パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ビートルズのレコードを予約した

2023年10月31日 09時17分41秒 | ダイアリー

元々物欲は少ない方だが年齢を重ねてその傾向が強くなってきた
スマホの家計簿を利用していると自然と節約気味になる
食べる量も減ってきたし、食べたいものもそれほどない

年寄りの一番いけないのは服装に関心を持たないことかもしれない
過ごしやすいジャージーとか、昔購入した服をいつまでも着ていたりする
だがフト鏡を見てみると、その緊張感のなさにヤバイかもしれない、、、と思う
だから時には少しは見栄を張って、実用的なものばかりではなく
おしゃれっぽいものを購入したほうが良いかもしれない

ところで、思い返してみると今年購入したものといえば
レコードプレイヤーぐらいなものだ
これはそれなりの金額だったが、ノッティンガムが思いのほか
高額で下取りしてもらえたので、実費は覚悟していた程にはならなかった

利用頻度の高いアマゾンは、購入するのは本くらいなもので
今年は今までのところ36,000円程度

だが物欲は生命力とか生きる意欲に繋がっているかもしれない
そんな大げさなことを考えたわけではないが、久しぶりに買い物をした
購入したものはレコード3枚セットを二組
赤盤、青盤と言われるビートルズのベストアルバムのリミックス盤だ

このセットの中にはビートルズメンバーの新曲(ナウ・アンド・ゼン)が入っている
これはテープに残っていたジョン・レノンの声とピアノの音を現代の技術で分離し
ジョージ・ハリスンのギターを加工し、新たにポール・マッカトニーのベース
リンゴ・スターのドラムスを加えて作品にしたものだ

この新曲を加えたアルバムとかシングルは現在予約を受けつけているが
世界中で大人気だそうだ

どの程度の完成度かはわからないが、彼らのファンとしてみれば
お祝儀みたいなもので、とにかく手に入れることが優先する
いくつかある商品の中で自分は便利なCDではなくて
音の良いレコードの方を選択した

実は数年前の「アビーロード発売50周年記念」の際も
3枚組のレコード盤セットを購入した
そのうちの2枚は別テイクの演奏で、これがなかなか面白い
未完成の荒々しさとか、試行錯誤の経過とか、興がのってきた雰囲気とか
そうしたものが創作の現場みたいで完成品をは違う楽しみがある

今回はどうやら別テイクが入っているわけでなく
赤盤・青盤に入っていなかった曲が3枚目に入っているようだ

実はビートルズのレコードは赤盤・青盤、リボルバーと
初期のいくつかは持っていなかった
だから、今回はいい機会と考えることにした

ということで久しぶりのお買い物はレコードで30,000円弱

物が届くのは11月の下旬だが、購入を決めてしまうと
早く手にしたいのが人の常  待ち遠しいものだ

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わかるが、それでも、、、

2023年10月30日 09時27分11秒 | あれこれ考えること

その量に頭がついていけないが、この時期だからこそ読み続けている
「ユダヤ人」マックス・I・ディモント著

現在のイスラエル戦争は解決の糸口が見えない
これだけ犠牲者が多くなると憎しみとか報復の感情が優先して
理性的な手段は物足りなくなる人が多いだろう

複雑なイスラエルとパレスチナの歴史
現実的な解決のためには、辛い歴史への共感を含めて
どこまで遡って話を進めていけば良いのかと考えてしまう

いま起きていることの理由は〇〇のせいだ
〇〇もそもそもは△△があったからだ
その△△の事態も元を辿れば□□が原因だ

こんな感じで歴史を辿れば収集がつかなくなる
そのくらいややこしい困難な状況ということだ

日本人の田舎の何の力もないおっさんが
これらの本を読む意味があるのか?
自分でもそう思うが、少なくともこの本を読んでいる間は
それなりの充実感を覚えるのも事実だ

普通なら滅びてしまう民族が生き延びている理由を
彼らユダヤ人は自覚している
それは宗教の力というよりは習慣としての教育だ

モーゼの五書を拠り所とするトーラー
説話集を中心としたタルムード
論理的な思考を民族として持とうとする意欲
それらが実を結んでユダヤ人はノーベル賞の受賞者が圧倒的に多い

翻って日本はこうした教育に関心を寄せているのだろうか
一部の人たちの愛国教育とか歴史認識を独自なものとする傾向には
熱心になっている気もするが、リベラルアーツ的な総合的な教育は
果たしてどうなんだろう

この本を読んで驚きを覚えるのはユダヤ教もキリスト教も
実は思い込みと思われるような天の啓示から始まっているという点だ
思い込みの表現には怒りを覚える人もいると思われるが
ユダヤ教の元となったアブラハムも実質的にキリスト教を広めた
パウロも奇跡という名の天啓があったことから始まっている

疑い深い現代人の感覚からすれば
奇跡(天啓)の科学的な根拠は?
という問が浮かぶが、この問は問題視されないだろう

何かをなすには思い込みが必要!
といったビジネスにも通用しそうな人生訓を
ここで学ぶのは全くの筋違いだが
それでもいい意味での思い込みは必要だと思われる

それにしても、小さな文字でページ一杯に印刷され
その殆どが知らないことばかりの連続のこの本
ユダヤ人の苦難の歴史は理解できたとは言えないが
それでもその時々味わった苦悩は漠然とわかる

この「わかる」という感覚が「それでも」という言葉になるには
人はどれだけの経験をしなければならないのだろう

相変わらず、まとまらない話

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良いゴールキーパーが生まれるには、、、

2023年10月29日 09時09分41秒 | サッカー

前は日本のサッカーに欠けているのは点取り屋だと思っていた
今もその考えに変わりがないが
最近は優秀なゴールキーパーも欠けているような気がしてきた

サッカー大国のブラジルで一番人気のポジションはゴールキーパーだそうだ
コーチをしていた時、小学生のサッカーでは一番なりたくないのがゴールキーパー
負け試合では必ずと言っていいほどゴールキーパーは涙を流した
彼なりに責任感を感じているためだと思われる

時にはゴールキーパーになりたがる子がいた
彼はトーナメントの公式戦で負け試合だったが
試合中に素晴らしい横に飛んでスーパーセーブをした
それは思わず声を出してしまうほどだった

その試合後、彼は負けたにも関わらず充実した顔だった
自分の最高のプレイができた実感がそうさせたのだろう
サッカーの失点はキーパーだけの責任ではなくて
シュートを撃たせたDFが悪いことが多い

DAZNでヨーロッパサッカーの中継を見ていると
ゴールキーパーの質の高さをつくづく感じる
最後の最後で彼が失点を防いでいるシーンは珍しくない

でも、ヨーロッパサッカーにどうして優秀なキーパーが生まれるのかを考えると
それは優秀なストライカーがいるからだと想像した
ゴールの枠内に飛んで来るシュートは日本のサッカーより圧倒的に多い
つまりは、そういうシュートに慣れているとか
ストライカーのシュートをいろいろ経験しているので
身体が自然と反応しているのだと思われる

つまりは優秀なストライカーがいることが
優秀なゴールキーパーを生むことになりそうだ

イタリアのように守りがかっちりしていると
少ないチャンスで決めるストライカーが自然と生まれてくる
良いシュートが飛んでくるからゴールキーパーも
自ずとレベルアップする

日本と世界と比較すると、昔は点取り屋のCFがいない!
安心できるCBがいない!と言われ続けてきたが
CBは冨安が出てきて、なんとかなりそうなので
残りは点取り屋とゴールキーパーということになリそうだ

点取り屋が生まれるのと、良いゴールキーパーが生まれるのは
こうした関係がありそうだから、まずは良い点取り屋を
育てることが肝心かもしれない(しらんけど!)

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「どうする家康」の秀吉とは違うイメージの秀吉

2023年10月28日 09時40分40秒 | ダイアリー

「どうする家康」ではエキセントリックなキャラクターの秀吉
(ムロツヨシの演技がそうなのか、演出がそうなのか分からないが)
それぞれのシーンに面白みとか意味があるとしても
全体を通してひとりの人間としてのイメージが湧かない
というのが自分の感覚

秀吉はどんな人物だったのか?
を考えるとき、参考になりそうなのは辞世の句
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

あのドラマのキャラクターとはかなり違うイメージを受ける
自分自身を客観的に眺め、賢い人だったように思える
(最後までそうだったとは言えないかもしれないが
    彼は生きてる間はそれなり満足感はあっただろう)

辞世の句はどのタイミングで生まれるものだろう
直前なのか、それとも先に作っておくものなのか?

浅野内匠頭の辞世の句は直前だったらしい
「風さそう はなよりもなお われはまた 春の名残りを いかにとやせん」
残念な感覚は、なんとなくわかる!

この歌となぜかいつも間違えてしまいそうなのが、菅原道真の歌
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」

梅の花が天神さまに関係しているのは、この歌に由来するのだろうか

辞世の句で思い出すのが、運の悪い大津皇子のそれ
「ももづたふ 磐余(いわれ)の池に 鳴く鴨を
 今日のみ見てや 雲隠りなむ」
彼のお母さん(持統天皇の姉)がもう少し長生きしていたら
違った運命だっただろう

弟思いのお姉さんの大伯皇女(おおくのひめみこ)は彼の死を嘆いて
「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背とわが見む 」
と万葉集に残している

ずっと計画しているのは、この二上山の風景を見に行くことだが
なかなか実現できないでいる
(どうしても京都を優先してしまう)

ところで、このように歌を残すというのは、人間的なポテンシャルが
明らかにされてしまいそうで、ちょいと恐ろしい気もする
(後の人の評価は本人の知るところではないが)

暗いニュースが多いので、ちょいと現実逃避の話!




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大きな楠は江戸時代から生きているかも

2023年10月27日 09時26分37秒 | ダイアリー

日課になっている近くのお墓参りに出かけた
(最近は自分の役割になっている)
夏に改めて気づいたのがお寺さん(福住寺)の大きな木


楠と銀杏の2本だが、絵本の「大きな木」の
なんでも作れるほど大きくはないが
それでも実物は想像しているより大きい

フト、この木は何年生きているのだろうと浮かんだ
もしかしたら300年以上?
江戸時代から生きているのだろうか?
とんでもない幹の太さだからその可能性は十分有り得る

宮城谷昌光さんの「風は山河より」(1)では
新城市が舞台になっていて、そこに地元の福住寺とか永住寺が
登場したような記憶がかすかにある

もしかしたらその時代からここで生きているのかもしれない
そう思うと、なんか凄いな!と単純に思う

明治生まれの祖父と祖母のおじいちゃんやおばあちゃんは
きっと江戸時代生まれだろうだから
江戸時代がものすごく昔という感覚はない

この大きな木は生活は豊かではなくて、ものんびり過ごせた江戸時代
何かと騒がしかった明治維新
戦争へと向かった大正、昭和
敗戦後の復興を、ただただ眺めていたのだろうか

生き証人というわけだが、残念ながらそこで感じたものは
人間には解読できない

一年ほど前、新城橋を渡って南進し富岡に向かう道のど真ん中に
どっかと鎮座していたランドマークの楠は
(江戸時代からそこで生きていた有名な木だったが)
とうとう寿命を迎えて、なおかつ車の交通の妨げになるので
伐採されてしまった
(なにか喪失感のようなものを覚えてしまった)

最近は訳あって命についてしんみり考えることが多い
人間社会には邪魔になる雑草も彼らの必死の生き方には心動かされるし
動植物の本当にいろんな形状には生きる可能性を求めて変化を繰り返す
生命の意志とか時間というものを感じる

戦え!という人は、人ひとりの命というより、確率で物事を考えてしまう
(このくらいの犠牲は仕方ないとか)
最近の見たくもない例の地区の紛争では、本当に人ひとりの命が軽くなっている
と思わずにはいられない

マザー・テレサは、自分ひとりの価値とか存在する意味を失っている人に向かって
「世界の調和のためには、あなたひとりが欠けてはならないのです」
といった内容の言葉を残しているが、この言葉が出るまでに
彼女はどのくらいつらい思いをしたのだろう、、と考えてしまった

連想がつい気が滅入る話に繋がってしまうのは
今がきっと良い時代ではないからだろう




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昔は遠足、今は校外学習

2023年10月26日 09時31分04秒 | 子どもたちのこと

月木のルーティンワーク、近所の子達との小学校校門までの付き添い
子どもたちも当たり前の日常になっているので
本来の目的の挨拶は、どちらかといえばそんなにされていない気もする

今日は6年の子が修学旅行でいないので、5年の子が班長
集合場所にいつも遅れてくる子の家のボタンを押しに出かけて
みんなは少しだけ待つ

「ネエネエ、おじさん、今日、足湯に入るんだよ」
3年の子が話しかける
そういえば、今朝はランドセルを背負っていない
そのかわりがリュックサックになっている

「今日ね、校外学習で本当は阿寺の方に行く予定だったんだけど
 道が通れなくなっているので変わって、足湯に2箇所入るんだって」
「それ、どこかな?」
「わかんない!」
しっかりしている様でも、こんなこトンチンカンのことが結構多い
(それが楽しい)

「あのね、バスで行くんだけど、足湯もバスも初めてだから嬉しい」
そうか、今は車であちこち行く家庭が多いから
みんなでバスに乗るのも楽しいのか
(修学旅行の行き先は、奈良京都だがバスでずっと回る予定だそうだ)

1年の女の子に話しかけてみる
「今日、校外学習だってね、どこ行くのかな?」
「わからん!」
この子は良いカッコしいの気持ちがないから、いつもこの様な答え方をする
先日は
「Kちゃんと、弟の〇〇くんと喧嘩する?」
「する!」
「どんな喧嘩?」
「殴り合い!」
とびっくりするような答えを返してきた

校門までの道に踏切がある
「Kちゃん、この電車に乗ったことある?」
「ない」
「新幹線に乗ったことある」
と続けて答えた
「新幹線のって楽しかった?」
「うん」

月木の付き添いしていると、休み明けの月曜日は機嫌が悪い子が多い
木曜日は学校生活のリズムに慣れているので、おしゃべりになっている

子どもたちはみんなリュックサックを背負って、中に弁当を入れて
どこかいつもと違う空気を楽しんでいるかのよう

9月から引っ越してきたブラジルのLくんもリュックサックを背負っている
でも彼は何をするのかは、きっとわからないだろうな

ということで、今日は6年生は修学旅行
他の学年は校外学習でお出かけになっている

校門で待ってた大人たちは
「昔は遠足って言ってたが、今は校外学習
 鳳来寺山は階段を登ったものだが、今は駐車場から歩くだけのようだ」
と懐かしんでいる

子どもたちは教室に入らず、外で集合したまま座っている
まだまだ圧倒的に知ってることの少ない子どもたち
そこから信じられないくらい、いろんなことを覚えていく時間を過ごことになるのだが
新しいことを覚えられないとか、探しものをいつもしている我が身を思うと
その可能性が羨ましく思えて仕方ない


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中止・継続の判断基準をあらかじめ決めておくべきだと思う

2023年10月25日 09時37分54秒 | 新城・地元に関すること

アメリカでは結婚する時、将来離婚した場合の対処法を予め決めておくそうだ
将来のことは誰もわからない
だが、ある程度未来を想定して考えておくのは現実的と思われる

国や地方自治体の事業は、走り出したら止まらない傾向が強い
インフラ整備などはある程度仕方ないとしても
果たして続けていく意味があるのかと思われるものの
ダラダラと続けていたりする

本来は最初の事業計画実施について議会でしっかり検討されていれば良いのだが
地方自治体では多くの場合、予算化された事業はすんなり実行に移される

今でも覚えているが、その事業の補正予算が提出された時
自分は直感的に反対だった
それは何よりも現実感がないよう思われたからだ
その事業は新東名高速道路経由の新城・名古屋の直行バス運行だ

ます頭に浮かんだのは使う人がいるのか?
いるとしても、JRと比べて競争力があるのか?だった

新城市のJRの多くの駅からは一日のうちの名古屋往復には
この事業が明らかにされた当時は
平日は1960円、土休日は1640円だった
(現在は2000円と1680円)

これに対抗するバスの運賃は片道1000円で
利用できる時間は3往復のどれかを使うしか無い

直通で乗換なしに約一時間で名古屋(藤が丘・長久手)
に着くとしても名古屋の中心地に行くには地下鉄が必要で
実質的には運賃も時間ももう少しかかる

本数の多い便利さと料金でJRに勝てるのだろうか?
そのことが頭を離れなかった

この事業は当初営業運行ではなく、実証実験として行われることになっていて
事業費用の半分が国の補助金が使えるとされていた
実証実験は3年半に渡るものとして、初年度に6000万円を国から交付され
一年目の運行費(半分)とバス購入費として使われた

運行費の半分が国から支給され続けると思い込んでいた市が慌てたのは
この補助金が2年目以降補助金の対象外となったからだ
つまり委託事後業者(バス会社)に払うのは
全額市から捻出しなければならなくなった

この計画は、名古屋市と新城市の通勤・通学者を増やすことが目的とされ
目標値(KPI)も威勢のよい数字が掲げられていた
(補助金をもらうために大風呂敷を広げたのだろうか)

ところが半年運行してわかったことは、予想通りの苦戦だった
目標値には遠く及ばない数字(3分の1くらい)で
エクセルでグラフをかいて予想の補助線を引くと
その伸び方は悲しいくらい低迷していた
(それは驚くと言うよりやはりと思ったものだ)

この事業は実証実験を終えた後、営業運行として続けられている
利用者数は一台当たり7〜8人くらいで、
運賃だけの収入ではバス会社がやっていけないので
毎年最初から赤字分を見込んだ予算案が計上され補填されている

運行自体は既に日常化していて、利用者はそれなりの便利さを感じている
と思われるが、この事業について違和感を持つのは
この事業目的がコロコロ変わったことだ
通勤・通学者を増やす、、といったものから、地域間交通の重要性に変わって
目標数値も当初示した(KPI)ではなくて、新たな概念(輸送量?)に変わっている

ただ少し助かるのは、バス会社が地域間交通の補助金を国からもらえるようなので
幾分かは市からのお金が少なくて済むようなこと
(その場その場では努力しているようだ)

そこで本日の本題!
まずは、何年かに渡る事業は最初の選択が肝心で十分に検討されるべき
(議会もしっかりチェックしてほしい)
次は、その計画を継続する中止するの判断基準を
予め設定しておくことが必要なのではないか

冒頭にあげた、結婚時に離婚の際の対処法を決めておくのと同じように
自治体の継続事業は計画時に継続・中止の基準を決めておくべきだと思う

それともう一つ、国からの補助金をあてにして事業計画すると
後々困ることになりそうだから、これには慎重に臨まないと良くない

これはつくづく実感することだ










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最近は、トラブル解決は電話だけで完結しない

2023年10月24日 09時28分01秒 | ダイアリー

ゆうちょ銀行との取引はインターネットとATMで行っている
ネットのゆうちょダイレクトにアクセスすると
振込の際にはトークンを使うかアプリを使うことを勧めてくる

トークンは何年か前に手にしたが使うことはなく、今は行方不明の有様
そこでスマホにアプリを入れることにした
アップル・ストアからダウンロードする、ここまでは問題なくできる

立ち上げてみると初期設定と言うか本人確認というかの作業が必要となる
ここまでは、そんなものだろう、、という範囲

ところがここから先が手こずった
本人確認のための手続きがいろいろ大変だ
手元に運転免許書とかマイナンバーカードとかを準備するよう求めてくる

そこで仕舞ってあるマイナンバーカードを引っ張り出してトライする
誕生日、有効期限、セキュリティーコードの入力を要求される
セキュリティコードなんて設定した記憶が無いぞ、、と
間違えてパスコードを入れたら、間違っていると画面にメッセージ
間違えを10回する設定等が無効になると脅してくる
(運転免許の本人確認には登録した2つのパスワードを聞いてくるが
  2つのパスワードなんて全く記憶に無い)

よく見るとセキュリティコードはマイナンバーカードに書かれたものだった
とりあえず、進めていくと今度は自分自身の顔写真を撮らねばならない
スマホに丸い枠が出て、その中に自分の顔を入れるようにと指示される
これがなかなか難しい
自撮りなどしたことが無いので感覚がわからない
もっと近づけてとかスマホと顔の高さを一緒にしてとか
口を「あ」と言って開けてみて  とかスマホがOKの印が出るまで悪戦苦闘
これが済むともう一度、今度は少し大きめの枠が出てくる
顔認証を確実にするためなんだろうと想像できたが
この枠に入れての撮影がまたもや上手くいかず
失敗しましたとの文字が何回もスマホに登場する

背景が何もない場所に移動して悪戦苦闘してやっとのことで撮れて
やっと終わった、、、と言う感じ

だがそれからも問題があった
もう忘れているのでそれらの作業の前のことだったかもしれないが
ワンタイムパスワードを入れる作業があった
これはトークンに送ってきているようで、トークンが行方不明なので分からない

そこでゆうちょに電話してみると、ここでも問題が発生
結果的にゆうちょのサポートセンターには三箇所かけることになった
カードの紛失、ゆうちょダイレクトのサポート、もう一つ別の部署
つまり、たらい回しでやっと肝心なところに繋がったというわけだ

それにしても、最近のいろんなサービスはサポートセンターは電話をかけて
解決法を聞けるということはなくなっている
似たような質問の例があるのでそれを参考にして解決してほしいとか
URLを送るのでそこで自身で解決してほしいとか
つまりは人力を省く方法になっている
(少し苛ついてしまいそうになる)

サポートセンターにいろいろ聞いてみると
個人情報の欄に電話番号が登録されていると
ワンタイムコードがそこに送られてくるらしい
(固定電話は音声で、スマホはショートメッセージで)
だが自分の登録選話番号は固定電話の方かスマホの方かわからない

サポートセンターの話では、登録された番号はゆうちょのATMで確認できるとのこと
そこで近くの郵便局に行って確認すると、個人情報の中に電話は登録されていなかった
そこで、スマホの番号を登録して、、いろいろ進めていける状況にした

ここまで分かれば一段落というわけだが、それにしてもこんな面倒なことは
年寄りには間違いなく苦痛だろう
自分はギリギリセーフだが、同年代ではこうしたことに対する関心とか
利用には大きな差がある(所謂、デジタル・ディバイド)

実はもう一つ解決したいネット絡みの問題があるが
またこんなふうにバタバタすることを思うと
トライしてみる気が無くなってしまう

ほんと便利な世界なんだか、面倒な世界なんだか
わからない世界になってる感じ

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ナンバー・ディスプレイの無料サービス

2023年10月23日 10時21分01秒 | 徒然なるままに

固定電話のある家は少なくなっているようだが
我が家は光回線をひいてインターネットするために
固定電話はずっと同じ場所に鎮座している

その固定電話に最近では家族間でもかけてくることは少ない
姉も妹もスマホを使ってLINEの音声通話でかけてくる
固定電話にかかってくるのは
電気料金節約に関すること、インターネットのプロバイダのこと
不要な家電・電化製品・着物等の買取、外壁塗装のプロモート
海産物のプロモート、羽毛布団のメンテナンスに関することなどで
話を最後まで聞く気のないものだ

断るのも面倒!と思っていたが
それらの迷惑電話撃退に電話会社の有料のオプションサービスを
使って対処するつもりはなかった

ところが高齢者の家庭には無料でナンバー・ディスプレイ
ナンバー・リクエストのサービスがある
と妹から教えてもらったのが2、3ヶ月前
我が家は高齢者の家庭の条件に当てはまっていた
これは申し込み先着何千名に対してのサービスで
サービスが始まってから時間は経っていたが間に合った

登録して設定してみると、確かに便利だ
まずはかけてきた相手の電話番号がわかる
頭の番号が市内とか近隣の番号でない時は、注意しながら出るようになれる
面倒な電話を受けて切った後、電話機が今の相手先を今後どうするかと聞いてきて
今後受けたくないのなら断りの電話対応をしてくれるというのだ
指定されたプッシュボタンを押して確定すれば以後はかからないようになっている

このおかげか、少し電話の数は減ってきたような気もする

ところで、我が家にはどういうわけか選挙の世論調査の電話は比較的多くかかってくる
これは個人的には、かかってくるタイミングとか
(直近は参議院選挙なのに衆議院選挙について聞いてきたとか)
質問の内容とかに興味があるので答えてもいいと思っている
(以前は政権を支持しないと答えたら切れてしまったことがあった)

ということで、時代的には役割を終えつつあるような固定電話には
今申し込むと間に合うかもしれない便利なサービスがあるということ




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事業仕分けと自分ごと化

2023年10月22日 10時56分06秒 | ダイアリー

面白くもない真面目な話

先日の中日新聞にこんな記事が掲載された
「事業仕分け」と「自分ごと化」を扱ったものだ

事業仕分けは「2番じゃ駄目なのですか?」
と蓮舫さんが、スパコンの性能追求にお金がかかりすぎることに対して
口出しをしたことで有名になった経費の削減作業だ

以前なにかの機会に、市の職員(税務課だったかな)と話した時に
「各部署で被ったお金んお使い方があるから
本当は事業仕分けみたいなものはしたほうが良い」
と言われたことが頭に残っていたから、この記事がすんなり目に入った

市議会は一般質問よりも予算・決算会議の方がお金の使い道がわかって興味深い
だがこの委員会は大半の場合、傍聴者はいない
それでも一般質問以上に必要な情報提供の場だから
何とかして市民の目や耳に入ることは必要と思っていた
そして、一月ほど前の議会報告会では「予算決算委員会のインターネット中継」
の進捗状況を聴いたことがあった
(去年は議会改革検討会議で進められていると答えていた)

今年は、インターネット中継にかかるお金を予算要求している
と議員さんは答えたが、果たしてこれが実現されるか見ものだ

一般的によほどの事がない限り市の予算は可決される
予算案の中にひとつふたつ芳しくないものがあったとしても
予算を一括して賛否を問うものだから、速やかな予算執行をするために
議会も承認してしまうようだ

でも気に入らない2つ3つの予算は、仕方ないで済ませて良いのだろうか
行政でも議員でもない庶民は、それに対して物を言う方法がない
そこで登場するのがここにある「無作為抽出の市民を混じえた集団による事業仕分け」だ

と言っても、記事からは概念的にわかるだけで、実際はどのように運営され
そこで発生する問題点は何なのかはわからない
良いことかもしれないが、実際にこの方法で行われる事業仕分けは
感情的にリアリティを持ったものになりうるのだろうか、、と少し不安がある

経験的に思うことは、世の中にあるいろんな問題を「自分のこととして考える」
ことが何よりも必要だということだ
この事業の導入に力を注いでいる一般社団法人構想日本では
HPを調べてみると「自分ごと化」という言葉で庶民の啓蒙を
「事業仕分け」と同様に進めていくべき運動としている

人が真剣になるのは、自分の身に何かが起きた時だ
痛い思いをしないとわからないのが人の常だが
それでは遅すぎることが多い
だから庶民は想像力を働かせて「自分のこととして考える、自分ごと化」
が必要と実感する

新城市では南部企業団地の悪臭は、その地区の人達には重要な問題だが
他の地区の人にとっては「自分ごとではない」ので無関心のままだ
自分ごととして考えるには、想像力の他に共感力(同情する力)が必要かもしれない

こうあったら良いな、、と思うことはいろいろある
ところが、それをするためには何をしたら良いのかわからない
というのが現状だ

まずは、この方法で事業仕分けの実行した地域の人と連絡を取ってみようか
あとは仲間を増やさねば、、、(だがこれが難しそう)


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