明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

翌日  


昨日は東京大空襲の日であったが、聖路加病院生まれの母に良く聞かされたが、聖路加病院は爆撃しないと米軍がビラを撒き、実際町内に不発弾が一個投下されただけだったそうで、おかげで祖母のぬか床が無事で、千葉に住む従姉妹が受け継いでいる。戦前どころかいつ由来の物か判らない。以前分けてもらって随分続けたが、個展をきっかけに乾燥した土くれにしてしまった。だがしかし、案外規則正しい今なら大丈夫だろうと、再びお願いした。 人物像を作っていてもっとも盛り上がるのは、時間ばかりかかり、辛いだけの頭部が完成し、身体部分を作り乾燥に持っていくまでである。ここはもたもたせず一気に行く。頭部と同じ調子ではやらない。ここにいる、というニュアンスはここで決まる。造形上の醍醐味を一番感じる時である。昔は集中し挑んだが、ここまで来ると、むしろ集中し過ぎないように気をつけているが、結局、太宰はマフラーをなびかせることをすっかり忘れた。まあ、後からでも遅くはない。昨日は犯罪現場を犯人が公開しながら連続殺人をする、というのを観たせいで、フェイスブックで画像をアップしながら作ったが、何をしていても完成に向かってしまう訳で、楽しいことはすぐに終わってしまう。後は乾燥させ、仕上げ、着彩となる。しかし人形だけ作っていた昔と違い、今は写真という、さらなる醍醐味が待っている。首の付け根部分は多少遊びがあり、ちょっとした角度の変化で表情のニュアンスが変わる。太宰には随分大変な目にあった。まだまだ面白くしてくれるまで許す訳にはいかないのである。 近所の居酒屋に出掛けたが、満員であった。しかし私を含めてマスクをしてる人が一人もいなかった。

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