午前中に洗濯を済ませ、窓を開けたまま制作。世間も休みである。こんな日は罪悪感もなく、清々しく進む。今更罪悪感も何もないものだし、好き勝手にやっているようで、そこはかとない何物かは常にある。小学生の時、始業のチャイムが鳴っているのに本から目が離せず。あんな感じが常にある。度々くり返し、図書室出禁になった。チャイムが鳴っているのに縛られ苦痛にうめく三島を作る私。せめて天気くらい良い方がいい。 それにしても、三島の男の死を展示をするタイミングでようやく太宰が完成に向かう。たまたまだが妙な感じである。三島の男の死開催に、三島に面と向かって嫌いだといわれ心中死した太宰が彩りを添えることになった。今回は人形展示は4体の予定だが、いずれも未展示の作品にすることにした。 未着色の三島をシュミレーションとして、弓張月の背景に合成し、作業を進める。私の作風の変化を予見していたかのようなデジタルな時代である。念写の能力がないのに比喩でなく念写が可能になったのは何よりである。私の頭に浮かんだのはこれだったんだ。ということができる。子供の頃、頭に浮かんだイメージは何処ヘ消えてしまうのか、と本当に悩んだものである。 三島にぺーパーをかけ、仕上げ着彩し、縄で縛り撮影すれば椿説弓張月も完成となる。そういえば、太宰も展示するのだから、写らないところは作らないというわけにはいかない。完成を急ぐことにする。
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