面倒くさそうに小さな声で「おはようございます」というだけ
ところが、今回は予想外の大きな声
ちょいと驚いた
そしてそれはなんだかとても嬉しかった

いつも行っているあいさつ運動は、役に立っていると実感できて
そして彼は知らない近所の日本人は信用できる
と感じているのだろうと思えて

これらは錯覚かもしれないが、
子どもたちが安心して話したり相談できる人間としてみてくれたら
こちらも幸せな気分になれる

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彼は幸せだったのだろうか?

2024年07月01日 15時27分10秒 | 子どもたちのこと

「〇〇さん、今までありがとうございました
 (ブラジルにルーツを持つ)Lくんは先週が最後で、引っ越しました」
小学校の校門で待っていた校長先生が挨拶がてら声をかけてきた

その10分ほど前では、彼の家のベルを鳴らして
「Lくん、行きますよ!」と呼びかけたが
どこか生活感のない雰囲気だったのがそれでわかった

「岡崎の方に引っ越すそうです」
なんだか拍子抜けした気分になった
なかなか上達しない日本語に心配が募ることが多かったが
それでも、こちらの言う事はわかっている雰囲気はあった

彼はこの10ヶ月間、幸せだったのだろうか?
不意にそんなことを考えた
異国、慣れない環境、話せない日本語、彼は何を感じていたのだろう

だが「先週が最後で、最後の2日間は泣いていたようです」
この話を聞いて、少しホッとした
彼はみんなと別れるのが辛かったのだ、、と
そして彼がここにいた10ヶ月間
時には校門でグータッチして送り出した日々は
彼にとっては辛い日々ではなかったのだと思えると
どこか救われたような気もした

彼との一番最後の会話は先週の木曜日
「L くん、背が高いね、クラスで一番大きい?」
と聞いたことだった
「うん」と答えて、もう少し何か言いかけたが口ごもって聞き取れなかった

もう少し記憶に残ることをしておけば良かった
と思うが、人生っていつもそんなものだ

そんなことを思い出しながらPCに向かっていると下の方で声がした
「おじさん、ただいま!」
小学生5年の男の子Hくんが大きな声で家に向かって叫んでいる
そこで窓を開けて「おかえり」と応える
今日は妹のIちゃんもお兄ちゃんに誘われて「ただいま」と叫んでいる
彼女は2階にいるのを見上げて、もう一度「ただいま!」と言う

「あれ、どこ?」
Hくんは声はすれども姿は見えず状態だったようだったので
もう一度「おかえり」と言うと、
やっと2階の窓から顔を出している自分を確認した
ここ最近、Hくんの下校時はいつも家に向かって(車があって在宅を確認して)
「ただいま、、」と大きな声で挨拶をしてくれる

こうしたちょっとした毎日のこと
そうした喜びがLくんの10ヶ月の生活の中にもあったのだろうか
無理矢理にでもそう思いたい気がした

 

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今朝のおしゃべり

2024年06月20日 09時26分05秒 | 子どもたちのこと

「Hくん、昨日ありがとうね、『ただいま!』って大きな声で言ってくれて」
「うん、おばさんが『おかえり』って言ってくれた」
最近、毎日のように続いている5年生のHくんの下校時の挨拶
これが最近は日常になりつつある
そしてこれはとても心が軽くなる

月木の朝のルーティン、子どもたちとの校門までのウォーキング時のおしゃべり
子どもたちは機嫌が良い日もあれば、元気のない日もある

「おじさん、はみ出さないで!」
道路の右端に引かれた白線内を一列に並んで歩くのだが
ちょっとはみ出したところ、4年生のAちゃんに言われてしまった
「ごめんごめん、怒られちゃった」
白線内に入って、Aちゃんに話しかける
「前にね、ねえねにも怒られちゃったことがあるんだよ
  道に煙草の吸殻が落ちていて、ねえねが
  『おじさん、帰るときまでにこれ片付けておいて』
 と頼まれんだけど、忘れてしまっていたら
『おじさん、やってない!」って怒られちゃった」
それを聞いた、Aちゃんに笑顔が浮かぶ

しばらくして「やってないほうが悪い」の声
最近は仕切り屋さんになっているAちゃん
ようやく少し不機嫌気味が通常に戻る

話やすい子もいれば、そうでない子もいる
できる限り多くの子と話すようにしている
こうした会話はすぐに忘れられるものだが
子どもたちは案外覚えているかもしれない!と思うこともある
年度末には子どもたちの「あいさつ運動の皆さんへ」と書かれた感謝の作文集が
回覧で届くのだけれど、そこには、決まり切ったような感謝の言葉が多く
書かされている!と思えるものが多いが、近所の子たちの作文は
普段の会話がどこかにじみ出て他の作文とリアリティが全然違う
子どもたちは言語化出来ていないが、それでも何かを感じている
ということは間違いなく実感する

ということで、今朝のおしゃべりは怒られてしまった思い出を
妹さんに伝えたってこと
同居人にこの話をすると、笑っていた
それは幸せな時間

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大きな声が聞こえた

2024年06月13日 18時35分53秒 | 子どもたちのこと

今日で多分4日目くらい
また「おじさーん」と叫ぶ大きな声が聞こえた

車が泊まっていて自分が家にいることを確認して
3時から4時くらいのころ
5年生の彼は学校から帰ってきたよ!
と知らせるために今日も我が家の庭に入って大きな声で叫ぶ

「はーい」とその声に応える
昨日は2階にいたので窓を開けて「おかえり!」
と声を掛ける
彼は驚いて「2階か!」と顔を見上げる

今日は1階にいたので窓を開けてすぐに
「おかえり!」と応えると
「ただいま!」と彼は応える

こうした時間はとても心がどこかホッとする
彼は無邪気にこちらを信用しているようだ
彼には月木の朝は
「靴はちゃんと履いて!(いつも踵の部分を踏んでいるので)」とか
「忘れ物はない?」が定番の言葉
ちゃんと聞いているのかわからないが
それでもこのような行動をしているから何か感じているようだ

男の子はおぼっこいな!と思う
彼は年下の女の子にいつも叱られている

こうした小さな出来事が幸せを感じる瞬間
彼らが泣くようなことがあっては(社会であっては)いけない、、
と心から思う

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今朝の会話

2024年06月06日 08時48分49秒 | 子どもたちのこと

「〇〇くん、落とし物!」
少し前を歩くブラジルにルーツを持つ男の子に向かって
一年生の女の子が声を掛ける
手にはハンカチのようのものを持っている
男の子は当たり前のように黙って受け取る

「ありがとうは?」
試しに聞いてみる
「ありがとう」
と素直に応える
「エライ、エライ」と褒める

今度は拾ってくれた女の子に聞いてみた
「ありがとうって言われたら?」
「どういたしまして」

一年生でもこのくらいのことは常識となっているのか
「エライ、エライ」
女の子も褒めてみる
すると、この話を聞いていた4年生の女の子が
「そんなの当たり前じゃん」

「でもね、ありがとうって言える子も、どういたしましてと言える子も
 おじさんはエライと思うな」

月曜日と木曜日の朝のルーティン
小学校までの近所の子どもたちとのウォーキング
今日の会話はこんなのだった

子どもたちはそうした方が良いと思われることをまだ素直に実践している
その姿を見るとホッとする
そして心が洗われる

でも、今の世の中はどうだろうか、、
子どもたちは思春期を迎えても、大人になっても
ずっとこうした会話ができると良いなと思う

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役割分担

2024年04月11日 09時15分03秒 | 子どもたちのこと

月木のルーティンは子どもたちとの校門までのウォーキング
日の出が早くなったし、暖かくなっているので一時期のような
遅れてくる子は少なくなった

今年は1年生が3人
一人はHくんの妹のIちゃん、あと二人はブラジルをルーツに持つ子
決まった順番に並んで歩き始める
1年生のIちゃんは列の二番目
見守るように4年になったAちゃんが寄り添う
「えらい!AちゃんはIちゃんの面倒を見てるね」
誰かから言われた訳でもないだろうが、自然と自分の役割を見つけたようだ

「おじさんは、ブラジルの子たち(の担当)」
Aちゃんが仕切るように言う
今まで何かとブラジルの子(Lくん)に寄り添って歩いていたので
それで口に出たのだろう

「あのね、Lくん、ものすごく日本語がうまくなったよ
 昨日、筆箱を忘れたって、、、、、」
どうやら下校時にそんな話をしたようだ
Lくんの日本語のプレ教育の期間は終了したので日本語能力を心配したが
幼いうちの吸収力は大したもののようだ

3年になったLくんは、ポルトガル語を話す二人の男の子が
近所に住むことになって一安心だろう
今朝は彼らとポルトガル語の会話を楽しんでいた

こうした他愛もないことでとても幸せな気分になる
1年の時、不安で一杯でGW明けには小学校に行くのを嫌がったAちゃんが
今はお姉さん役でIちゃんを見守る
こうしてみんな大きくなっていく

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新学期スタート

2024年04月04日 09時15分53秒 | 子どもたちのこと

「5年生か!」
久しぶりに出会った彼がつぶやく
「大丈夫か?」
「ううん、わからない」
「自信は?」
「あまりない」
(彼は忘れ物が多いから、こちらも心配)

今日は小学校の始業式と入学式
月曜日、木曜日のあいさつ推進運動の今期スタートの日
いつもの場所に集まって、いつものように出かける
一学年上になっても習慣は変わらないようで
遅れてくる子はやっぱりのんびりしている

口元を手で隠している女の子がいる
「学校につくまでマスクしないように、、てママが言ってたから」
「マスクしてないと恥ずかしい?」
「うん」
「でも〇〇ちゃん、可愛いから良いじゃん」
しまった、ルッキズムみたいな発言か?
そこで、急いで話を変える
「可愛いときれいだと、どちらが言われて嬉しい?」
「うーーん、可愛いかな」

「L君、おはよう」
少し心配だったブラジルにルーツを持つ3年生の彼も
遅れずに集合場所にいた
その他のメンバーもみんないる
ひとまず安心で、話しながら校門まで歩く

そういえば、今日はゴーグルを付けていた子がつけていない
「花粉症は大丈夫?」
2年生になった女の子に話しかけると大きく頷く
この子は女の子なのにあまり話さない

こんなふうに少し前の日常と同じことの繰り返しが始まった
少し見なかっただけだがみんな身長が伸びている気がする

この挨拶運動の校門までのウォーキングは彼らのためというより
自分の精神的な健康のために行っているのかもしれない
自分勝手でも、悪気がない彼らの話はどこか救われる

彼らと歩く校門までの道は短く感じるが、帰り道は長く感じる
これは一般的な行き帰りの時間感覚のパターンと違うが
行きは心が楽しんでいるからだろう


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