パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

自分で解決するしかない!

2021年05月23日 10時28分34秒 | あれこれ考えること

メッシの所属するFCバルセロナには当然のことながら
育成を目的としたジュニアコース・ユースコースがある
そこに入るだけで大変なことだが、どうやら一年ごとに進級できるかどうか
判定されて、何人かはそれより先に進めないことになっている

ショックを受けるのはその宣告をされた選手で、それまではサッカーが全て!
と、気持ちも時間も費やしてきたものが無駄に終わるのは
外から想像するだけでしんどいものと思われる

そうした精神的な問題に対処するために、あるスタアッフは
「サッカーだけが人生ではない」と常々教えているそうだ
そうは言われても「そうですか」と簡単に切り替えられるとは思わないし
そのような人は最初から上に行く資格はなかったかもしれない

でも、綺麗事におもえるこのスタッフも真実の一つは伝えている
「〇〇だけが人生ではない」
それは間違いのない現実だ
〇〇が非情に結果で選別される場合、当人は自分自身で気持ちと折り合いをつけなければならない
結局のところ、気持ちとの折り合いをつけてその先どのような生き方をするのかは
全て個人が選択せざるをえない
高度な環境でサッカーができなくても太陽はいつものように昇り、友人や家族はルーティンのような
生活を続けている
今は惨めに思えても、これからの時間のほうが圧倒的に長いとすれば、どうやって自分との折り合いをつけるか
それは本当の自分との戦いなのかもしれない

池江璃花子さんがブランクを乗り越えてリレーの選手に選ばれた
それは劇的なニュースであり、それに至るまでも壮絶な努力も想像できる
しかし、着順で結果が出るこの世界には彼女に破れた選手がいる
破れた選手も必死に努力し、人生をかけるくらいの気持ちで取り組んでいたに違いない
だが、ブランクを乗り越えたハンディキャップがあるはずの彼女に負けた

ニュースは池江璃花子さんの視点ばかりで報道するが、破れた側は理不尽な思いを募らせる
才能(努力があるとしても)ちょっとやそっとの努力ではおいつけないもの
それは確かに不公平(理不尽)に存在する
悲しいことにそれは多分戦った選手が実感として一番感じうるものだろう

〇〇の分野で壮絶な才能があるとしても、それで人生が幸せなわけじゃない
こうした自分を納得させる言い分は、長い時間をかけて十字架として自分自身で解決するしかないだろう

今回のコロナ禍の中でのオリンピックについて、人生をかけてきた人たちの努力や思いを考えると
中止すべきだと言えるのか、、、との声がある
一番のトラブルの原因は、安心安全な大会への気持ちばかり優先して、具体的な機械的なシステムとして
どのように実現されうるかを明らかにしない関係者たちの無責任ぶりだが、
現実的には、そして人道的にも今回は無理だと思わざるを得ない

いきなり、今までの努力が無駄になったと、放り出される形になる選手たちは、、どうなる、、

でも、それは冷たい言い方だが、それは選手個人の中で折り合いをつけていくしかない
人はなり小なり、乗り越えていくしかないものを経験する
それが長期に渡るか短期に終わるかわからないが、解決したらまた新たな問題が現れる
生きている時間とはそういうものだ、、と今は思う

それにしても、今回のオリンピックほど資本主義(商業主義)とか代表制民主主義について
考えさせられることはなかった(いつまで経っても、もやもや感が拭えない)



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