人(ひと)の親(おや)の心(こころ)は闇(やみ)にあらねども
子(こ)を思(おも)ふ道(みち)に惑(まど)ひぬるかな
現在読んでいる最中の「香子 紫式部物語」帚木蓬生著には、この和歌が度々でてくる
内容は現代語にしなくても何となく分かるし、共感を覚える
でもあまりにもよく出てくるので、ググってみたらこの作者は紫式部の曽祖父の藤原兼輔だった
検索先には、この歌に由来する表現(いわゆる「引き歌」)が、実に26回も登場しているとあった
和歌も知った人とか、その関係者が作ったものだとわかると、何となく興味が湧く
その視点で探していたら、「光る君へ」では、バランス感覚の悪い困った人物である
藤原伊周の息子の歌が百人一首にあることがわかった
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな
63番目の歌がそれで、意味は
今となっては、あなたへの想いをあきらめてしまおう、ということだけを、
人づてにではなく(あなたに直接逢って)言う方法があってほしいものだ。
(長岡京 小倉山荘 公式ブランドサイトから)
この人、親父さんと同じような人だったらしく
幼い頃に父親が失脚、さらに24~5歳の頃にこの歌に描かれた恋愛事件によって三条院の怒りを買い、
生涯不遇でした。従三位左京太夫となりましたが、『小右記』によれば、
法師隆範を使って花山院女王を殺させたり、敦明親王雑色長を凌辱したりと乱行の噂が絶えなかったようで
「悪三位」の呼称があります。
と、長岡京 小倉山荘 公式ブランドサイトの説明にある
あの親にして、この子ども!遺伝には逆らえないな、とも感じてしまう
ところで、「光る君へ」では33帖まで書き上げたことになったいた源氏物語
その先は「若菜」では光源氏がしっぺ返しを食らうような大変なストーリーになっていく
それからもっと後では、光源氏のDNAを持った若者と頭中将のDNAを持った若者の
性格の違い、思い切りの違いが際立つようになっている(浮舟に対する行動において)
あの時代に遺伝などという考え方があったかどうかは知らないが
それを書ききった紫式部はやはり凄いと思う
覚えているのは、おかしなことばかりというのはよくあることだ
先日の中村哲さんのイベント「医師中村哲の仕事・働くということ」の上映会のあとの
カメラマンとジャーナリストの対談で覚えている変なことは、こんなこと
中村哲さんが馬に乗って地域の診療に出かけたときイヤホンをつけていた
聴いていたのはモーツァルトの音楽だった!と対談の一人が口にした
たったそれだけで、対談全体に意味あることとは思えなかったが
自分は一気に中村哲さんにシンパシーを覚えた
彼もモーツァルトを聴いたときに感じるあの感覚を楽しんでいるのか?
と、どこか仲間のような気がしたのだった
もう一つ覚えている変なことは、対談者のカメラマンが中村哲さんの
部屋に出かけた際に見かけた本棚のこと
医学書、土木関係の本は必要な類で想像がつくが、その他に
「クレヨンしんちゃん」の漫画が10冊くらい並んでいたというのだ
クレヨンしんちゃんは馴染みがなくて共にする感覚を覚えることができなかったが
漫画を楽しむという感覚はわかる
北杜夫も漫画をずっと読んでいたようだったし
自分もいい歳になっても立ち読みで少年漫画を見ていた
人には当たり前だがいろんな側面がある
そういう側面がたくさんある人のほうが、面白いように感じてしまう
人への理解は、実はそうした些細なことから始まるのかもしれない
「そういえば、このあたりに若紫の姫君はいらっしゃるのでは?」
と藤原公任が紫式部に語りかけたことが
寛弘5年11月1日の紫式部日記に書かれている
この記述が源氏物語が読まれていることを示す歴史上最初の記録で
それにちなんで、この日を「古典の日」となったようだ
このセリフは昨日の「光る君へ」で使われていた
脚本家は、この有名なセリフを使うチャンスを虎視眈々と狙っていたに違いない
ついに出たか!が第一印象だった
脚本家はドラマにいろんな仕掛けを入れ込んでいる
ここでそう来たか、、と、解読しながらドラマを見るのは
源氏物語をとりあえず読んだことのある人は、より楽しめるに違いない
昨日、そう来たかと感じたもう一つは、彰子の出産シーンで
安産を願う多くの僧侶の読経のなか、生霊が乗り移ったと思われる
女が奇声を発し、狂ったような行動をしていた
別の場所では藤原伊周が呪詛を執念深く行っていた場面
源氏物語の出産のときの生霊のエピソードと言えば
葵の上が光源氏の息子を生む時のそれがまず頭に浮かぶ
六条の御息所が賀茂祭の車争いの屈辱と葵の上の出産を恨んで生霊となって
葵の上を苦しめるシーンで、シチュエーションはそっくりだ
物語では葵の上は子ども(夕霧)を産んで死んでしまう
このシーンは昔も印象に残るものだったようで、能の「葵の上」は
生霊が登場し、横川の祈祷師と戦うストーリーとなっている
能では子どもを産む葵の上は舞台に登場せず
そのかわりに葵の上を想像させる衣装が舞台に置かれているだけだ
生霊は祈祷師に負けて最後は引っ込んでいくが、源氏物語は予定調和では終わらない
ドラマであのように生霊を可視化したのは
源氏物語を読んだことのある人へのサービス精神の現れではないか!と思う
つまりは、あのシーンはほとんどの人が葵の上のエピソードを連想する
それを楽しんでください、、とのメッセージだ
ところで新城市は江戸時代から能が庶民の間でも演じられ
少し前には「薪能」が文化会館で行われた
能の演目は今年の大河ドラマに合わせて「葵の上」だった
それにしても、思いのほか興味深い今年の大河ドラマ
昨日、久しぶりにお茶した彼は
「平安時代のことなのに、こんなにハマるとは思わなかった」
と「光る君へ」を評価していた
視聴率はどうか知らないが、少なくとも自分は高評価している
前回の「光る君へ」のワンシーン
まひろと道長が少し話し込んで、そのあと道長が部屋に戻る時
少し立ち止まった場面があった
あの立ち止まったシーンはどういう意味があったのか?
を想像した人たちがいた
女性の多くは、まひろが産んだ子が道長の子ではないか?
と気がついたとする考えが多かったようだ
男の自分は、なんで立ち止まっただろう
とは思ったが、そこからの想像は浮かばなかった
確かにその前に不義の子(藤壺と光源氏)の話をしていたから
そこからの連想でそこ賢子が、もしや、、、と気づいたのかもしれない
演出家はどういう意味だったのか?
は、それぞれ想像してください、といったところなのだろうか
含みが多い演出はなかなか面白い
なんという9月だ
クソ暑さは10日以上続いている
いつもの道にまだ彼岸花は咲いていない
虫の声もあまり聞けていない
昨年は史上最高の暑い夏だったとの声があったが
今年はそれを上回ることになるだろう
9月になれば、、と歌う曲があった
TULIP セプテンバー
チューリップのセプテンバーだ
少なくとも、今のこの暑い気候を想像はできない
9月になれば運動会があって、玉入れ競技が終わって
片付けをみんなで行って、家に帰ってお風呂に入った時
フト夏が行ってしまう、、半袖の服ともおさらばと
寂しい思いをしたものだった
9月の曲は太田裕美の「九月の雨」も好きな曲だった
筒美京平の作らしい少しメランコリーな味わいの曲
九月の雨 太田 裕美 September Rain Hiromi Ota
懐かしいし、いいなあ2曲とも
ところで、これらの曲は自分にとっては懐メロに当たるが
これと比べると最近の歌は、、、と言いたくなってしまう
歌い手さんの見せ方は今のほうが高度だと思うが
音楽自体は質は高くなっているのだろうか
台風が来るたびに、この地区の山を背負った牛倉(うしぐら)とか出沢(すざわ)の人たちは
大丈夫なんだろうかと思う
今回の台風10号では、遠く離れた蒲郡で土砂崩れの被害がでてしまった
牛倉や出沢はテレビで見るあのような場所よりも、もっと山に接近していて
危険に満ちているような気がしてならない
だが、ずっと何事もなく過ぎているので、心配するよりしっかりしているのかもしれない
我が家は2018年10月に台風被害にあった
多分、突風(竜巻)によるもので、夜中に屋根の方からバタン、バタンと言う音が
継続してなり続けた
朝起きて屋根を見ると、屋根の一番高い部分が壊されていた
もっと悲惨だったのがカーポート
樹脂製の屋根はバリバリに割れていた
確かにその日の夜は今までに感じたことのない風の強さだった
初めて風で怖いと思ったものだった
台風被害は自分の家から北の方面の家で屋根の瓦が飛んだり
一部が壊れていたりしていた
それは以前見た竜巻被害のそれによく似ていた
起きてしまったことは仕方ない
思わぬ出費に落ち込みそうになるが、直すなら早いほうが良い
知り合いの工務店に修理を依頼すると、そこは朝から修理依頼の電話が
なりっぱなしだったそうだ
運が良かったのは、これらの修理費用が保険(共済)でカバーできたことだ
被害の写真を撮って、業者から見積もりを取って、依頼して
そして人よりも早く作業をしてもらって、元通りになった
共済の担当者は昔サッカーのコーチをしていた時に面倒を見た人物だった
彼はそのこともあって、いろいろ良くしてくれた
全ての手続きが終わってからアンケートを求められたが
そのアンケートのせいか、二月後くらいに高価な柑橘類の入った箱が
送られてきた(どうやら抽選に当たったらしい)
お金がかからずに現状回復ができたこと
自分では絶対購入しない高価なミカンを手に入れられたこと
それを思うと、台風被害の記憶は良い記憶として刻まれることになった
その翌年も台風被害があった
今度は庭の木が犠牲になった
強風に耐えられず途中から折れてしまった
葉っぱを付けていると風を受けやすく、それでこんなふうになってしまった
生き物が傷を受けたりダメージを受けているのを見るのは辛い
何も言わないだけに余計にそう思う
ノロノロ台風はまだ九州付近
気圧も随分低いままだ
新城市も場所によって被害が早くも出ているらしい
暑すぎる天候も嫌だが、程度を知らない台風も困ったものだ
暑い時期は頭が働かないと実感する
ルーティンのこの作業(ブログ)も面倒くさいことを考えることをパスしがちだ
余裕のある人たちが避暑に行く気持ちはよく分かる
昔、エイトマンという漫画があったが、エイトマンは時々タバコみたいなものを吸った
それは頭を冷やす昨日を持った薬品だった記憶している
子供の漫画にタバコは褒められたものではないが、電子機器は温度に弱いということは
その時から頭に入っている
(その割には2階の暑い部屋にPCが設置してあるが)
人間だけじゃなく、いろんなものが暑さに弱いのだ
今朝は、とんでもなく蒸し暑かった
夜中に雨がモタモタと降って、それがいつまでも後を引いて
中途半端な天気となって湿気だけがいつまでも残っている感じ
日本の夏は、かなわんなあ
金鳥の夏は昔の話になって、蚊取り線香は今年は一向に出番がない
この分だと夏バテをしてしまうかも知れない
何とか踏ん張っていたが、涼しくなると一気に疲れが出る
なんてことは充分ありそうだ
頭にはもう少し面倒くさいことが巣食っているが
それを纏める馬力と気力は今は浮かばない
涼しくなったら、それらはいつかでてくると思うが、さて
夜中の3時半頃、雨が降り始めた
ずっと期待していた雨、地表が冷えて連日の猛暑から逃れられることを期待した
だが、直ぐ止んでしまう気もした
それでも思いのほか雨は粘って、雨という自然現象を久々に実感した
木々も草も虫たちも、本当に久しぶりの雨を喜んだに違いない
今朝、埼玉の妹からラインで今朝は曇り空なので朝顔が元気に咲いている
と連絡があった
生き物たちには本当にきつい今年の暑さ
これが今年からずっとなのか、今年だけのことか、、少し不安が残る
ところで、どこかにあったはず!と本棚から見つけたのがこのノート
購入した本(読んだ本)、購入したCD、見に行った映画、聴きに行ったコンサート、
見に行ったサッカーの試合、出かけた旅、そしてコーチしていたサッカーの試合の結果
書き残されている
思い出のタイトルを英語で書いたが情けないことにスペルが違っていた
正しくはMemoriesだった
記録はもっとたくさん残っていると思っていたが、1997年から1999年までだった
別冊を探したが今のところ見つかっていない
このノートは自分の内面を育てた具体的なものの記録だ
こうしたものにお金を費やしていたことは、今見ると懐かしいし
どこか誇らしい気もする
始めの1997年は読んだ本(購入した本)は25冊
購入したCDは59枚(セットも一枚とみて)
映画は5本
コンサートは6回(クラシックコンサート)
スポーツ観戦はグランパスの試合で4回
子どもたちのサッカーの体外戦は5試合で4勝1敗
(負けた試合は風邪が流行っていて一人少ない状態だった)
1998年は本が19冊
CDが28枚
映画が4回
コンサートが4回
サッカー観戦が3回
少年サッカー(小学生)は12試合(勝敗は半々くらい)
中学生は10試合(引き分けが数試合、勝ち負けは半々)
旅は京都へ
1999年は本が26冊
CDが15枚
映画が8本
旅は京都、東京、
これらを眺めると、1997年当時は読む本はフィクション主体の軽めが多かった
ところが徐々に真面目な本も多くなっている
キリスト教の死海文書関係とか須賀敦子の本とか
フィクションではない本が増えている
こうしてみると、いつ頃から哲学系、社会学系(ベルクソンとかオルテガとか)が
増えてきたのか気になる
確か今年読んだ本で記録に残しているから、いつかチェックしてみよう
購入したCDはどの年もがクラシック関係
バッハから現代音楽(メシアン)まで種種雑多で今も愛聴しているものがある
ただ、つくづく変な曲を聞いているものだと思う
市場性はないアルバムばかりだから、売りに出したら二束三文の口だ
母の父、祖父は何でも記録に残しておく人だった
今もとっておけば昔の良い記録になっただろうが
メモ魔だったという記憶しか残っていないのが残念だ
母はその血を受け継いで何でもメモしている
家計簿をつけているが面倒だからといって合計金額を出していない
その血をついで自分は、こんな感じの記録を残した
それがどうした、、といえば、それまでだが
こうして眺めてみると何かが残っているというのは
大したものだとも思う
先日、2010年、2016年、そして今年2024年の7月の気温比較のグラフを作った
(朝のだいたい決まった時刻の室内温度計の記録から)
今年は特別に暑かったが、今日までの8月も同様にグラフ化してみると、やはり暑かった
青が今年のグラフで怒りを覚えそうにコンスタントに暑い
2019年はまだ低いし、2010年は変化が大きいことと比べると
本当に今年は特別な気候だと実感する
昨日は一時期、午後に黒い雲が広がって雨が降るかもしれない
どうせなら一時間くらいしっかり降れ!
と期待したが、何のことはない降った時間は数分だった
そのせいで蒸し暑くなり、送り火をする時はちょっとのことで汗をかいてしまった
日本が温帯から亜熱帯に変わってしまうとの考え方もあるようだ
恐ろしいのは今年の気候が今年だけの特別なものではなくて
これからずっとこの様なものになるかもしれないと言うことだ
ところで、IOCはまたもや日本でのオリンピック開催に好意的との話を耳にした
だが、開催時期が今年のように夏の一時期ならば、それは狂った判断としか思えない
1964年は10月10日が東京オリンピックの開会式の日だった
そのくらいの気候なら、アスリートも観客も楽しめただろうに
なぜ最近の大会の開催時期がこんなに暑い夏に変わってしまったのだろう
それにしても、暑い
いい加減にこの地方にも雨が欲しい
そう言えば、きのう送り火のためお寺さんに行ったら蝉の声が変わっていた
今まではクマゼミとかアブラゼミの賑やかな音だったが
昨日耳にしたのはツクツクボウシだった
暑くても季節は変化しているのだろう
(昔、お盆に北アルプスの山に登っていた頃は、赤とんぼを見たものだった)
今年ほどビールを飲んだ夏はない
気温によって売れる商品が違うことは知られている
豆腐、アイスクリーム、ビールなどは温度計を見ながら
仕入れ量を考慮するのだそうだ
と言っても、アルコールは強い方ではなく
「お酒は養命酒を!」のジョークで通している
それに冷たい飲料は強くない胃腸にこたえて
飲みすぎるとお腹がどんよりと重い感じがしてしまう
だが、今年はそんなことは言ってられない
冷蔵庫には切らすことなく冷えている
以前は、その都度コンビニで2缶購入していた
銘柄も決めず、その日の気分でモルツとかスプリングバレーとか
銀河高原ビールとか
つまりは、あまり飲まないので価格には無頓着だった
ところが、今年は価格にシビアになってドラックストアで6缶セットを手に入れている
一旦安い買い方をすると、その価格が普通というか当たり前になって
少しでも価格が上になると安いところで買わなきゃ損!
と同居人の癖が伝染している
ビールのCMでは「美味しい!」
との言葉がよく聞かれるが、「ビールって美味しいか?」と思う
飲んだ後「プファー!」と声に出るのはわかるし、一杯目の満足感もわかる
しかし美味しい!という実感はそんなにないのが自分の実感だ
美味しいという感覚は、たくさんの種類を飲んでこそわかるような気もする
絶対的な美味しさというより、あれよりこっちが好み!
がヘビードリンカーではない自分の実感
それなら何でもいいか?
といえばそうではないのが面倒なところ
今年は「晴れ風」お気に入りになっている
あまり苦くなくて、刺激もそんなにない、物足りないところもあるが
気になるほどではない
濃い感じのスプリングバレーはそれなりの丁寧なつくりで存在感があって
価格が少し高いのはわかる気がしているが、安い商品を知ってしまうと
なかなか手に取れない
実はビールってうまいな、、と感じたことはあった
何十年も前ミュンヘンで飲んだ時、爽やかな香りと喉越しで
今まで飲んだビールとなにか違うと実感したのだった
そのビールは小麦が原料のヴァイツェンビールで
いつも飲んでいるのと違っていたのを知ったのは随分経ってからのことだった
ヴァイツェンビールが好みということがわかってからは、銀河高原ビールとか
販売中止になってしまった「和」とか、ヴァイツェンビール系統を購入していた
だが、店に並ぶのは圧倒的に一般的な商品ばかり
そのうちに、なんでもいいや!の気分になってしまった
CMを見ると、ビールって感動するくらいうまいか?
と、わざとらしさを感じるのは意地が悪すぎるか