プラクティスデイ、ワンデイリトリートとも呼ばれるこの日。
いつもは2時間半のクラスですが、この日は朝9時半から午後4時半まで瞑想を行います。
その間はサイレントと言って話さない、仕草での会話もしません。スマホなどの電子機器も触りません。
食事の間もマインドフルに食事を頂きます。
そんな日をみんなで迎える。
朝は早めに集まったので、少し早めに始めた。
じっと静かに座ることから始め、始めはそれぞれが今感じている事など話して、そしてサイレントに入って行きます。
座る瞑想やムーブメント、歩く瞑想をたくさん。
その中に、物語や詩を読む時間もあります。
これに私は関心がずっとあり、初めてMBSRを受けた時からいろんな詩や文章に積極的に触れてふさわしいものを集めてきました。元々詩というのは得意でなかった。
私の人生で詩は、読んだらすぐに終わって何回も読まないものだった。どんなに良いと言われる詩でも。
詩を見つける、味わう、理解するセンスがなかった。そもそも出会った詩の数が少なかったかもしれない。
それでもMBSRを機会にたくさんの詩集を見たり、人に聞いて探しているうちに、その中から1日に何度でも手に取ってしまう、読んでしまう詩があることに気づいた。それは歌も同じことだなあと感づく。
自分にとって心の栄養やビタミンになる言葉と言うのは、必要があって何度でも反芻して味わうものなのだと。そして暮らしや生涯を共にするものなのだと。
そんな詩をそして物語を集めて、ノートに書き込んでいく。そうやって貯めていった。
その中から選りすぐりの今日のための文章を読んだ。
ちょっと途中で感情が込み上げて、読むために立ち止まったものもある。
何度も練習したのにね。
それほど、何度平静で読めても、その中に入ってしまうと感情に大きく働く言葉と言うのがある。
そして元々、生まれながらにして私は言葉が好きだったのだなと思う。
瞑想のガイドもすべて言葉だ。その言葉の力、発音の力をずっと1年以上磨いてガイドを作り上げて行く。
借り物ではなくて自分の存在の源泉から湧き出てくる言葉。それを使えるようになるまで掘り下げて水脈を掘り当てて、調整して使い方を学ぶ。
マインドフルネスの講師になると言うのはそう言うことだと思う。
何も道具がいらないこのプログラム。ただ必要なのは講師そのものの生き方や在り方とそして言葉。
まだまだできたとか完成とかはないけれど、これからも伝える言葉を磨いて行きたい。
物語の後には慈愛の瞑想がある。それも自分でできるだけ優しく温かいものにした。
そして何より沈黙そのものの力。
自分が大好きなリトリートを自分で行えたと言うことがまず嬉しい。
そして受講生のかたが、何か分からなくても心配でも、プログラムと私を信じて一日最後まで一緒にいてくれた事がありがたい。
いつもより暖かくて明るくて、本当に輝かしい1日でした✨
早春の1日を皆で過ごせた幸せ。本当にみなさんありがとう!
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