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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

超訳「資本論」と資本主義に関係する本を読むと、、、

2024年10月25日 12時14分38秒 | 

何にでも逆張りをするタイプではないが、それでも何故なんだろうと思うことがある
共産党は何故そんなに嫌われるのだろう?
ほどんど無条件に否定されることの多い共産党、社会主義
でもそんなに嫌われるべきものなのか、、と少し不思議な気がする

マルクスが共産主義の元を作りあげたとしても
その考えに至るにはある程度の必然性とか時代性があったはず
そんな風に考えて、ちょいとマルクス絡みの本を読んでみた

手にしたのは分厚い「資本論」ではなく新書の「超訳資本論」(的場昭弘著)で一種の啓蒙書だ
実はこの本は以前にちょっとだけ読んだ
でも途中で投げ出したか、読み終えても全然覚えていないかのどちらかで
わずかに覚えているのはどんな商品にも「労働」という過程が含まれているという考察
その考え方はなかなか興味深いと感じた
労働力の言葉があるから、そこから搾取の概念が説明されるわけだが
すぐに理解できるほどの知識も素養もない
言えるのは、こうした考え方とか持って行き方はなかなか面白いということ
そしてこれだけ読んでいると、そんなに嫌われる理由はわからないな、、が実感

実は社会主義関係の本では全く想像外の内容だった物がある
レーニンの「帝国主義論」がそれで、単なる決済機関である銀行が
お金を十分に蓄えるようになると、移動が容易なお金はその特性を活かして
世界中に回って、それが支配的な状況をつくる可能性があるという論旨
これも考え方としてはなかなかおもしろい捉え方だ

ということで、何故そんなに嫌われるのかは、、よくわからないが現時点での思い
逆に大手企業の内部留保の過剰な蓄積とか格差の拡大は
もしかしたら資本主義に内在する問題点ではないのかと思ったりする
「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」

「資本主義の宿命」

これらを読むとその思いを強くする


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大河ドラマと同時進行

2024年10月14日 09時14分53秒 | 

大河ドラマの進行と同じように読み進めている「香子 紫式部物語」帚木蓬生著

現時点5冊あるうちの4冊目 内容はこんな感じ

昨日のドラマで悲しみを誘った弟の惟規の死がこの本にも扱われている
ただし、この本では清少納言も道長も大河ドラマほどの存在感を持って書かれてはいない
大河ドラマの内容を背景知識として持っていると読むことは楽しめる

この本の主役は圧倒的に源氏物語そのものだ
劇中劇の形で紫式部が書き続けている物語が、それぞれの章で多くのページを割いていて
それが圧倒的な迫力を持っている
忘れていた源氏物語のエピソードもこれで思い出すことができる

豪華本のエピソードがあった放送では、まひろは33帖まで書いたと述べていた記憶があるが
ドラマティックな「若菜」上下は34.35帖で、急に深刻さが増すその物語が現実世界では
どのように受け入れられたか興味があるが、大河ドラマではそこにはあまり突っ込まないようだ
あれだけ大きな展開があるのだから、個人の内面も同様に大きな経験があったはずと思うので
そこのところを想像たくましくドラマ化してほしいと思ったが、時間の関係上仕方ないことなのだろう

ところで、この本では紫式部は香子とされているが、先日テレビ番組で見た廬山寺の位牌には
香子の名前が見えたような気がしたから、香子は全くの想像ではないようだ
廬山寺の位牌は本人と父と賢子の3つ並んでいた
源氏物語の宇治十帖は紫式部の作ではなくて、賢子の作だという説が一部にはあるようだ
これは専門家内で論争もあるようだが、本当はどうなのだろう

紫式部には姉もいたようだ
姉も弟も早く亡くなってしまった紫式部
あの時代、加持祈祷で病気を追い払いのは科学的ではないけれど
それでも、なんとしても!との心情はよくわかる

ということで、ゆっくり読み進めている「香子」
今年中には読み終える予定

※今年こそしっかり咲いてほしかった庭のムラサキシキブ
 ご機嫌斜めなのか、いまいち元気がない
 世の中は思い通りに行かないものだ


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面白かった「江戸の憲法構想」

2024年10月08日 08時32分09秒 | 

面白い本の(自分の)定義は、もう一度読んでみようと思わせるものとしている
だが面白いと感じるのは年齢によって違う
昨日読み終えた面白い本は、もっと若い時なら面白いと感じなかっただろう

途中ワクワクしながら、読み終えたらいつかもう一度読み返そう
付箋を付けておけば良かった と実感したのが
「江戸の憲法構想」日本近代史のイフ 関良基著

イメージ的には議会政治は明治維新によって達成されたと思われているが
実は江戸時代にも庶民も参加しうる議会制度を考えた人たちが何人もいたことが記されている
ただし、幕府側の提案する議会は幕府の重鎮や徳川家を中心としたものなので
武力に依る倒幕を掲げた長州の連中には評判が悪く、結果的には採用されず
内戦となった戊辰戦争を引き起こすことになった
もし、内戦がなく議会制度が達成されていたら、その後の国家神道や軍国主義的な
広がりはなかったかもしれないとしている

一万円札の渋沢栄一は徳川慶喜に抜擢された人物だとなにかの本で読んだ
彼は「論語と算盤」というものを残し、朱子学の要素を大事にした思想の持ち主だったが
書名は有名だがその影響はあまりなかったようだ
明治時代に一気に庶民の教養や知識が拡大したとイメージ的にはあるが
江戸時代の寺子屋は一人ひとりの個性を伸ばす教育がなされたとあり
思い込みのような江戸時代の理解は間違いと実感した

この本は最初は江戸時代にも憲法についての様々な試みがあったことを
紹介しているが、途中からはそこから離れて一種の文明論とか認識論とか
司馬遼太郎・丸山眞男へ批判までも挿入されている
つまりはいくつもの要素が混在し、読んだばかりの今は頭の中が整理されていない
何かが頭に定着するにはもう少し時間がかかると思われる

ただ、印象に残っているは面白い本だということ
個人的には、こう言う本が日本でそれなりに売れて、読まれるならば
日本の世の中はもう少し良いものになるような気がしている

毎年エクセルを使ってPCに残している「今年読んだ本」の評価
この本の評価は優としている

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ここ十年で記憶に残っている小説

2024年10月01日 09時51分44秒 | 

昨日の中日新聞の文化欄にこんなのがあった

ベルンハルト・シュリンクの「朗読者」が原作の映画で「愛を読むひと」の紹介だ
映画のタイトルはイメージ的にナヨナヨとしたタイトルで
もし本もこのタイトルならきっと読まなかたっと思うが
シンプルな「朗読者」は想像力を刺激し本好きの心を掴み、図書館から借りて読んだ

この小説はこの十年くらいの間で読んだ小説の中で、極めて深く心動かされた作品だった
内容は新聞に書かれている通りで、若い少年(坊や)がバスの車掌さんを務める女性と知り合って
甘い思い出となる経験を重ねる
彼女はことを終えた後、ベッドで少年に本を読んでもらうことを求める
彼は朗読者となっていろんな小説を読みきかせる

女性は仕事上のキャリアアップできるまでになったが
ある日何故か急に疾走してしまう
少年との関わりはそこで途切れてしまう

青年になった(法律を学んでいる)彼が彼女を見かけたのは
ナチスの犯罪を裁く法廷だった
彼女はユダヤ人を無情に死に至らしめた被告人として裁かれていた

そうこうするうちに、彼は昔、彼女が本を読んでほしいと言い
自分が朗読者の役を行ったのは、彼女が字を読めかったからだと気づく
文字が読めないからナチスの命令も言われたまま実行してしまう彼女
だが自らを護るために文字が読めないことを明らかにしない
それは彼女のプライドの示し方だった

牢屋に入っている彼女に「坊や」は、文字を教えるべく努力する
「坊や」は隠したがった秘密を知ってしまった
でも他の人はそれを知らない

そしてある日彼女は自ら命を断つ
それは少なくとも一人は自分を理解してくれた人のいることに
満足しての決断だった
今でもこの部分を思い出すと感情が高ぶってしまう

話は飛ぶが、この映画(小説)がより印象的になったのは、あの西部邁さんが
この女性は「ロマ」の人だったのだろうと想像したのをYoutubeで見たからだ
ロマは遊牧民の人々、ジプシーみたいな人たちで、識字率はけっして高くないそうだ
つまりはこの作品は、単にナチスの起こした悪事の被害者だっただけでなく
ヨーロッパ社会の歪も問題提起しているとしていた

この小説は結末が悲しだけに、もう一度読む気にはなれない
でも深いところで、ずっと何かが残っている

この十年くらいの中で、心に痛みを残している作品はオルハン・パムクの「雪」もそうだ
大半のエピソードは忘れてしまったが、とにかく心に刻まれたショックは
簡単に忘れられるものではなかった

物語は史実の羅列とか、倫理的・道徳的ばかりでは達し得ない世界があると
紫式部は源氏物語の「蛍」で持論を述べている
確かに、そうかも知れない、、とこれらの作品を思い出すと思ってしまう


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枕草子 清少納言の挑戦状

2024年09月02日 16時50分58秒 | 

同時進行で読んでいる「香子」紫式部物語 帚木蓬生著より
さっさと読み終えたのが「歴史読み 枕草子 清少納言の挑戦状」赤間恵都子著

著者は一条天皇の中宮だった定子が兄の伊周と隆家の暴挙のあと(長徳の変)
不幸の連続であったとしても、清少納言はその事件を書かずに
そのサロンの輝かしさを書き残した意図を推理している

これは少し前に読んだ「清少納言のたくらみ」山本淳子著と似ている

つまりは、定子が悲惨な人生を送った人物ではなく、人を育てるセンスのある
とても賢い人であったこと、それを書き残すことを自身の役割と自覚し
定子との時間がいかに有意義であったかを現している

枕草子の内容は時系列に並んでいない
それは意図的になされており、定子の兄の事件のことは不自然なほど書かれていない
その隠し方を、この本の著者は時系列で事件を並べ
そのようにした清少納言の気持ちを推理している

「光る君へ」で印象的だった枕草子が書かれた理由(定子のためにだけ書かれたとする)のシーンは
どうやら、脚本家の想像の産物ではなく、細かく分析すると明らかにそのような意図があったと
想像できるものらしい

歳を重ねて記憶力が衰えてきたが、この本を読んでいる時に実感したのは
「光る君へ」を見ているので人間関係がほとんどわかっていたことは
本当に助かったということだ

やはり人は物語で何かを覚えるというのが一番の方法かもしれないと実感する
藤原斉信も藤原行成も藤原公任も、その役割を大河ドラマを見ていなかったら
想像だけの世界の人物で、イメージするのは難しかったと思うが
清少納言と藤原斉信の関係も、ドラマで何やら匂わせるところがあったのは
この本でそのような事があったからなのか、、と納得した

それにしても、やはり運のない定子は気になる
高畑充希さんの出るCMを見ると、つい定子を思い出してしまう
ファーストサマーウイカさんもCMを見ては泣いてしまうといった話をしていた
その気持、わからないではないなというところ

自分は運がない人に惹かれるという意味では源氏物語で気になる女性は「紫の上」

「光る君へ」では鳥と女性が書かれた扇子を、道長がまひろにプレゼントしたが
その絵は彼らの思い出シーンであると同時に源氏物語の「若紫」(紫の上)の登場のシーンだった

ということで、毒にも薬にもならないことが結構心を震わせるということ
人にはそういうことが必要だと深く思う

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「なぜ、子どもはあのような絵を描くのか」

2024年08月31日 09時38分18秒 | 

今回のノロノロ台風は雨台風
今日も新城市には大雨警報が出ている
自宅付近ではさほど大雨の印象は無いが
この数日で宇連ダムの貯水率が11%台から50%超えとなっているから
やはり相当降っていると考えるほうが妥当だ

新城と言っても中心部と鳳来地区、作手地区と気象条件が違う
数字が発表される観測所はいったいどこだろう
きっと自宅から遠いに違いないと勝手に思い込んでいた
ところが調べてみると場所は冨永で、自宅から1.5キロくらいのところ
子供の頃、川遊びに通った場所だった

すると、数字と実感との違いが気になってしまう
実感は信用できない怪しいものなのか、
それとも馬の背を分ける雨の降り方のせいなのか
いずれにせよ、今日も雨模様だ
晴れは飽きることはないが、雨は数日で飽きてしまう

先日、新聞広告に掲載されていた本をざっと読んだ

いつも思うことだが、子供の絵はどこか迫力がある
ただ単に、上手く使えない手で鉛筆をもって右左したり
丸を描こうとしているだけなのに、それは確かに何かを訴えているような気を起こさせる

姪が時々、お兄ちゃんと3歳の女の子を連れてやってくる
始めは慣れずに不安そうな顔をしていたちびっこも
最近はいつもの場所に置いてある貯金箱を持ち出して
お金を出したり入れたりして遊んでいる
また2階に行って無双窓を開けて母親に嬉しそうに声をかける
お兄ちゃんと二人で、部屋中を走り回るのは相変わらずだ

先日は絵を描きたいから、あるようなら鉛筆を貸して欲しいと姪が言った
幸い色鉛筆があったのでそれを出して、紙はプリンターで使用するA4の紙を渡した

ピンクの色鉛筆を持って彼女は右から左へと線を引く
何回か同じことをして、その線はバラバラでそれだけだ
次に丸を描こうとする
大きな丸できっちり閉じていないがそんなことはお構いなしだ
それを描くと、その紙は用無しになって次の白紙に向かう

一番偉いのは一番年齢の低い子だから、彼女の要求通りに白紙を渡す
また同じことを繰り返す
何かを描こうとしているのか、ただの運動なのか

しばらくして丸い図形をさしてお母さんといった
もう一つの丸は別の人物だと宣言する
この本には、子供の絵には丸から脚が出ている人間が描かれることがある
と紹介されていたが、それが見られた

少し昔の話だがある時、子どもが描いたお父さん、お母さん、お姉ちゃん
自分自身の絵を見比べる機会があった
丸に目鼻口と僅かな髪の顔の絵で、一見同じような絵ばかりなのだが、
ヒントなしにそれらの絵を見て、どれがお母さん、お父さんなのかと判定するのだ
これに真剣に向かうと、なんだか知らないがこれはお母さん、あれはお父さん
というのがわかったような気がした
そしてそれは当たっていた
何故当たっていたのかはわからない
別の人にもトライしてもらったが、その人も自分と同じ答えだった
つまりは何らかのメッセージを感じ取ったということで
それは一体何だったのだろうか?との疑問がずっと残っていたので
今回この本を読んでみようとしたのだった

子どもの発達の経過と変化、それに対する仮定や考え方
世の中にはこうしたことを研究する人がいることに少し驚くが
読んでいる間は、頷くことが多くて面白いものだった

ということで、困った台風の中、少しばかり興味深い本を読んだということ

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5年間で読んだ本たち

2024年08月20日 17時37分56秒 | 

2019年 読んだ本

2020年読んだ本

2021年読んだ本

2022年読んだ本

2023年読んだ本

2019年から2023年まで トータル234冊
今年は今のところ21冊

この手の本を読む人はどんな人物か?
それは自分だが、そう言う人と話し合いたいものだ

ほとんど覚えていないとしても、血肉になっている実感はある

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男にはわからない世界がある

2024年07月27日 09時05分04秒 | 

小泉今日子は知っているが岡崎京子は知らない
知人の女性に薦められたのがこの本

ふたりのキョウコのお話

小泉今日子はキョンキョンの頃は知っている
わいい女の子でCMによくでていた印象だけが残っていた

だが、気になりだしたのは、前回の衆議院選挙の時
和田靜香さんの紹介(?)で坂本美雨さんと香川一区の小川淳也さんと
インスタライブで珍しい政治的な対談をしたからだ

珍しいという言葉がでてしまうこと自体が、日本の社会の異様さを現すものだが
現実世界として芸能界はその手の話をするのは稼ぐ手段を失うきっかけになる
小泉今日子もその経験をしたひとりで、若い頃、ちょっとしたきっかけで
政治的なコメントをしたところバッシングを受けて、しばらくはこの手の話は避けよう
と世間知がついたのだが、年令を重ねるとそれはおかしいと気づくようになって
大人の普通の女性が人間として日々感じることは口にしてもいいのではないか
と思えるようになったことを伝えていた

この発言がごくマトモに思われたので、この人はちょっと違うかも知れない
と心に刻んだのだった

それがあったのでこの本を手にしたのだが、
もうひとりのキョウコである岡崎京子は全く知らなかった
(知り合いの女性は漫画家であることを知っていた)

この本で驚いたことがあった
それは多少年齢のせいもあるが、おそらく性差のせいと思われる
全く知らない世界があたっといことだ

小泉今日子の生き方を紹介した部分は記憶をたどればなんとなくわかった
しかし、全く知らない人物の岡崎京子を紹介した部分は
ほとんど何もわからなかった
女の子の雑誌のやファッションの話やら、女性がごく自然に感じる何かを
男だと頭で理解するのはなんとかできたとしても心から共感するというのは
全く不可能と思えてしまったのだ

ただふたりともひたむきに生きているということはわかる
わかったのはそれだけだ

こうしてみると、根本的な共感の部分で男と女はまったく違った傾向をもつ
と思えてしまう
だからこそ、男中心の世界があまりにも優先し過ぎていると思われる世界は
もう少し女性の感じかたとか生き方、知恵を借りたほうが良いと思われる

それは女性の味方をするというのではなくて、そのほうがバランスが良さそう
と感じたということ

新聞の週刊誌の広告は、男用の雑誌と女性用の雑誌は記事内容の傾向は全く違う
それが良い悪いというのではなく、こうした事実があることは
もう少し考慮すべきかな、、と思ったということ

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「裁判官の良心とはなにか」を読み始めた

2024年06月27日 18時49分41秒 | 

昨年、豊橋にある時習館高校の130周年記念行事に
卒業生であり現役の裁判官でもある竹内浩史氏の講演会があった
その講演タイトルは「裁判官の良心とはなにか」だった

裁判という言葉にすぐに反応してしまう立場の一人として
また裁判官の良心に期待していた面もあったので
この講演を聞こうと思いエントリーしようとしたが
時すでに遅し!定員はすっかり埋まっていた

チャンスは逃したままだと思っていたら「裁判官の良心とはなにか」
というタイトルの本があることを教えられた
大手の出版社からではないようだが、とにかく手に入れた

この本はいくつかの章に分かれているが、このタイトルの章が最初にあって
時習館高校の130周年記念事業の内容を収めたものだった

そもそも「裁判官の良心」とは憲法76条3項に「裁判官の良心」
という言葉が出てきて、それが引っかかっていて、彼独自の見解を現すために
講演とか本に残したとのことだ

憲法76条3項は以下のような文章
「すべての裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ
 この憲法及び法律にのみ拘束される」
不思議なことに良心という言葉が入っている
この良心云々の言葉が入っていなくてもおかしくはないのに
なぜ入っているのだろうと竹内氏は考えた
そして独自の解釈に至った

あまり好ましくないヒラメ裁判官は、自分が担当する事案については
当事者の主張と証拠に基づいて事実認定をする、ここまでは良いのだが
ヒラメ裁判官は、まず過去の類似事案の上級審の判例を検索して探す
うまく見つかったならば、それと同じように判決して一件落着、一丁上がりとして
処理件数を稼いでしまう
こんな進め方で良いのか?
それが良いのなら生成AIのほうがよほど効率的に処理できると考えたからで
彼は良心的裁判官は以下のようなステップを踏むとしている
1 まず、仮に法律が無かったとしたら、どっちを勝たせる事案か、自分の良心で考える
2 その結論を法律に基づいて上手く説明できるか考える 出来るならばそれで判決を書く
3 そのために自分の法律論に反するような最高裁判例が無いかを確認する

つまりは憲法の文章に書かれた順番で、つまり良心で一番最初に判断し
それから法令等のチェックをするというのだ
もちろん、これは言うにやさし、行うに難しの部類で実態は難しい取り組みだ
だが、こうした人がいるという事実は、裁判は信じても良い制度なのかもしれない
と思えたのも事実だ

実は最近は裁判自体に不信感を持っていた
自分が経験した裁判は、
裁判官が社会人として普通に感じるであろう違和感を何ら持たずに
雑な判定を行う、、、それはとても許しがたいことのように思えた
だが、それより前は裁判は立派な人格者が行うものと信じていた
それは団等重光氏の「法学の基礎」を読んだからで、この人の裁判に向かう態度とか
姿勢は尊敬に値し、そして裁判に関する法体系は秩序だって素晴らしいものと思っていたのだった

団等重光さんのような人の判決なら仕方ないかな、、と思えるもので
この竹内さんでも似たような感情を覚えるに違いない

ということで読み始めたこの本
裏事情の紹介もあってなかなか面白い
ところで、時習館高校で行われた講演会はYoutubeにアップされている
「裁判官の良心とは」33回生 竹内浩史 時習館高校130周年記念フォーラム 2023.10.29

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「資本主義の宿命」を読んで

2024年06月14日 17時41分09秒 | 

少しお気楽な投稿が続いたので、久しぶりに真面目なものを

「光る君へ」のドラマの影響で「香子」とか「清少納言のたくらみ」を購入して
平安時代の価値観などに浸っているが、反動として現代の問題にも関心が行くようになって
「資本主義の宿命」(橘木俊詔著)をアマゾンで購入した
そして一気読みした

資本主義に関しては少し前に「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」
を手にした

この本が思いのほか興味深かってので、それで上記の本を手に入れたのだった

この本(宿命の方)の終盤に二つの考え方の否定がなされてる
一つは世界ではよく知られているが、何故か日本ではそう思われていない
トリクルダウンの効果のないこと
富むものが富めば(経営者たちが富めば)そのお金は下々まで落ちてくるという
一時期自民党の表立って唱えた考え方だ
これはピケティの「21世紀の資本」でも否定されているし
それ以外でも世界では当たり前のように否定されている
だが日本ではいつまでも説得力をもって語られるような気がする
これは早くメディアが現実のことを伝えるべきと思う
(それが現実的に機能しなかったのは人間性の闇の部分のせいか、
    それとも法的な不備(下請法などの)のせいか、いずれにしても結果的には機能しなかった)

もう一つは、高収入の人々に累進課税をかけると、せっかく頑張って働いてきたが
税金でお金をたんまり持っていかれてしまうのでは、もうそれ以上働く気持ちが失せてしまい
それは経済にとっても良くないとする考え方
心情的にはそんな気がしないでもないこの理屈も、実態はそのようなことで勤労意欲は
失せることはないとデータが示しているという
考えてみれば大谷さんが税金をたくさん取られるからと言って野球に真面目に取り組まないとか
藤井聡太さんがたくさん税金を取られるからといって、自分の大事にしているものを
自ら離れていくなどとは考えられないことから想像できる

格差が存在しないほうが経済的だけでなく保安上も良いと思われる
どのように格差について対応していくかが国とか地域によって違ってくる
日本がお手本とする国アメリカは、自己責任の精神が根ざしていて
弱者に対して公的な補助は否定的な考え方が多いようだ
日本でも最近は自己責任論が巷で広がっている
不思議なのは、すぐにでも弱者に陥る可能性のある人々が(弱者予備軍が)
自分たちは勝ち組のような精神状態にいることだ
つまりは日本人はどの立場にいても自分たちを勝ち組とか自己責任論で乗り切れる
と思っている人が多いような気がする

大雑把に分けると、経済を仕切る人たちの要望を考えて社会を運営する考え方と
どうしても生まれてしまう経済弱者を中心に考えてより良い社会を作ろう
とするものに別れるようだ
現実的にはバランスの問題だが、ヨーロッパのドイツ、フランス、あたりは
自己責任論で終わらない半ば公的な力を重視する社会になっているようだ

さて日本はどちらがいいか?となるのだが、
問題は日本人はこの問題に対してしっかり考えていないことではないか
日本人はどんな時も対処法だけで済まそうとする
根本的な取り組み方は、どうしてもないがしろにされて
対処法が思想にまではならない

ということで、これらの本を読むたびに日本人の問題に取り組む姿勢が
どこか浅いものとか、最近の知識人といわれる人々の人間性のポテンシャルは
過去の丸山眞男とか福沢諭吉などと比べて
すごく小さなスケールになっていないだろうかと不安を覚えてしまう
(この本はもっと詳しく格差についての話が本筋となっているが
  とりあえず自分が気になったのはこのこと)

例のごとく話が逸れてしまったが、そう思うきっかけになったということ



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