Facebookの画面を見ながらフト思った
頻繁にやり取りして
誰かと繋がっている感覚をありがたがるのは
なんだか女(同士)の会話に似ていると!
正直、Facebookでの気楽なコメント「いいね」ですら
知っている人間でも自分にとっては
どうでもいいかな!と思わないでもない
それはもしかしたら自分という個性のなせる技かもしれないが
自分が男であるせいかもしれない
通常男は会話には費やした時間の分だけなにがしらの結論を欲しがるが
女は話しをしたという充実感で、別段結論を出さなくてもいいらしい
確かに知り合いの誰かが何をいいと思ったり
何をしているか、何を感じているかを知ることは
無駄ではないとは思う
しかし、それをいつも知る必要は少なくとも自分にはない
その気になれば知ることもできる
その程度で何ら不満はない
つまりオンデマンドで情報を確保さえ出来ればそれでいい訳で、
いろんな情報が得られるからと入ってテレビをだらだら見るみたいなのは
なんだか面倒くさい
言い換えれば人との交流はこちらが望めばできるくらいで
充分な気がする
知っている人が薦めてくれる情報の信憑性は
そうでない場合よりも間違いのないものだろうけれど
知り合いの全てを知るのも何か違和感がある
というわけで、現時点ではFacebookにはあまり関心がない状況だ
便利かもしれないけれど
何か自分にフィットしない
ところでプロフィールの画面を他人様と比べてつくづく思ったことは
自分の関心領域は随分人と異なっているということ
やっぱり少し変人かな?
と再確認できたのは良かったかもしれない