明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ゲンセンカン主人で失敗に終わった逆遠近法を北斎で再びチャレンジしてみるつもりでいる。ただ成功率は低いと考えており、背景の撮影は2パターンで行う。陰影はともかく、遠くに行くにつれむしろ広がる逆遠近法は、例えば鈴木春信のように、デフォルメされている作風だから可能な手法であろう。よってある程度のリアルな被写体は、矛盾、違和感のみが残ることになるだろう。でも試さずにはいられない。市川崑の東京オリンピックや、オリンピック特集号のグラフ誌により望遠レンズの効果で、なんで後ろの選手が大きく見えるのか不思議でしょうがなかったが。あれとは話が少々違うけれど。 三島は自身も扮した聖セバスチャンの殉教図は、腕をバンザイして腋窩を露わにしている。そこも三島にとってはポイントだったろう。何故かは仮面の告白参照のことであるが、セバスチャンに見立てた弓張月の武藤太は、後ろ手だが、後ろ手の三島はすでに作っているから、と思うし、武藤太がセバスチャンのオマージュとするにはバンザイの方がとも思うのだが、歌舞伎という見立てであるから、やはり後ろ手がいいだろう。そんなことで悩んでいるのだからお目出度いとしか言いようがないが、そんな渡世なのだから仕方がない。 ここへ来て、太宰か芭蕉に取り掛かろうかと考えている。

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