割腹中の三島は来週中に着彩、撮影を終えるだろう。展示は唐獅子牡丹を背負った三島にするつもりであったのだが、16年に一度展示している。今思うと深川江戸資料館という公の場所で展示出来たのが不思議である。なので今回は初披露となるハラキリバージョンを出品することにしようと考えている。 三島は切腹愛好会的な集いに参加していたようで、密かに撮った写真も残されている。同性愛の同好誌アドニスに下手くそに書いて、筆跡でバレないよう人に筆写させ発表した愛の処刑も、原稿だか制作ノートが残っていたせいで新潮社の全集に収まっている。残してならない物は、目の前で息子の嫁に焼かせた江戸川乱歩のように焼却処分すべきであったろう。 愛の処刑では、毛深い体育教師が、美少年の前で割腹をする。少年には先生素敵、僕はその顔が見たかったんだ。といわせている。手元に、そんな場面に相応しい三島があるのだから、愛の処刑を手掛けることも考えないではなく、以前近所に住む美少年に打診したことがあったが、私が作家シリーズでやっていることはたんに、挿絵を制作することではない。作者自身を作中に登場させることである。つまり体育教師を三島に扮してもらうためには、か弱い美少年ではなく、理知に犯されぬ肉体の所有者でないとならない。私の周囲には理知に犯されぬ肉体の所有者はいくらでもいるが、ついでに理知的でないのは肉体だけではないので使い物にはならない。ではその青年を私が作るとしたら肉付きの良い、まさにギリシャ彫刻のアンティノウスが如き若者でなければならないだろう。
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