資料を全く見ずに作れるというのは楽しい。アドリブで顔が変わっていくのも悪くない。というより幼い頃から写生、デッサン嫌いの私が長い間、写真資料を参考に作家シリーズを良くやって来たものである。もっとも、独学者である私の勉強になったことも間違いないようで、おかげで、架空の人物については、澱むことなくスムーズに制作が進む。そのことに気付いていなかったので、頭部がスラスラ出来てしまい、いったん立ち止まって仕上げにかかっている。八人分はおおよそ胴体の制作に入れる所まで来た。(ガマガエル一匹を含む)一休禅師は、リアルな絵画、木像が数種残っており、どの部分を取り入れるか考えながら作るので、まだ仕上がっていない。
日曜美術館の再放送を見ていて気が付いたが、モナリザを含めて、ルネサンス頃の絵画は鎖骨を何故だか描かない。当時、醜い余計な物と見なされていたのか?理由は判らない。”鎖骨の窪みは赤ワインを注ぐためにある“ というような鎖骨マニアは当時存在しなかったようである。そんなセリフは聞いたことはないけれど。