パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

新聞に掲載されると、、、

2023年04月09日 09時18分05秒 | あれこれ考えること

新聞には投書欄がある
同居人はこれを読むのが好きで、時々気になった投稿を読むように勧めてくる

昨日の夕刊に知っている名前の投稿があったので、さっそく読むように話しかけてきた
確かに知ってる人と同じ名前だ
読み終えると、これは自分らが知っている人の投稿だと確信した
インフルエンにかかって寝込んでしまったので、夫が代わりに家事をしてくれるのだが
その一つ一つが雑で何一つまともにできないことを嘆いている
でも、そこには彼女らしいおおらかさで、笑って済ませて
「この人より先に死んではいけない」天の声があったというオチだった

彼女のブログを読んだことがあるが、昨日のはそれを彷彿とさせるもので
個性というものは知らず知らず出るものだと実感する

投書欄はもうひとり知り合いのを読んだことがある
これも同居人が先に見つけて言われて読んだものだが
読んで数日してから本人に投書欄のことを尋ねると
時々トライして掲載されることもある、、と白状(?)した

同居人はもうひとり投稿好きの女性を知っている
その人を直接は知らないが、中学の時の数学の先生の奥さんで
先生の奥さんらしく、しっかりした文章を書く人だ
これもまた読むように催促を受けるが、、女性視点のモノが多く
他の二人と比べると記憶に残っていない

このように新聞に掲載されると、この人たちは一段落上の人たちと思えてくる
数ある投稿の中から選らばれる内容、何よりも投稿しようとする気概
それらは平々凡々と過ごしている人とは違うように思えてくる

選挙の時期になると立候補者の横顔とか経歴とかマニフェストが新聞紙面に掲載される
これも不思議なことに、新聞に掲載されているその人々が
みんな素晴らしい人間の様に思えてしまう
そしてこの印象は、先日公開政策討論会で肌で感じた各人の印象とは随分違う

人は個人を詳しく知ってくると、その人間の欠点や情けないところも目につくようになる
それらは明らかに新聞に掲載された立派な印象とは大きく異なる
つまりは、媒体に載ってしまうということは、
人を実態よりも良きものにしてしまう力があるということだ

だが人はそんなに一人ひとりを詳しく知ることはできない
結局、公開されている情報の中で判断し選択するしかない

そんなことを考えていると、選挙というものも、案外いい加減なところで回っている
と思えてしまう
いい加減さを防ぐ手段として、多くの人による審判(投票率の高さ)があれば良いのだが
現実は今回もきっと低い投票率だろう

社会を上手く回していくのは自分たちの力というものの
思いのほか面倒で難しいものだと思うこの頃

 

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