明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



市ヶ谷駐屯地東部方面相関室左側の窓、窓外に広がる水平線に、^日輪は赫奕と昇った。^これにて画竜点睛。三島が最期に観た光景が完成した。椿説男の死の最後を飾るに相応しいカット。私の眉間にレンズを当てた念写により、ようやくこの場面は私の頭の中に間違いなく存在したことが証明された。かつて豊穣の海、奔馬を読んでイメージが浮かんだのはいつだったろうか。 まさか三島へのオマージュをまたやれるとは思わなかった。有り難いことである。おかげでやり尽くしていない感を払拭することかできる。 私のようにけじめを付けることなく、行き当たりばったり続けている無計画な人間は、あれができなかった、やっておくべきだった、と嘆きながら死んでいくのは仕方がない、と思っていたが、引っ越しを期に断捨離を決行でき、いや少々捨て過ぎ忘れて来た物が多々あるが、残された時間を考え、やり残したことを端から潰していく時間はまだあるうちで良かった。そういう意味では、太宰治も撮影用ではなく、完成させることができそうなことか何よりである。あんたとは色々あったな。と感慨深い。正直にいうと、引っ越し前、太宰をなんとかしたいとやっていて破綻していたのである。よっぽど捨ててしまおうかと思ったが、引っ越し荷物に放り込んで来たおかげで、ようやく頭部が完成した。おかげで敗北の記憶にならずに済んで良かった。20代はそんな記憶だらけであるが、作り潰した累々とした死体を踏ん潰してきて今に至っている。

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