明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



適当な私の作った三島画像の背景に馬琴の文章、松の木など配してみている。北斎が挿絵を描いた椿説弓張月よりも時代はずっと新しいが、私の思惑からすると、三島や乱歩が愛した月岡芳年の無残絵のスタイルで、それも色々やるうちに、上半身を大きめに、背景は単純にした魁題百撰相調にイメージが固まって来たが、だいたい背景は暗く、それは良いのだが、そうすると文字が読めなくなり、別に文字のスペースを作ることになる。文字は背景に配したいし、ならば明るい背景にするか悩む。 武藤太は、忽地椽の柱に縛り付けられる。ところがこの忽地椽がなんだか判らない。北斎の挿絵ではそれらしい物は描かれておらず、芳年も適当な杭のような物に縛られている。検索しても弓張月が出るばかりである。ホントのことなどどうでも良い、といいながら、作者がそう書いている以上、できるだけ勝手なことをしてはならないという、妙に律儀な所がある。馬琴が面白いことを考えたおかげで面白いことをさせてもらえるわけで、馬琴にも失礼があってはならない。そこで平岩弓枝の現代語訳を見てみようと思えば、図書館はしばらく休み。帰りに砂町銀座で大根の葉付きが買えないので、からし菜の大きな束を120円で。冷蔵庫には小松菜、菜の花などであふれる。しばらく食べなかったから不足しているのかもしれない。

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