明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


隔月の地元誌『タウン誌深川』の原稿を書く。三島由紀夫のあの日のことについて。実は新年号に書くつもりでいたが、昨年暮れに地元で世間を騒がせた血なまぐさい事件が起きたので、なんとなく遠慮して急遽葛飾北斎に換えた。 三島はあの日、演説により自衛隊員が立ち上がるなどとは爪の先ほども考えていなかったろう。轟々たる野次に魂の言葉がかき消され、無念。もはやこれまで。きびすを返し長官室に戻り自決。これが筋書きだったろう。華々しく悲劇に準じる浪漫主義的悲壮の死。あの野次でさえ、舞台を盛り上げるため計算のウチだったと私は考える。三島に共感した自衛隊員が一人でも「先生お供します!」と立ち上がっていたらエンデイングは台無しだったに違いない。演説は予定より大分早く切り上げたようだが、バルコニーの上から空気を読めないオッチョコチョイを見つけ慌てて急いたのではないか、なんて想像してみたりして。もっとも、あの日あの場で空気を読めた人など皆無だったろうけれど。 新たに龍を作り、龍虎図とする企みは頭を冷やし収まった。個展は5月だという時期にあたりまえである。友人から腕の中で飼ってた蛇が亡くなって、という電話でもない限りもう心配はない。

銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

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