月岡芳年作品を年代ごとに見てみると、思った通り、初期の人物が浮世絵浮世絵した時代は、かたわらに置かれた行灯も、逆遠近法、つまり遠ざかる程広がっていく日本的様式で描かれているが、人物がリアルに描かれると同時になりを潜め、正確な遠近法が用いられている。やはり私の作風では無理が生じるだろう。それに加えて、写真はそのままの形をとらえる物という先入観のおかげでよほど変形させないと効果が出ない。以前、試しに灯火器尽くしとでもいうように、行灯、平仄のみを画面に配して見たが、いくら陰影をなくそうとも効果が薄く面白みがなかった。 三島の椿説弓張月は、主役の三島以外は背景はおおよそ出来上がった。一見、浮世絵である。背後には松の木を配したが、もちろんカメラで撮影したものを使用している。 三島の四方から、木槌と竹釘をかまえた腰元の手が伸びている、なんていうのも考えている。馬琴の原作では、拷問のはてに、白縫姫が武藤太の首を自らはねる。三島演出ではそこまでしない。歌舞伎ならお得意の場面だが、三島は良く我慢したものである。歌舞伎の古典調にこだわった三島だが、私はそこまでこだわる必要はない。白縫が琴を爪弾くアップを薄っすらと背景に、なんてイメージが、今書いていて浮かんだ。 こうなってくると、加藤清正の虎退治も俵藤太の百足退治も可能である。虎はもちろん近所の猫を使うが。陰影の呪縛から解き放たれると、写真特有の空気感など失う物も確かにあるが、おかけでやりたい放題である。私はもちろんこちらを取る。
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