明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨年ふげん社での『没後50年三島由紀夫へのオマージュ展椿説男の死』は5月7日が初日であった。あの時の私に一年後、臨済義玄を作ってるぞ、といっても誰だそれ?というだろうが、臨済という名にピンと来て、『寒山拾得』始めたのか?というかも知れない。いつかはやるとは思っていたが、飯沢耕太郎さんとのトークショーの最後に、あれは社長の声だったか次は何を?に寒山拾得といってしまった。実は次、というより近い将来、くらいの心持ちであったが、あそこで言ったからこそ、ふげん社のふげんは、拾得が実は普賢菩薩の化身というところから名付けたと知り、二年後の個展も決まった。 私も昔であったら、すぐに寒山を作り始め、プレッシャーに追い詰められていっただろう。それが金魚を眺め、主役である寒山と拾得は未だ始めていない。さすがに自分の扱い方を学んだ結果だな、と思う訳だが、あまり余裕をかましていてもいけない.高校の夏休みに当てずっぽうで想像した“人生も夏休みのアルバイトの如し、慣れた頃に夏休みは終わる“がリアルに感じられつつある今日この頃である。臨済義玄の首制作の後、やたら眠く寝てばかりいる。



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