明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

日常  


コロナ禍の今、私には何のストレスもない。散歩嫌いだし。幼い頃妄想した、どこかの王様に石の塔に幽閉され“一生ここで好きなことだけやっておれ”に限りなく近い。変わったといえば外で酒を飲むことが少なくなったことである。 三十年通った居酒屋で判ったことは、男達は、人としゃべりたくて集まっている、ということであった。しかし、当プログを御覧の方はお判りだと思うが、私が話したいことなど、話したって迷惑なだけである。蝦蟇仙人の話しなど、話の弾みようがない。結局、聞き役に回ることが多くなる。もっとも、すぐには家に帰りたくない、とグズグズしている男達の諸相は興味深い。どちらに転んでも可笑しく哀しい、と相場が決まっており、男専門の人形作家である私は、様々な意味で格好な取材の場といえるだろう。自覚しないで入ってくる情報しか役に立たないので、ただ飲んでいれば良いということになる。 このご時世、あまり楽しそうにしているのも気が引けるが、これを嫌々作っているとしたら哀し過ぎるだろう。なのでことさら楽しそうにしている訳である。



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蝦蟇仙人が連れている三本脚のヒキガエルだが、本物のヒキガエルを使う可能性はまだ捨てきれないでいるが、その場合は人形の展示が出来ない。撮影にどちらを採用するか、は後で考えるとして、まずは粘土で作ることにした。今回のモチーフには、決まり事のような物があり、それに準ずるか、準じないかは自由だろうが、せっかく先達の末席に位置しようと思うなら、私に取って都合の良い所、すなわち作って面白そうな所はそうしたい。中国の顔輝作由来か、一本しかない後ろ脚を鷲摑みし、胴体は頭か肩口に乗せている。私の蝦蟇仙人はハゲ頭で、カエルの前脚がぺったり張り付いている所を作りたい。もう一カット、地面で踊る蛙を見下ろす蝦蟇仙人というところか。 15の時に好きな物は一生好きだと聞いたことがあるが、このモチーフは、もつと前の私も好きだろう。違うことといえば当時、カエルの尻に花火を突っ込んで平気で破裂させていたが、今は触るのも嫌である。犠牲になった連中には申し訳ないが、悪いことは早めに済ませておくべきである。



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