作家シリーズも随分長くやってきた。単なる挿絵ではなく、本人を作中に登場させて来たが、作品よりも三島そのものが主役という、今回はそのウエイトが大きい。そこへ持ってきて制作中の弓張月は、三島が死の一年前に手掛けた歌舞伎であり、挫折の英雄為朝に自らをなぞらえ、一年後のバルコニーの場の、まるでリハーサル、シュミレーションの如き趣きがある。 私の側からいえば、ここ数年手掛けてきた陰影のない、石塚式ピクトリアリズムとしても、浮世絵、日本画の自由さに嫉妬し、始めたその役どころを、まさに浮世絵調で、ここぞとばかりに果たすことになるだろう。そう思うとこの作品が、たまたま現時点での一到達点を示す作品になりそうである。はたからみれは、単に写真で浮き世みたいなことをやりたいだけだと思われるかもしれないけれど、ここへ至る道筋がある。お誂えのモチーフをよく見つけた、と自画自賛。 曲亭馬琴の原作ではどんな柱に縛られたかよく分からない。北斎の挿絵では柱がないようだし、芳年は素っ気ないT字形の杭である。三島版では擬宝珠のある欄干とある。それならば江東区内にいくらでもある。今月中に撮影して来よう。この場面は昼間だと思っていたが、夜のようである。しかし、月を浮べればただちに夜になるところが浮世絵である。背景こそ多少暗くするものの、主役はそのまま。昼も夜もない。 三島の残バラ髪は、芝居がかった歌舞伎のカツラ調にすることも考えているが、いずれにせよ人形用の毛髪を注文する。河童に使って以来二度目である。
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