兵庫県民は百条委員会まで開かれる事態になった知事を選んで
失敗したと思っているのだろうか
人なんてちょっとやそっとでわかるはず無いから
このくらいは仕方ないと思っているのだろうか
(こんな人だとは思わなかった、、が実感かも知れない)
人間性とか性格とか傾向はわからないから
とりあえずそれなりの人たちが薦める人を信じて投票する
多くの人が薦めるから間違いはないだろう
これが一般人の気持ちだろう
(特に日本人はみんなと一緒であることで安心する傾向がある)
しかし、ここ最近はこれが大外れということが多くないだろうか
人が人を選ぶということは思いのほか危険を伴うようだ
多くの人で選ぶことで最悪を避けることができると言われるが
その反対も起きうることが可視化されたようだ
ところで人間の第一勘とか、容貌、雰囲気から何かを読み取る能力は
どのくらい信用できるんだろうか
もしかしたら、考えに考え抜いたものよりも良い選択をするかもしれない
どこかで読んだ本で、首長選に立候補した何人かの写真を
(政策も経歴も知らない)遠くの地区の人に見せて、誰が当選するか?
を調査したのを見たことがあったが(確かアメリカの調査)
写真だけの判断は、思いのほか実際の結果と近かったとその調査にはあった
なんとなくわかるな、、という気がしないでもない
自分も一人ひとりの情報が全く無い状態で岐阜市長選の公開討論会を見に行った時
直感的にこの人が、、と感じた人が選ばれたからで、なんだかよくわからないが
人はそういう力も持っているのかも知れないとも思う
と言っても、現実には風貌しか知らない人を選ぶ状況なんてありえない
いろんな情報が好意、敵意を持って拡散される
その中で、自分の判断力を信じるというのは訓練されていないと
なかなか難しいのかも知れない
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