出品作をそろそろ選んでいきたい。といっても、私の頭は画廊の図面をいくら眺めたところで何も浮かばないように出来ている。そもそも私にとって、図面や地図は見ているふりをするものである。今回はすべて和紙によるプリントということで、旧作にしても印象が変わるだろう。最近和紙ばかりで、プリント用紙が滑面で艶がある理由が判らなくなっている。 太宰仕上げにかかる。首はどこへ行った?見たら弓張月用に首を外された三島の胴体に突っ込んでいた。切腹中のフンドシ姿の三島の胴体に太宰の頭。ちょっと笑って作業を続ける。ここまで来ると単に作業なので、ユーチューブで落語や映画を聴きながら。マフラーをほんのちょっとなびかせた。裸ではそうは行かないが、多少首には遊びがあって、上下左右わずかながら向きを変えられる。このほんのちょっと変えることにより表情が変わり、案外饒舌となり、撮影のしようがある。立体の、しかも人物像を撮影する面白さ醍醐味がこにある。物にはすべて表情というものがあるが、なんといっても表情といったら人間である。 そう思うと、太宰はやりようが相当ある顔をしている。特に何が浮かんでいる訳ではないが、苦労させられたぶん、ただであっさりと許すことはできない。かつて木場の居酒屋の名店、河本で永井荷風を手持ちで撮影したように、いずれ片手に人形、片手にカメラでちょっと街をうろつきたくなった。
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