寒山拾得に惹かれたそもそもは、岸田劉生も麗子像に取り入れた不気味なアルカイックスマイルである。そう思って様々な寒山拾得図を眺めてみると、実は殆どユーモラスな二人組であって、例の笑顔はほんの極一部であり、中国の顔輝の14世紀作由来のようである。それもあくまで伝とされているけれど。そして直接影響を受けた顔輝派ともいうべき寒山拾得図は、私自身は他に極一部どころか15世紀と17世紀各一点しか知らないのである。昨年、寒山拾得展を決めた時点では正直いってそこまでとは知らなかった。 それが寒山拾得の制作に、なかなか取りかかれない理由の一つでもあった。しかし、たまたまた臨済宗の一休禅師を作ることになり、それは小学生の時に”門松や、冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし“に、いたく感心したことを思い出したのが、横道にそれるように作り始めた理由だった。そう思ってみたら、寒山拾得の笑顔も、“笑顔であり笑顔でなし”だな、と思ったのはつい先日ブログに書いた時である。ついでに陶芸家を目指した十代の時に、河井寛次郎の”鳥が選んだ枝、鳥を待っていた枝“に感心したことも思い出した。それでようやく、これまで作った架空の登場人物とは違い、あくまで顔輝作調で行くことが決まった。