椿説弓張月で三島に打ち込まれる竹釘は、昔は建物に多用されていたようで、鉄釘では腐食してしまうところ、竹釘はしっかり残ことが多いそうである。私のことであるから、もっともっと、と三島を責め苛んでしまいそうだが、竹釘ではないが煤竹の10センチ程の和菓子用楊枝をヤフオクで落札した。自分で竹を削って色を塗って、と考えていたが、煤竹となれば、すでに貫禄が付いている。釘の数だけは芳年の弓張月の責め場を超えてやろう。 いよいよ三島に歌舞伎調メイクを施す。何でもなりたがり、映画ではチンピラヤクザや剥製、唐突に切腹する武士や将校、しかしさすがの三島も歌舞伎の舞台には立たず、自分の代わりに身体を鍛えた映画俳優を拷問の挙げ句に殺される場面に代役を立てた。 今回の椿説男の死では、三島がなりたくてもなれなかったことをやってみたが、三島を糞尿運搬人にしたり、意味不明な方もいるだろうから、三島がなりたいと書いていることが分かるように、その部分を抜き書きしている。もちろん言っても書いてもいないものもあるけれど。 本人がやりたくてやった本家、男の死は、むしろ三島文学とは関係がなく、ただ三島が好きなタイプの本など読まず、身体は立派な男達になって死んでいるだけである。であるから、本家の男の死は、今頃出ても誤解を生むだけであろう。直後に出ていたらどうだったろう。また割腹だけで首を切断しなかったとしたら、どうだったろう。いずれにしても後世に様々な物を残していった。挙げ句には私のような人間も現れる始末である。
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