明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

花見  


友人二人と恒例の花見。満開にはまだ遠かったが、コロナに対抗してのアルコール消毒が主目的である。これで例によって、深く深呼吸し、5月7日から3週間の個展に向けて深く静かに潜航に入る。 9日にはトークショー、オープニングレセプションも決まった。先のことであるからと今の段階ではそれどころではないが、一昨年、東雅夫さんにお相手頂きトークショーなるものを始めてやったが、控室で、観客の方々を路傍の石と思い込むという作戦で挑んだが、先頭の方が目の前数十センチという有様で、ドアを開けたとたんこのセコい作戦は砕け散った。 捕らわれ縄に巻かれる予定の三島は展示する訳でもなく、一カットだけのため作っており、写る所しか作っていないので、今日の天気でほとんど乾いていた。 備忘として書いてみると、来週中に、この三島の着彩を済ませ撮影、太宰の仕上げに入り、出来れば着彩までは済ませたい。その間も北斎の仕上げを進め、来月できるだけ早く、画室と想定している場所の撮影。最後に芭蕉の身体の制作。写真作品としてはオーソドックスな日本画風に背景なしで、せいぜい芭蕉の木、場合によっては古池を配すか?割腹中の三島は完成間近で首を切断、先に完成させる弓張月の三島に使用中。着衣の場合は首を引っこ抜き、他の身体に流用できるが、裸の場合それが出来ずに仕方なく切り取り使用する。それというのも割腹の三島の写真作品としての構想に迷い、先に弓張月に首が回ってしまったという訳である。上手く行くかは判らないが、三島の最後のカットは愛の処刑の割腹する体育教師になるかもしれない。

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