パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

切り返し

2008年05月30日 03時11分12秒 | Weblog
親「いつまでもあると思うな、親と金」

子「だから今使ってる」

うーーん、子の勝ち?

夜中に目覚めて、
昨日ラジオで聞いた傑作
不意に思い出して

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100円ショップ。感心するけど、、、

2008年05月29日 22時29分35秒 | Weblog
時々思う
100円ショップは本当に何でも揃っていて
しかもその価格が100円(安い!)
しかし、それでいいのかな、と

どんな商品も一目見ると
どうやればこの国の100円で
儲けも含めて販売が出来るのだろうかと

大量生産と人件費の安いところで生産しているから
それは実現できる、と説明されるが
実感はその説明以上の違和感を持つ

つまり感覚、感情の判断は100円では出来ないように
思えてならない
いくら機械化が進んでも
結構人手がかかったり
輸送に費用がかかるから
なにかどこかに犠牲がなければそれは実現できない

そして今は安易に低価格の商品提供を
単純に喜べる心境でもない
その犠牲になっている誰か知らない人
必要以上に大量生産し、物自体は愛されていない商品など
少しばかり想像力を働かすと
首を傾げないではいられない

物が売れているから経済が成り立っているのだとしても
このような消費一辺倒な
そして不公平な(犠牲になっている誰かに対して)
社会は何とかならないものなのかな

と言いつつ、その世界を存分に
満喫している自分がいるのだが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近よく聞く言葉

2008年05月28日 21時56分23秒 | Weblog
さすがに一時期ほどではないが
「粛々と、、、」というフレーズ
特に政治家の人よく使っていた
福田首相が何かの答弁で使ったのが始めだったようだけれど
みんなで「粛々と、、、」
いったい何をするんでしょうね

それから「リスペクト」という言葉
これもなんだか知らないけれどよく使われていた
敬意を払うとか尊敬するの意味だが
それを英語にしてしまって答えている
スポーツ選手のインタヴューに
少し違和感を感じてしまった
(何故だろう?)

英語のほうがニュアンスが伝わるのか
それとも単に流行り言葉(?)だったのか
どちらにしても言葉が段々軽くなっていく
ように思うのは気のせいならいいのだが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリンカップ 日本対パラグアイ

2008年05月27日 22時00分23秒 | Weblog
日本0-0パラグアイ


ガラッと変わった先発メンバー
第一勘は頭が重そう(スピードに欠けそう)
中村俊、遠藤のパサーに巻の頭、山瀬の突破では
正直なところ得点の匂いがしない

進むうちにやっぱりみたいなことになった
中村がスコットランドであれだけ活躍できているのは
彼の特徴とスコットランドのサッカーの相性が良いせいだろう
つまり正確なクロスとそれにあわせるヘッドの強さ
巻は国内では通用するかもしれないが
国際試合ではなかなか難しそう
ようするにどうやって点を取るのか
イメージがわかないのだ

前の試合みたいに玉田、大久保、松井のスピード系を
並べても早いことは早いが最後のところで
あわてて(特に大久保)やはり期待薄になってしまう

困ったものだ
得点を取るイメージが全然わかない
期待できるのは闘莉王の得点力みたいな感じしかしない

それにしても前のゲームは
日本人はトラップが上手くないなあ
そして今日はバックスからのフィードが
いまひとつだな、と基本的な技術不足が気になった

それと、早いプレーと正確なプレー
いったいどちらがいいのか?
究極の選択みたいなことが頭に浮かんだ
前回も今回ももっと落ち着いて
正確につなげばいいのに
と思うようなシーンがあった
決まれば華麗なのだが
決まらなければ単にあわてているだけに見える
ようはその選択なのだろうが うーーんいまひとつ

鈴木は休み明けでまあまあ
中村俊は正確なパスで存在感あるが
ちょっとテンポが緩みがちになりそう

実際のところこのクラスになると
センスが必要になってくるだろう
後半大久保が右サイドをぬけて
センターに折り返した時
相手に当たってしまったが
あそこで当てる当てないは大きな差で
当てないのがセンスというもので
(ストイコヴィッチなら当てない)
努力ではなんともならない分野みたいな気がする

巻もその意味では懸命にやっているが
本当はロナウドみたいに
チンタラやっていても決める時だけは
きちんとするような存在にもなってほしい

だがこの国はディフェンシブフォワードなる
守りを懸命にする人間が好まれている
これもチョッと考え物のような気がするけれど、、、

なんか最近代表の試合イマイチばっかりだ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代劇の時代?

2008年05月26日 21時02分25秒 | Weblog
最近書店に行くと
時代劇の小説、それも江戸時代のものが
多いような気がする
人気作家が偶然重なったのか
それとも時代の空気がそれらを望んでいるのか?

外国の人が日本に来て一番面白いテレビ番組は
もしかしたら時代劇ではないだろうか?
変なヘアースタイルの侍や衣服、道具
我々が慣れっこになっているものも
不思議なものに見えるだろう

閉塞状態が続く現在
善悪がはっきりして楽しめる
時代劇は知らず知らずのストレス解消法なのかもしれない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行き詰まった資本主義?

2008年05月24日 15時40分45秒 | Weblog
なんだか変だな!
と多くの人が思っている現代

社会主義国家が上手くいかず
資本主義が正しかった!
というにはあまりにも多くの問題が噴出している

昨年トライして結局途中で読めなくなった「資本論」
この本の中に何らかのヒントがありそうな気がして
再度取り組んでみようという気を起こさせたのが
「超訳『資本論』」 的場昭弘著 詳伝社新書

話を正確にするために、しつこく概念を繰り返し
また普段の言葉とは離れたところの用語が
頻繁にでてわかり難い内容(の本編)を
今風の(誤解を恐れない)割り切った表現で
超訳(紹介)している

それでも判らないところがあるが
一気に読み通して、何が書かれているかを
大づかみしてみると
やっぱりこの本(資本論)は再読、再吟味、
再評価に値する本の様な気がする

資本主義に内包する矛盾や不公平さ
それらは冷静な観察眼で明らかにされている

さて、それらをどうして解決するのか?
となると残念ながら依然として
自分のレベルではいかんともしがたい

ただ、多くの人が前提となっていて
疑うことのないこの自由主義(資本主義)を
再検討する時期になっている様な気がするのだが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花は蜜を作り続けるのだろうか?

2008年05月22日 06時18分26秒 | Weblog
5月も半ば過ぎ
さすがに陽が上るのが早くなってきて
ついでに目が覚めるのも早くなってきている

そこでつい要求される仕事が
庭の木の水遣り
しかしこれが結構興味深い
木々をよく見ると小さな花が咲いている

ソヨゴ 本当に気づかないくらいかわいい花
先日はエゴノキの花が満開だった
そこで花は上向きばっかりではなく
下に向いて咲くものもあるのだと
改めて知った(そんなのは当たり前?)

花が咲くと蜂が集まってくる
この蜂もどうやら早起きのようだ
人間の邪魔をしないように(?)
朝早く活動しているみたいだ
(この庭のところでは)

ところで急に疑問に思い当たった
「花の蜜は蜂に吸われてしまっても再生産するのだろうか?」
今までは一度吸われてしまったらもうそれで
蜜はおしまい、花粉も交配できて
全て終了!と思っていた
しかし、何日か見ていると同じ花らしきところにも
蜂は酔ってきてチョコット首を突っ込んでいる
となると、もしかしたら花は蜂に一度蜜を吸われても
また作り出すのかな?と思った次第だ

こうして自然を見ていると
生き物って本当に凄いな!
と同時に人間なんて、えらそうにしているが
たいしたことないのかもしれない
とつくづく思う

それにしても花は毎日蜜を作り続けているのかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せそうではない(?)現代

2008年05月20日 21時06分58秒 | Weblog
カラヤンとメシアンは同じ年生まれで
今年生誕100年
イメージ的にはメシアンの方がずっと若い世代と思っていたが
そうなのか、、、
しかし、メシアンはもう「世の終わりのための四重奏」と
「トゥランガリーラ交響曲」くらいしかCDが並べていない
一方カラヤンは百花繚乱の様

だがずっと後の時代にはどんな評価となるのだろう
カラヤンは音楽家としてではなく
録音媒体の可能性と音楽ビジネスを広めた者としてしか
評価されなくなるのではないかな

メシアンは、どうなるのだろう?
というよりは現代音楽はどうなるのだろう?
詩的なタイトルを持っていても
なかなか心に響かない音楽(メシアンは自分にとっては何故だか心地よいが)
確かに現代人の複雑な感情を表していると
言えなくはないが
我々の様な素人にはチトきつい!

なんだかな!
音楽も絵画もエラク難しいものになってしまった


これから推察するに
現代人は精神的にはあまり幸せそうではないみたいかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しい「豊穣の海」の本

2008年05月19日 22時24分38秒 | Weblog
「春の雪」 680円
「奔馬」  720円
「暁の寺」 660円
「天人五衰」580円
三島由紀夫の「豊穣の海」単行本
昭和46年出版分の価格だ

何度も読み返す、なんてことは全然ないが
この本の装丁が凄く好きで
(内容にあった色彩の表紙や絵柄のカバーが)
手元に置いておきたくて、
ずっと本棚の一部を占めたままでいるし
おそらくこれからもそのままだろう

実際の作品の内容は別にしても
本という商品を作り上げるのに
関係者の皆が気合いが入っているのを感じ取れる

そういえばこの時代(?)レコードジャケットも
音楽内容に劣らずしゃれたものが多かった
そう、何かをつくり出すエネルギーに満ちていた

今は売れる商品を産み出すテクニックが見えすぎて
(ビジュアル的に軽い感じだったり?)
大いに刺激を受けた世代の我々には少し物足りない

それにしても、この三島由紀夫の本、37年前の物だが
今の価格と比べると随分安い
もっともその当時コーヒー1杯が80円くらいだったから(多分)
それほど安い物ではなかったのかもしれない
(岩波文庫も星一つは50円だったし)

ところで、せっかくだからこの本再読してみようかな!
ただ、奔馬のカタカナばかりのところはしんどそう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤いレコード

2008年05月18日 19時36分22秒 | Weblog
レコードは黒いものばっかりではなく
赤いものも、かつてはあった
残念ながら販売時期はそんなに長くなかったようで
今、自分が持っているものも数枚に過ぎない

変ったレコードは色だけではなく
モノラル録音を無理矢理ステレオ風にした
疑似ステレオなんてのもあった

今振り返ると笑ってしまうが
その当時は最先端の技術だった(?)

そういえば同じように笑えてしまうものに
テレビに関するものもある
今は大画面のテレビが当たり前だが
昔はテレビの画面の前に凸レンズの様な
ガラスをはめて、拡大したこともあった
またテレビを見ない時などは
テレビに舞台の幕みたいなものをかけたりして
まるで宝物の扱いだった(?)

偉そうにしていても、今のものでも
後10数年経過すれば笑ってしまうものもあるに違いない

ところで赤いレコード
自分は結構気に入っている
カビが生え難いみたいだし、丈夫そうだし
ちなみに写真はビートルズの
「ラバーソウル」


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする