明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



あまり宗教がかった物にはしたくはない。一休禅師にしたところで、京の街をシヤレコウベを竹竿に掲げて歩く姿をただ作りたいだけである。ただし、寒山拾得縁の臨済宗の僧侶であることは頭の隅にはあった。 寒山拾得展にその程度の縁の一休宗純がいるくらいなら、開祖、臨済義玄がいてもおかしくはない。年代三けた時代の人物となれば、残された肖像もあてにはならないが、どうせあてにならないなら、と捏造するわけにはいかず、通例となった像を元にするべきであろう。となると、怖い顔して渇!といってる場面であり、もちろん、そんな場面だから興味が出ている訳だけれど。 頭で考えると、行き当たりばったりに暴走しているような気がするが、結果的には、こういうことをしようとしていたのか。となる予定なのだが?



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