寒山拾得については寒山詩の序文に痩せている、と書かれているのに何故殆どが肥満体として描かれているのか?謎はもう一つある。禅僧にはどうでも良いことかもしれないが、作ろうという私には大事である。寒山拾得の風体は乞食坊主調で、爪も伸びたまま。髪もボサボサ、なのに星の数ほど描かれた寒山拾得は、髭が描かれているのは見た覚えがない。仙人も含めて、この類の登場人物は長命、或いは世俗を離れた隠遁者を象徴するためか、髭を生やしていることが多い。何か理由があるとしか思えない。 そんなこともあり、制作中の寒山もしくは拾得は、今の所、青年または少年のようである。この笑顔のようで笑顔でない不気味さは、何処か藤子不二雄Aの漫画の登場人物を連想させる。ひょっとして、と検索してみたら、果たして藤子不二雄Aは、曹洞宗49代目住職の息子として、富山県氷見市の光禅寺という古刹に生まれる、とあった。ビンゴ!寒山拾得図を幼い頃から目にしていたに違いなく、人間の二面性、あの笑顔に影響を受けていたのは間違いない、と私は思うのであった。