明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ハラキリ三島の仕上げ。来週中に着彩から撮影に入りたい。太宰は明日より立像の制作に入る。前作は上半身の写る所しか作らず、展示できないので身体の部分は捨ててしまった。今回もトンビを着せるつもりでいる。太宰愛用の実物もどこかで見た記憶がある。着流しも考えたがトレードマークでもあるし、青空をバックに、スックと立つ太宰。まとったマフラーをいくらかなびかせたい。 今回出品作を考えていると、陰影のない石塚式ピクトリアリズム作品は、初めて3、4年程だから、思いの外作品数が少ない。よって陰影、有る無し混在することにしたが、手法は違えど、所詮モチーフは私が作った人物である。 エドガー・ポーや太宰の眉間の下に陰影を出さずにいるのは難しい。私は作ることに関してだけ、なぜだかけじめを着けたがるが、ジャズでも、モダンだったりブルースがかったり、やりたければ我慢することはない。巨人の星を観ながら、一人に打たれたからといって相手によって大リーグボールを投げ分ければ良いのに、と小学生の私は思っていたではないか。北斎や芭蕉はなんといっても陰影のない大リーグボール3号だろう。そう思うと、青空を背景にしたい太宰は、久しぶりに外へ出て私の大リーグボール1号である、片手に人形を捧げ持ち、片手にカメラの名月赤城山撮法を行なっても良いだろう。この欠点は人に見られると恥ずかしいことである。歩きながらシャッター切ってはさっさと移動する。昔は暇な友人に付き合ってもらい、私は彼のせいでこんなことを心ならずもやっているのだ、という演技プランを胸に撮影したものである。

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