季節の中で 暮らしの中で -Through the seasons and daily life-

現代の都会でプチ昔&田舎暮らし
-old & country style in modern urban life

懺悔と許し

2017-04-02 21:54:34 | 心と体 Mind&Body
この一週間がまさに「祈り週間」。
薬師寺から始まって、結構濃い宗教体験をするのが続いています。

土曜日は友達が行っている教会に行きました。
時々行ける教会があったら良いなと思っていて。特にキリスト教信者になろうとは思ってないんだけど、じっと神様と向き合える教会があったらと思っています。
今まではカトリックやプロテスタントの教会には行ったことあるんだけど、ここはロシア系の教会です。
玉ねぎみたいなのが付いてるのが特徴。

       

金色を使ったイコンが並ぶ、落ち着いた素敵な教会でした。
ちょうど聖母マリアさんのお祈りの日だった。
祈りは抑揚が付いていて歌のように唱えられます。
神父さんはお香を炊いた金の入れ物を長い紐で振り子のように振っていろんなところに行く。清めてるのかな。
結局参加した人が私と友達ともう一人ロシアの方だけだったので、私も出来るところは一緒に歌った。
ゆったりとしてて良いなあと思う。

今回、薬師寺と教会に行ってなんだかわかった事がある。
懺悔と許しについて。
その二つがどうもわからなかった。
懺悔のイメージが「伊賀野カバ丸」の教頭先生だったから。(わかる人にしかわからないな)
間違った事をしたとわかった時にガックリとうずくまり、頭を抱えて自分を責めている。そう言う感じ。
でも今回でそれは自己憐憫であって、懺悔ではないんだとわかった。
懺悔したら、悪いことをしたと自分で気付いてわかるんだけど、その後は自分で出来る事は自分で対処するし、出来ない事は神様に預けるんだと思う。
いつまでもそれを抱え込んでどこにも歩みを進めないって言う事ではない。
許しも。嫌な事をされても、それを忘れたりその人を肯定するんだと思ってた。
たぶん違う。許すと言うのは忘れたり悪いことした人を良い人だと思い直すんじゃなくて、自分の受けた痛みを手放して、その人の罪はその人に任せる。それができなかったらこれも神様に任せるって事なんじゃないかと思った。
ひどいことされた事は忘れなくて良い。けど、いつまでも嫌だ嫌だと思って自分の中で嫌な気持ちを反芻するんじゃなくて、そんな事も手放す事なんだと思った。
またしばらく経ったたら別の考え方になるかもしれないけど、今はそんな風。

懺悔(薬師寺ではさんげ)ってこの季節に合ってると思う。
冬の貯まった重い汚れを押し出して、新しい春の息吹を体に廻らせる。そう言う事だなあと。



そして息子の大学院の入学式。仏教系。
卒業式はそんなに派手じゃなかったけど、入学式は結構盛り上がってる。
いきなり白い像が飛んでた。

       

その横でお釈迦さんに甘茶をかけた。
そして念珠作り体験のコーナーがあったので作ってみた。
この大学は仏教の勉強や奉仕をする学生がたくさんいる。その人たちがいつも丁寧で親切だなあと感心しています。
念珠の作り方も丁寧に教えてくれた。
ちゃんと自分のサイズピッタリなものを作れるようになってる。

       

オルガンに合わせて、讃美歌みたいなお経。3回目だけど不思議だなあと思う。
式が終わって外に出てみたら、散華のパレードをしていた。ちょっと拾う。

       

そのパレードもマーチングバンドがしているので、白い像が浮かんでても散華が散っててもなんだか明るくて洋風。
面白いなあと思う。

それでも落ち着いた感じで広くてきれいな校舎。
ちょっと高台にあって空気がきれい。周りに森もあって緑が多い。
こんなところで勉強するのは気持ち良いだろうなと思う。
あと2年。好きなだけ思い切り勉強したらいい。


祈り週間、濃かった。
集中して魂と精神のデトックスがきっぱりと出来た感じ。
頭にも心にも体にも、温かい明るい風が入ってきた。
さあ新しい季節が始まります。




Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする