パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

年の最後に、真面目な話と楽しい(?)話

2014年12月31日 19時54分33秒 | 徒然なるままに

普通の自分くらいの年齢の男が
どんなことを考えて、どんなことを感じたり
どんなことに興味を持ち続けるか分からない

結局は自分と同じ様な心の状態なのか
と想像するわけだが
だとすると、還暦といっても大したことはない
というのが実感

おそらく誰もが昔想像した大人に年令になった自分を
なんて成長していないことだろう
と感じるようだが、実際、何も変わっていない

ただ人生には繰り返しのような経験が多いので
少し慣れて絶える力が付くくらいのことか

先日の立原道造の詩の中の
誰も聞いていないと、、、

の一節が今は心に染み入る

ヘッセのガラス玉演戯や知と愛でも
社会・実生活とのかかわり合いを繰り返し取り上げていたが
確かに自分も実生活とのかかわり合いを増やしていかないと
ダメかと思う

母は四文字熟語を自分より知らない
政治の話も理解できていない
当然外国語などには疎い

しかし、近所の人の顔と名前は知っている
毎日の生活で何が必要か
どうしたら節約した生活ができるか
近所のつきあいかたも知っている

そうして比較すると自分の頭の中で知っていることなどは
大したことではないと思わざるをえない

(自分と同じような)多くの会社人間だった男ども
彼らは社会との接点を増やすようにしないと
アカンかもしれない

真面目な話のあとには、少し楽しい話を!
先日、すみれが出ているCMを見て母が聞いた
「ほんまかいな!」
と言ってるけどなんでかな?
「ほんまかいな?」
「違うかな、ほんまかいな、みたいに聞こえるけど」
そこでCMを思い出してみるとハタと気がついた
「違う違うあれは、OH my god!って言ってて、ほんまかいなじゃない」
「ほんまかいな!じゃないのか」

そしてもう一つ、これは案外どこでもありそうだが
「アナ雪」を「雪アナ」と言ってしまいそうなこと
これはどこかのテレビの取材シーンでも見かけた
やっぱり母も「雪アナ」と言っていた
お年寄りは日本語の意味が通じる雪アナの方が
覚えやすいのだろう

ということで、可愛いお年寄りの勘違いは
これからも続きそう
こうした生活の連続が実は生きるということなのかも知れない
(などと思ったりして)

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「You は何しに日本へ」から思うこと

2014年12月29日 21時33分41秒 | 徒然なるままに
テレビ東京に「Youは何しに日本へ」という番組がある(この地区ではテレビ愛知)
ある時偶然見かけたのがきっかけで最近は放送時間を覚えてしまった

日本に来る理由は人それぞれ
自分がドイツに憧れるように、他国の人も日本の何かに憧れて来たりする

ところで今日の本題は、この番組を見て感じたこと
それは
「人生はもう少し気楽に考えて良いのでは!
番組が終わる頃何時もそんな思いに襲われる
日本に来る人が皆んな高い目的意識を持っているわけではない
むしろそんな理由で来てしまうのか
と思うことも少なくない

しかし、そう言う彼らの明るい表情は楽観的で、日本人のよく使うポジティブといったものとは違う印象を受ける

日本人の外国への旅は、少しお金に余裕がある人が多いが、何故かこの番組に出てる人は単に自分の感情に正直なだけの様な気がする
そして未来に対して不安を抱いていない

そんなに楽観的でいいのか?
と突っ込みたくもなるが、もしかしたら人生はそんなものかもしれない

この番組に出て来る若者を、つい今の日本の若者と比較してしまうが、日本人は(いい意味で)もう少しいい加減で良いのではないか

未来は何とかなる
もちろん何とかしなければならないこともある
しかしそれでも人生は何とかなる

こんな風に思うのは無責任過ぎるか?
それとも優しいアドバイスか?
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誰も聞いていないと知りながら

2014年12月28日 22時04分53秒 | 徒然なるままに
のちのおもいひに

夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
──そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

これは立原道造の美しいソネット

自分が初めて書き写す行為をした詩
しかし何故か正確に覚えられなかった
読んでいるとうっとりしてしまって
覚えるどころではなかった

最初の出だしが好きだったが、今は2番目の
──そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

この部分が気になって仕方ない
ついつい今の自分に置き換えている

誰も聞いていないと知りながら語ることの辛さ ・寂しさ ・孤独

甘いだけではない寂寥感を感じさせるこのソネット
これを美しいと感じてしまうメンタリティーの人たちは
きっとたくさん傷ついたことだろう

確かに存在した何か美しいもの
それに対する郷愁
それは安易なポジティブな言葉の羅列よりも人の心に訴えかける

昔子供だった大人は
何か大切な事を忘れてしまってはいないか?

弱々しい中にも覚悟を感じられる大好きなソネット
ほんと美しい!

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人格者ぶるつもりはないけれど(ザ・インタビューと82円のお節騒動)

2014年12月26日 19時00分49秒 | あれこれ考えること

さらっと報道されているが
おかしいのではないか!
と思うことがある

金正恩の 暗殺をネタに
コメディータッチに扱ったザ・インタビューの映画のこと
北朝鮮のサイバー攻撃が行われたとしてソニーピクチャーが
上映を中止したとか再開したとか

そして表現の自由を阻害する行動に対しては
断固反対するとか

しかし、よくわからんないのは
何故この映画を作ってしまったかということ
酷い人間だとしても、暗殺を仕掛けることに逡巡しないような
雰囲気にあふれているし(人は人を殺傷することはそんなに軽いものではない)
パロディだけにちょっと馬鹿にしたところがある
自分のことをあんな風に扱われたら
普通の人間が見れば金正恩でなくても 腹が立つに違いない

それやってしまっていいかということ

北朝鮮も北朝鮮で大上段に振りかぶる前に名誉毀損か何かで
制作会社を訴える手はなかったのだろうか 

とにかく、面白ければなんでもあり
と言うのは良いことではないのではないか 
自分を人格者ぶるつもりはないが
何の抵抗感もなくテレビでどの局も同じパターンの
解説をしている
制作会社も変だとは思わないのだろうか
別に北朝鮮の肩を持つつもりはない が

82円のお節騒動も気分の良くないニュースだ
1万5千円相当のお節がインターネットで82円で
販売され多くの人が申し込んだが販売会社のほうが
申し込みをキャンセルしたが
実は(販売会社側の言い訳を聞くと)制限数3名の
表示が抜けていたということらしい

表示が抜けていたのがうっかりか、
それとも別の理由かはっきりしないが 
この販売に疑いもなく飛びついてしまい腹を立てる消費者も
問題ありなのではないか 

82円で立派なお節は絶対できない
なのに販売されるとしたら
何か理由のあるはず、数に制限があるとか
当たりにくくなっているとか、、、、
そんなふうに想像するのが一般常識

そのように考えず表に出たものに対して
反射神経のように反応する態度は
(応募する態度、文句をいう態度) 
果たしてどうなんだろう

これら2つの事件は全く関係ないように見えても
実はつながっていて現代人の心の空虚さを表している
そのものではないのか

ホント、気分の良くないニュースだ
報道する方は製作者も消費者も反省すべき!
とは言わないだろうか 

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ニュートン別冊「E=mc2」

2014年12月23日 19時27分37秒 | 

以前に何を羨ましく思えるか
と考えたことがあった
ベンツやロレックスを持っていなくても
大きな家を持っていなくても、充分すぎるほどの収入がなくても
また社会的に認められる立場になくても
それほど残念だとは思わなかった

そんなのは錯覚にすぎない
と言う人がいたとしても、モーツァルトを楽しむ事ができる感覚は
結構時間をかけて習得したもので心の幸福感を裏切ることがなく
他人と比べて得していると思う事が多い

ところが、羨ましいと思うことがある
アインシュタインの有名な美しい公式 

E=mc2

この式の意味を理解できる人、この式から幾種類もの抽象的な
予想ができる能力
これらは、ほんとうに羨ましいと思ってしまう

光の速度が一定であること
質量とエネルギーは変換できること
そして様々な素粒子をまるで目前の事実のように予想すること
また未だ解明されていないことに関して仮説を設定できること
本人にとっては悩みの種であるとしても、そのような思考ができることに憧れてしまう

そんなわけで、というわけでもないが書店で見つけたのが

この本は入門編でわかりやすくて面白かった
アインシュタインの公式から導き出される様々な抽象的な思考が順序を追って説明されていた
2年ほど前に「重力の話」と言う新書を読んだが、これもわかりやすくて心がウキウキしたが、
その中にアインシュタインのあの式の本当の意味をわかりあえたら素晴らしい(だったかな)とあった。
それが引っかかっていて、つい求めてしまった。

科学がこの本のように興味深く説明されていたら
自然界の秘密を追求してみたいと思う人が増えるに違いない

しかし、この理屈を考える人もすごいが、微細な計測を可能にする
実験のための装置を考えだす人も凄い
こうしてみると科学の進歩は本当に多くの人の手によって
進められているという当たり前の事実に落ち着く

それにしても、分かった!
とひらめいた時の幸福感は尋常なものではないだろうな
そしてそれこそを羨ましいと思う

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「知と愛」 再読

2014年12月19日 19時48分11秒 | 

そんな話だったんだ
途中若干の休みをはさみながらの
ヘッセの「知と愛」を再読して真っ先に覚えた感情
おおまかなストーリー展開は覚えていたが
こんなに地の文章が多い小説だったとは思わなかった

初めて読んだ時のから自分も歳を重ねて
批判的に読むことを覚えてしまったために
言わんとすることは分からないではないが
多少作り物適ぎる展開に少し違和感を感じないでもなかったが
それでもヘッセのひたむきさ、ずっと彼が追い求めていたものは
やはり心を打つ

生活する、感情と共に生きる、そうしたことは
いわばどこか人工的な、しかし尊敬されそうな精神の生活と
同様に価値があるもの
そしてそれは母へと向かう道

放蕩息子のようなゴルトムントの生き様は
前作(?)のシッダールタでも堕落するシーンで見られる
しかしひたむきに生きたものは、
シャボン玉の詩にあるように様々な行為に優劣の差はなく
全て尊い 

「知と愛」は東洋的な(ロマンティックな)到達点ではなくて
西洋的な一見理詰めの結論に至る
しかしゲーテやヴァーグナーの女性的なものによる救済と
通じるやはり理想、憧憬的な結論
それはドイツ人が持っている内省的なロマン的な
性格によるものなのかもしれない 

そして何よりも感じたことは
自分が随分ヘッセに影響を受けている点
話は忘れていても 感じ方の基本的なところは
読書していてもすんなり入っていった

来年は4月にヘッセの誕生の地カルフ(CALW)に行く予定
多少余裕があるのでこの「知と愛」の舞台マウルブロン修道院もいいかな
と思っているが、少し辺鄙なところなので訪問は今のところ未定 

この間名古屋の書店のドイツ文学のコーナーにはゲーテと並んで
ヘッセが割合大きなスペースを占めていた
同時代のやはりノーベル文学賞受賞のトーマス・マンはほんの数冊
日本でのヘッセの人気ぶりが分かる
と言うより、ヘッセのひたむきさ、真摯さが心をうつからなのだろうか

ヘッセの作品群は政治家さんに読んでもらいたいが
読まないだろうな、、、 

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写真力(松坂屋 篠山紀信写真展)

2014年12月14日 18時40分33秒 | 徒然なるままに

名古屋の金山駅にジョン・レノンとオノ・ヨーコの
大きなキスシーンのポスターが掲げてあった
松坂屋で篠山紀信の「写真力」と名付けられた写真展の紹介だ

松坂屋で買い物する計画だったので
ついでに寄ってみた
入場料は1000円 これが高いのか安いのかは
満足感と印象の深さによる

最初はポスターにあるジョン・レノンとオノ・ヨーコの写真
続いて芸能人・スポーツ選手の馬鹿でかいアップの写真 

この写真展で一番印象に残ったのは歌舞伎役者の部屋
やっぱり顔を中心に撮られていたがその表情の豊なこと
大きく見開いた目はもちろんのこと、どこか寂しげな女性の佇まい
なにか企んでいそうな視線
歌舞伎役者はこんなにも表現力があるのもかと感心すること仕切り
ついでに、東洲斎写楽はこのような絵を描ききったんだと思わず納得
次に写楽の絵を見るときはもう少し深く見られそうだ

ヌードも刺青を施した男の集団やら
体に写経やら物語の文字が投影されてるものやら 
宮沢りえの有名な写真があったが、自分はその宮沢りえの写真の
左下の豊かな乳房の写真が気に入った
両手を頭の後ろの方にして乳房を引き上げているが
その豊かな胸は圧倒的な存在感
美しいとかきれいとか、そんなんではなく
単純に触ってみたい欲望が起きあがってくるような気がした

3.11で被害を受けた方の写真もあった
目のあたりが似てるからおそらく姉妹なのだろう 
二人の女の子の映った写真が あった
左の女の子はサッカーするような服を着ているが
靴は長靴だった
その隣の女の子もとりあえずと言ったいでたちの服装や靴
そしてその表情はその歳では味わってほしくないような経験をしたものの瞳 
この写真にも圧倒された

なるほど写真力とはうまく言ったものだ
写真は拡大するとそれなりに迫力はあるだろうけど
これらはやはり才能のある人の作品群
ざっと見ただけだったが1000円分の価値はあったかもしれない 

 

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選挙結果は民意の現れか?

2014年12月12日 19時55分00秒 | あれこれ考えること

選挙まであと少し
この地区では急な選挙に投票場所が確保できず
普段と違う場所に移動 

この日は資源回収と重なるから
資源回収に出かけたついでに選挙に 
寄る人も少なく無いと思われる

ところで、選挙が民意の反映の結果とは
ならないのでは?
小選挙区制は民意を反映しきれない死に票が
発生するシステムだが
それ以前に、大雑把な民意というものが
どうも選挙には現れにくいのではと思ってしまう

今アンケートを取れば原発再稼働に反対する国民が多くて
再稼働を推し進める人たちには不利な結果になるはずなのだが

同様に特定秘密保護法案についての反対意見も無視できないほど多い
憲法改正の取り組みについても日本人の重い腰は簡単に改正の方向には
向かわないと思われる

しかし、選挙の結果こそが民意の現れとするなら
予想される結果は、ブレーキをかけようとするそういう声も
民意は政権与党にあり都の解釈で暴走する可能性がある

ナチスの台頭、ヒットラーの暴走をドイツ国民は簡単に
ストップできると考えていたが、結果的にはそれどころか
とんでもない世界になってしまった歴史上の事実がある
日本が同じようなことにならないか
それが心配
今のところは暴走をストップできるようなシステムが有ると
宣言しているがいつ何時そのタガが外れるか分からない

気がついたらとんでもない世界になっていた
しかも理屈の上では国民の総意という形で
こうなったら悲劇だ

自分の胸の中に自然と沸き上がってくる不安感は
何なんだろう?
今の政治、これからの政治を言葉の上の理解では
問題ないように思えても
どうやっても不安感は拭い去れない

最後の最後のところで間違った判断を下さないために
人間性というか、教養というか、人間力といったものが
要求されると思うのだが、現在の政治家たちは
技術職、政治家という職業人で終始

本当に大丈夫なのだろうか?
とんでもない結果となって、後で
こんなはずでは!
と言わないために、自分ができることは何か?

とりあえず、選挙にはかならず行く
国民は冷静な判断を
投げやりにならずに!
 

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大好きな小曲(秋冬にふさわしい曲)

2014年12月09日 19時33分35秒 | 音楽

秋から冬に変わるこの時期
いつもならブラームスのクラリネット5重奏曲とか
4番の交響曲を聞くことが多かったが
今年はフト耳にしたこの曲が気になって仕方ない

<!-- グラナドス スペイン舞曲 オリエンタル -->

グラナドスのスペイン舞曲からオリエンタル
憧れとか思い出とか切なさとか
眠っていた感情を引き起こされて胸が張り裂けそうだ
情熱的なスペインにこの様なメロディが生まれていたとは

同じようにやりきれない感情を引き起こすのが
モンポウの歌と踊り 6番
<!-- モンポウ 歌と踊り 6番 -->

モーツァルトやベートーヴェン、ブルックナーもいいけど
この手の音楽も無視できない
感情に酔ってしまうほどではないが充分に感傷的
というかもろに感情に訴える

イギリス民謡も何故か好きだ
ボーンウィリアムズのグルーンスリーブスによる幻想曲
<!-- グリーンスリーブスによる幻想曲 -->

元々のグリーンスリーブスが大好きだが
アニーローリーも心惹かれる
<!-- アニー・ローリー -->

こんなに理性よりは感情に訴える音楽に癒やされている自分は
少し心が疲れているのだろうか

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予測は外れても責任は取らない

2014年12月08日 20時17分46秒 | あれこれ考えること

内閣府が8日発表した7~9月の実質国内総生産(GDP)改定値は
物価変動の影響を除いた実質の前期比で1.9%減(年率換算)

多くの民間調査機関の予測は外れた
そしてもしかしたら政府、いや官僚の思い描き
あってほしい数字からも外れたのではないか

こうした数字は未来のことは分からない
の一言で単に外れただけで終わっている

もちろん確かに先のことは分からない
しかし、夢や希望、やりたい事業のことを語るときには
この数字はひとり歩きしないか?

と言うより、数字を目的化するためい様々な統計を
とってはいないか
統計は嘘をつかないと仮定するなら
その標本となる母集団の選択は正しかったか?

多くの人は統計の結果だけを知りたがり
その統計の母集団については追求しない
そこで、ある意図を持った集団は自分たちに都合の良い数字を
作り出すことができる

消費税アップで消費の落ち込みは予想以上の結果になっている
そのうちに慣れて直ぐに元に戻るというのが
上層にいる人達の判断
しかし、なかなかそうは行かなかった
別の理由を考えることになり異常気象、冷夏などが
影響したと、解説しているが本当にそうなのか?

多くの数字、予想する数字は外れる
道路を新たにつくるための予想通行量は
予想数字には到底達しないところや
飛行場をつくっても稼働率は予想と大きくハズレる

地元新城市の新市庁舎の建設問題が騒がれているが
当初の計画の新城市の人口は52000人
しかし実際は38000人にまでダウンするのがほぼ確実と
見られている
大きな市庁舎をつくるためには予想数字は大きくなければならない
しかしもはやその数字は到底信じがたい 

いろんなひとり歩きしている数字はあるものだ
銀行から融資を受けるための計画書
まちなか活性化するための補助金を受けるための市場分析
駅を新たにつくるための経済波及効果
それらは検証する人がいないために発表しただけとなる
銀行は流石にシビアに判断するかもしれないが
ある面銀行もある種の意図を持っているために
書類上の不手際さえなければ通してしまうことも多いのではないか

本当に誰も先のことは責任を取らない

原発の何かあった時の責任は取ります
と宣言したとしても、誰がどのように責任を取るというのだろう
責任をとって役職を辞職するだけでは収まらない
具体的に保証金の問題、代替え地の問題、健康の問題
その他いろいろについて、本当に責任が取れるのか

残念ながら我々は議員を選ぶことによる民主主義を実践している
国民一人一人が様々な知識を持つことは不可能な時代になっているためだ
しかしその議員すらも実はプロフェッナルではない
問題となるテーマを考えているのは実は官僚
しかし彼らはその政策・方針の正確さや効率は想像できても
残念ながら人が生きていくと言う社会の漠然としたファクターまでは
想像がつかないのではないか

しかし先のことは分からない
というのも厳然たる事実だ
だからこそ、間違っても仕方なかったと
自分が納得できる選択を
其の立場にいる人達にはしてほしいものだ 

ところで、民間のシンクタンクの人々の予想数字が
外れることがあるが、彼らはどのくらいの責任感と自負心をもって
臨んでいるのだろう
数カ月後には皆忘れているから、そんなものは予想不可能な事が
起きたの一言で済ませてしまおうとするのか
この予想ハズレの数字が政府や官僚に都合の良い予想 と思うのは
少し斜めから物事を見過ぎているせいなのか
それとも、、、

メディアは数カ月後、一年後の結果を
発表者(シンクタンク)の当初の予想と並列して発表するとかすれば
いい加減な予想はできなくなると思ったりするが、、

実際のところ、ここまでは日本ではしないかな
でも、そこまではそろそろ追求してもいいのではないか 

 

 

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