パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

昨日はひな祭り

2025年03月04日 10時07分22秒 | 徒然なるままに

昨日は3月3日 ひな祭りの日だった
今は子どもの姿がない状況だが、おもちゃのようなお雛様を飾って
晩御飯は桃色のデンブの入ったきれいなちらし寿司をいただいた
年々、こうした年中行事みたいなものは良いものだなと思うようになっている

姉と妹に囲まれた男一人だったが、ひな祭りの思い出はある
と言っても、例のごとく変なところを覚えているのだが
それは家族で5段飾りのひな壇をつくるときのこと
緋毛氈で隠れた階段状の一番下は断ち台で、そこから上は
家にある適当なものを探し出してきて、格好だけはつけていた
階段の後ろには生々しい生活感のあるものが隠されている!
なぜだかこの実感だけは今も覚えている

こうして思い出して見ると、菱餅もきれいだったな
最近は菱餅なんて見かけなくなったな、、とも思える
(食べてみるとそんなに美味しかった印象はないのだが)

ところで、この日は桜田門外の変が起きた日でもあった
土方歳三はこの事件に関して俳句を残している
ふりながらきゆる雪あり上巳こそ 
(下手なのか上手いのか、、どうなんだろう)

ところで井伊一族の子孫が高校の同級生にいたので
井伊直弼は歴史上の単なる人物以上の感覚で
舟橋聖一の「花の生涯」を読んだりしたが
これまた変なことに覚えているのは井伊直弼ではなく
ヒロインの村山たかのほうだった

ここ数年で最後に京都に出かけたのは、
この村山たかが最後に住んだとされる金福寺だった

そこには井伊直弼から贈られた掛け軸などがある
でも自分がここに訪れた時、小林一茶は注目されていたが
彼女は忘れられた人のようだった

ひな祭りで思い出したこと、、
ホント変なことを覚えているのは何故なんだろう

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詐欺メール

2025年02月26日 09時22分57秒 | 徒然なるままに

ヤマト運輸からメールが来ていた
なにか変だなと直感的に思った
確かにアマゾンで最近購入したものはある
だが、それは既に手続きを終えて、あとは届くのを待つだけだった
念の為にスクリーンショットを撮っておいた

そして「お届先住所の確認と修正 ヤマト運輸」で検索してみると
やはり、これは嘘の類のようだった
一番最初に行ったのはヤマト運輸のメールアドレスの確認だったが
それは何故かちゃんとしたものだった

でも、よくよく調べてみると自分宛のメールは
最近使っていないODNの方に来ていた
アマゾンとかヤマト運輸からのメールは普段はOCNの方に来ている

昔のODNの方のメールアドレスは、ランダムで作っても該当しそうなアドレスで
最近はもう少し面倒なOCNの方のアドレスを使うようにしている

ということでこれは詐欺メールと判断して、
これに騙されないように!とここで紹介しておきます

ところで、こうした詐欺メールはスマホの方にもこんなのが来ていた



これもすぐさま削除せずに、スクリーンショットを撮っておいて
いつか警告すべきものの一つとして紹介できる機会を探っていた

それにしても悪いことをする人、考える人はいるもので
ミャンマーとタイの国境付近のアジトには信じられないくらいの
怪しい人達がいるようだ

悪とかずるい行為が世の中に一定数存在するのは
人間の持つ不完全さとか、生物として生き延びるためへの
一種の可能性への追求と思えないでなないが
それでもこうした行為は無いに越したことはない

世の中で一番怖いのは人間!という言葉をフト思い出す



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練習光景は面白いか?

2025年02月14日 09時31分30秒 | 徒然なるままに

今日もテレビでは大谷さんのキャンプの報道が流れていた
またか!とついチャンネルを変えたくなってしまう
それに対して大谷さんは責任はないし、彼を扱えば視聴率が稼げるのだろうが
このメディアの熱狂ぶりは少し怖い
もしかしたら戦前のメディアのそれいけドンドンの空気は
こんな感じだったのかと偏屈者は想像してしまう

ところで、練習風景というものは見ていて面白いものだろうか
野球の練習は基本的に個人のレベルアップにあるように思える
それには年々新しい器具や考え方が取り入れられて
確かに少しの驚きや興味を覚えるものもある
(大きなボールとか段差をつけた場所からの投球とか
 歩きながらのバッティングとか)

内野手は定番化されたノックを受けて送球の練習などが多い
だがそれらを見るということは一体どういうことなのか?
と考えると、それは練習自体の内容はあまり問題ではなさそうな気がしてしまう
つまりある選手を生で見たという感覚が、見物人には大きな意味があるように思える

同じ練習でも比較のためにサッカーの練習風景を見るとする
するとその内容はチームによってだいぶ違いがある
サッカーも確かに個人のレベルアップの練習は存在する
ただし、サッカーは相手があって初めて成立する競技で
相手はどんなふうに対して向かってくるかわからない
一対一とか、一対二とか(最近の久保は相手チームは二人以上で対応している)
だからチームで戦う方法は各チームごとの特徴があるしそれは練習の賜物だ
確かに野球も相手があってのことだが、基本的には一対一の戦いだ
(ピッチャーとバッターーの)
だからこそ、野球では自己の技術をレベルアップする方法が役に立つと思われる

サッカーの練習風景は非公開ということがよくある
サッカーは、一人ひとりがスーパーなチーム(レアル・マドリーのような)が勝利に近いのは確かだが
時には一人ひとりの気持ちの入ったプレーとか、戦術的な効果で強者を倒すこともある
例えば攻め方がある人を中心にしているなら、その選手にボールが行かないようにするとか
その選手がボールを持ったならば数人で対処するという方法をとることが考えられる

練習風景を見ればチームが次の試合でどんな守り方とか対策をしているのか
それがわかる
わかってしまうと対戦相手は今度はそれに対する方法を考える
この対策の対策をされないために練習は非公開とするのがサッカー界では
当たり前のようになっている

サッカーの練習方法は個性的なものがあって、日本代表の監督だったオシムさんは
練習試合のビブスの色を味方2色、相手2色の合計4色で行ったことがある
味方へのパスは自分と違う色の選手にしかパスできないルールで
ボール保持者は顔を上げてパスできる選手を探すし
受け手の方は多少ポジションを崩しても貰える位置に移動しなければならない
それが適切かどうかを瞬時に判断する癖と勇気を身につける練習だ

またザッケローニ監督は守りが堅いイタリアの戦術を取り入れるために
守備側の選手同士がロープを繋いで、選手間の距離を一定にする訓練をしたそうだ
(つまりは危険なスペースを作らないようにするために)

自分がJリーグの試合を見に行った時、楽しみにしていたのは試合前の練習だった
小学生のチームのコーチをしていたので、取り入れることができる練習が
あるかもしれないと思えたのだった
(でも最近の試合前の練習はウォーミング・アップの意味合いが強く
 あまり参考にならない練習が多くて少し残念だ)

いずれにしても、なにか新しい発見がある練習風景なら面白いと思うし
新しい発見と思える感覚を持ちたいものだ

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ドクターイエローは見たけれど

2025年01月22日 09時21分03秒 | 徒然なるままに

見ると幸運が訪れると言われるドクターイエローが役目を終える
確か、京都駅で写真を撮ったはず!と思い出してライブラリーから探してみると
これがあった(2017年 2月8日だった)

写真好きの知人は、走っているドクターイエローを撮影し
それを拡大したものを地区の文化祭に出品している
どうやって走るドクターイエローを撮影できるのか尋ねたところ
彼らは何らの方法で走る時間を知っているらしい
何でもその道に凝る人は情報通になるようだ

ところでこの日、自分は何をしに京都に出かけたのか?
と記憶をたどるため、その日に撮影した写真をパラパラを見てみると
訪れたのは伏見稲荷、東福寺、清水寺、そこから三年坂を通って石塀小路だった
修学旅行コースみたいだが東福寺が少しマニアックかもしれない
東福寺に行ったのは作庭家 重森三玲の庭を見たかったからで
東西南北にそれぞれ異なったテイストで作られており
2回目のその時は前に見たときよりもすんなりと良いな!と感じたのだった

「花より団子!」は確かに動かしがたい事実で京都での楽しみは食べ物もある
ただし、金額がのすものはあっさりパスで、にしん蕎麦とかお雑煮とか
その程度の金額で済むものしか手を出さない

この時は、今はもう無くなってしまった錦小路の「杵つき餅や」でいただいたのが
白味噌仕立てのお雑煮と安倍川餅のセット
お雑煮は鰹節の香りとか出汁が効いていてとても美味しかった
でもひとつだけでな満腹にならないので、安倍川餅のセットにした

昔はよく歩いたものだと、今は思う(この時以上に歩くことが多かった)
最近は京都に出かけても、1.2箇所いけばそれで充分となっている
その代わり知識が増えた分、一つ一つを楽しむことができるようになっている

昨年は「光る君へ」で京都の年だったが、一度も行かなかった
今年は行けるようになるかな(気分的にも)

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おもしろ英語(?)

2025年01月08日 09時17分43秒 | 徒然なるままに

最近のJpopは英語表記のものが多い
流行に疎い自分は、その英語が曲名なのかグループ名なのか
迷うことも珍しくない
差別化を求めるなら英語一辺倒ではなく
時には漢字を使ったほうが目立ちそうな気がするが
試みる人は今のところいないようだ

都知事の小池さんはやたらとカタカナのフレーズを使いたがるが
同じ意味ならばむしろ漢字とか、わかりやすい日本語を使ったほうが
知的に見えるような気もする
でもこの批判(?)は清少納言が漢文の素養があると自慢気味だったところを
紫式部がちょいと批判的に日記に残した感情と似ているのかもしれない

ところで自分らの英語の授業は中学一年からだった
その頃、話題になったお遊びはこんなものだった
まずはハムレットのなかの有名なセリフを示す
「To be, or not to be, that is the question」
この意味を尋ねたあと、次の文章の意味を尋ねる
「To be to be ten made to be」
「生きること、十であることは生きることを作った」
これではほとんど意味をなさない
答えは「飛べ 飛べ 天まで飛べ」をローマ字で書いただけだったのだ
なーんだ、と上手く騙されたことを思い出した

そう言えば嘘か本当かわからないが、面白い表現にこんなのがあった
「Nature calls me」
直訳は自然が呼んでいるだが意味はわからない
自慢げにわかっている人が解説する
これは「おしっこに行きたいという意味の英語表現なんだよ」
「そうかな?」と思いながらも壮大なものが自分を呼んでいる
というのは、なかなか印象的で今も覚えている

今日は1月8日 
こうしたのどかな話題で一年が推移すれば良いのだが
どことなく世界は混乱の度を増しているかのよう
願うことは一つ「良い年でありますように!」




 

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想像力

2024年12月19日 10時15分10秒 | 徒然なるままに

FBの「光る君へ」グループに参加している
と言っても、見るだけになっているが、それでも十分面白い
メンバーは女性が多いようなので投稿には男には気づきにくいところもある

深読みした(想像した)感想を述べる人もいれば、歴史を解説してくれる人もいる
知らない人同士がこうした交流を持てるのも凄いものだ

ところで、このグループのお陰で「そうだったのか」
とスッキリしたことがあった
それは矢部さんが演じた乙丸の最終回のこと
彼は旅に出るまひろに同行すると訴えたが
彼には太宰府に出向いた時、口紅を手に入れてそれを贈った
愛しい女性がいたはずだ
彼女を残したまま、まひろについていくのは変だな
感じたのだったが、旅に出るシーンの前に乙丸は
仏像を掘っているシーンがあった
それは愛しい女性は亡くなてしまったことを暗示している
シーンだったのだ(この指摘がグループであった)
だから彼はまひろに同行することができたのだ

大したことではないが、こうしたドラマの理解は
知ることだけでなかなか面白い

もう一つ最終回で気に入ったシーンは
まひろの弟をすごく可愛がって育てたいとさん(信川清順)が
年齢を重ねて少しボケてきて、白髪も増えてきて「姫様、若様はどちらに」
と、もうこの世にはいない惟規の仕事の時間が迫ってきていること
が気になって聞いた時のこと
年齢のなせる技をこのように表現する方法があったのか
と感心すると同時に、このときにの家族の気配りがとても良かった
まひろは「そこよ」と父為時を指差し
為時は「今日は休みなのだ」と答える
この柔らかな娘と父の応対はとてもハートウォーミングなものだった

物語を筋だけで追うのではなく、想像力を駆使して自分なりに理解する
それでこそ物語の真の楽しみ方ではないだろうか
想像力こそが人を人としてあらしめる重要なポイントだ
と思えてならない

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音楽で大事なのはメロディ?事業家はそもそも目立ちたがりや?

2024年12月09日 09時42分29秒 | 徒然なるままに

心にうつりゆくよしなしごと、、など

昨日、とても安価で音楽を楽しむことのできる新城吹奏楽団
99回目の定期演奏会が文化会館で開催された
3部構成で、真ん中には小学校の頃、器楽合奏で演奏したスケーターズワルツがあった
自分はアコーディオン担当で、いろんな楽器が参加してきて生じる和音の
ふわっとした感じがとても気持ちよかったのを覚えている

次に演奏されたのはクラシックの音楽が散りばめられたフックト・オン・クラシックス
一曲の中にクラシックの音楽、その題名を尋ねるという試みがなされた

20の中16曲ぐらいはわかった
挙手したマイクが回ってきて、解答して正解だったので
お菓子と次回演奏会の優待券が入った袋をもらえた
(これで元はとった)

ところでその演奏を聞いていて浮かんだの以下のこと
音楽はメロディー、リズム、和音(和声)が三要素とされるが
その中でメロディは際立って大切だな、、と実感した
散りばめられた名曲は、それぞれ際立ったメロディだ
極端に言えばメロディーこそが音楽才能の発揮場所ではないか
と思ったりした

日本の有名な作曲家、武満徹は自身はメロディメーカーとして才能は
ないと思い込んでいたそうだ
確かに彼の作品は記憶に残るメロディはない
その代わり武満トーンと言われる厳しい寂しい音色は心に訴える

話は変わって、最近のポップス音楽
音楽自体よりもダンス等の演出がメインで、曲自体というかメロディは
ちょいと無理筋のモノが多いと思えてしまう
歌の部分だけ取り上げて聴くとその歌はちょいと幼稚な感じがしてしまう

伝説のバンド、ビートルズが今も尚輝きを保っているのは
おそらくメロディメーカーとしての作曲能力が抜群だったからと思われる
どんな駄作でもどこか音楽的なポール・マッカートニーの作品
どこか心の自然な発露と思えるジョン・レノンの作品
それらは武満徹やバーンスタインもその点での彼らの才能を認めている

アカペラで歌われた時、一本の旋律の持つ力がよくわかる
古い曲でも「影を慕いて」などは、メロディに込められた複雑な感情は
感じとれる
だが今の歌は、、、、

なんだかなあ、音楽そのものが大事にされていないようで
いつも不満を覚えてしまう(年寄りの戯言か?)

もう一つ、心に浮かんだのは自己承認欲求の大き過ぎた
とされた折田楓さんのこと
兵庫県知事線でSNS部門を任されたと自身のNoteに書いて
それが盛ったとか、目立ちたがりやとの声があがっているが
事業を起こすとか物事を進めていく人物というのは
多少そうした傾向があるのではないか
(余所者、若者、馬鹿者に通じるかも)

例えばバンドでは目立ちたい人物はボーカルで、
その人がいろいろ引っ張っていくということはある
そしてそのパワーに大衆は惹かれていくことがあるように

彼女の提案した仕事
種まき、育成、収穫と分けて、それぞれの時期に行うことを設定する
スローガンを決めて、それに基づいて行う
これらはそれなりの頭と経験の持ち主の仕事だと思われる
そしてそれだからこそ、誇りたいと言う気持ちが芽生えたのではないか
ましてSNSで有効だったのは立花氏のYoutubeとされつつあったから
それに対抗してそうではないと言いたい気持ちはわからないではない

それにしても世界は分断化されているようだ
アメリカも韓国も、そして兵庫県民も、、
それらには共通の原因があるのだろうか
SNSがそれだと言われがちだが、それば伝わり方も問題で
もっと根本的な何かがあると思えて仕方ないのだが


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「やはり!」と「意外だ!」

2024年12月01日 09時16分07秒 | 徒然なるままに

なんとなく思っていることが「やはり!」となることも
その反対で「意外だ!」となることもある

「やはり!」ではスマホ、タブレット等で読んだものは頭に残りにくい
紙のほうが記憶に残るという実感
これは紙の辞書で調べたのと検索で調べたものの記憶の定着度を
ある試験で調べてみると、圧倒的に紙のほうが良かったという結果で
証明されている

反対に「意外だ!」というのには若者の読書時間だ
今の子どもは本を読む時間は少なくなっているだろう
と想像したが、豈図らんや、徐々に伸びているとのこと
どうやら小学校でよく行われている授業前の黙読タイムで
本を読むことに慣れてきたからと分析がなされている

少し前、若者の中で海外旅行に積極的に出かけるのは「日本では女の子」
と想像して、知人にもこの話をしたら同じような印象を持つと返事が来た
とりあえず「やはり!」と思ったのだが、実はこれは「日本人は」
ではないのかもしれない
というのは、新城の高校生がニューキャッスルアライアンス事業で
モンテネグロに出かけて現地の家庭に泊まり交流を深めるということがあったが
その後で今度はモンテネグロの若い子たちが新城にホームステイして
交流を深めるということがあった
この時、参加者10名の中、8人は女性、2名が男性だったとのこと

若い女の子が好奇心を持ってどこでも出かけてみる!
というのは日本だけでなく、海外でもそうなのかもしれない
だから安直に「日本ではやはり!」と決めつけるのは早計すぎるようだ
(国民性より男女差のほうが大きいのだろうか)

ところで海外旅行は男女差だけでなく、最近は以前と比べて出かけようとする意欲が
減退しているらしい(昨日のテレビ番組 池上解説でやっていた)
そこに少し不安を感じてしまう(なんだか覇気がないみたいで)

それにしても、いろんな面で思い込みによる独断を自ら修正するのは
なかなか難しいようだ(さて、いろんな面と想像したものは何か?)





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本棚を眺めてはニンマリしたりする

2024年11月16日 08時55分39秒 | 徒然なるままに

地図を開いて、登った山のコースをたどりながらニンマリするのは
自分だけでなく、他の人もそうなのではないだろうか
よく歩いたなあとか、こんな山よく登ったなあとか

例えば上高地から横尾を過ぎて槍沢へ、そこから槍ヶ岳へ
槍ヶ岳から西鎌尾根を下って双六岳をやり過ごして鏡平
そこから穂高温泉まで歩くコースは結構距離がある
今なら再度トライしようとする気にすらなれないだけに
昔はよくやったものだ、、と幾度も感慨にふける

本棚に並んだ分厚い読んだ本を眺めてニンマリするのは
これと似た感情かもしれない
消化不良であったとしても読んでいる最中はどこか興奮気味で
その時を十分に楽しんだ(苦しんだ)記憶は
どこか山との対峙と似ている(と思う)

困難な山ほど、昔はよくやったものだと思うと同様に
読んだ記憶のある難しそうな本を眺めると
よく読んだな、、と思う

山も本も、年令による気力・体力の低下でトライすれば
再度できるかもしれないことを、今はやってみようとする気になれないでいる
だからこそ、眺めてニンマリするしかない

眺めてニンマリするだけでは情けないが
ニンマリするもののない人よりは良いかな(と思うことにしている)

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目覚めてから眠れない理由

2024年10月31日 09時20分26秒 | 徒然なるままに

昔のように爆睡はできない
一眠りして目が覚めて、仕方なくトイレにいく
それが自分に限らずこの年齢のパターンだと思うが、問題はその後のこと
すぐに眠れれば良いのだが、なかなか眠るわけにはいかない

ある時、ジムで知り合った屈託のないおばさん(年上)と睡眠の話になった
彼女は夜あまり眠れないので医者から処方された薬を飲んでいるそうだ
でも、それが効かない時があって、一眠りしたあと寝付けないという
ところが眠れない理由を聞いてちょっと笑ってしまった

「フランダンスの動作の順番を、どうだったかなと考えていたら、目が冴えてしまった」
彼女はフラダンスの教室に通っていて、年に一度位は発表会があるそうだ
間近に控えた発表会のダンスのことを考えていて、頭の中で復習していたら
気になって眠れなくなってしまったというのだ
そんなことで眠れないなんて、、考えなきゃ良いのに、、と思い
笑いながら同居人に伝えたら、やはり笑っていた

しかし、これは笑えることではないかもしれないと思い立った
自分は夜中に目が覚めた時、惰性のようにあることを考える
それは今直面しているボケ防止のこの作業(ブログ)のこと
どのネタにしようか?
冒頭の文はどうしようか?
ネタは自分よがりになっていないか?
流れに一貫性とか論理性はあるのか?
そんなことを考えていたら段々目が冴えてきてしまった

フト、これって、おばさんのフランダンスの順番を考えて
眠れないのと同じじゃないかと気がついたのだ

人様には全く関係のないことをあれこれ考えて眠れなくなる
人って、そんなものなんだな、、おもしろい生き物だな
生きているということは、いろいろ考えたり感じたりすることだな、、
そんなことを改めて思う

さて色々考えた末の今日の出来は、、、
(イマイチだな)



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