明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



猛虎図で唯一撮影した物でなかったのは目であった。わざわざキャッツアイにしていた訳だが、なんのことはない、本物の猫目を使えば良い話しではないか。猫の目が左右に動く物かは知らないが、背後の月を伺うように横目にしたいので、黒目は移動させたが、これですべて撮影した物でできていることになる。違いは判らないかもしれないが、これでやましい?ことはなくなった。 特に難しいことをしてきた訳ではないが。どうしても個展会場で手法について説明を求められることが多く、その場合、目だけは描きました、なんていえば混乱を招くだけであり、せっかくいつになく、“陰影が出ないよう撮影して切り抜いて配しただけ”という単純な手法なので、猛虎図に関しては、これでサッパリした。後は八百屋の店先にタケノコが並ぶのを待つだけである。 廃れていた古典技法オイルプリントで個展をした際には、紙にゼラチンを塗ってというと、昔はその時点で驚かれたものである。あなたの使ってるフィルムやプリントも塗ってあるんですよ、とまではいわなかったが。一度いって余計驚かれて止めた。プロのカメラマンでさえその事実を知らない人もいた。今でこそゼラチン・シルバー・プリントなんてスカした呼ばれ方をしているが。 友人に、私の大リーグボール3号だ、などと一時はしゃいでいたわりに、単純で簡単な手法だ、なんてわざわざいって、何故喜んでいるのだ、といわれたが、今回の手法は、修験者の技のような物の力、作用で、こうなった訳ではないのだ、種も仕掛けも(ちょっとしか)ない、といえる清々しさが彼には判らない。人形を手持ちで街中で撮影したり、19年前から昔でさえマイナーで、短命に終わっていた手法を発表していれば理解できるだろう。そしてそのあげくがこれだ、ということが私には何よりなのである。



銀座青木画廊「ピクトリアリズム展Ⅲ』5月12日(土)〜5月25日(金)20日(日休)

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtubeより

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載7回「“画狂老人葛飾北斎”」

HP

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )