臨済義玄は口をさらに開け、血管を浮き立たせるところ以外は、それが作法とばかりに、左手の上に、握った右手を乗せるところまで、そのまま描きたい。それが私の場合は立体である、ということで充分であろう。余計なことをしては怪我をする。だがしかし。その表情に惹かれ、予定していなかった開祖制作にかかわり、知らなかったこととはいえ、思いのほか気を揉んでしまった。これは元を取らせて貰わずにはいられない。なんていうとまたバチが当たりそうだが、せっかくの立体である。陰影のない石塚式ピクトリアリズムを敢行した後、その激しい表情に合わせ、陰影まる出しのライディングで撮ってみたい。立体は一度作ってしまえば、何処からでも撮れるし何処からでも光を当てられる所に面白さがある。