64年の東京オリンピックの時、隣のおばちゃんが「ボクが生きている間にはもう日本でやることはないわよ。」といったのを覚えている。幼い頃から人の形や様子に敏感な私にとって、様々な人種の様々な形、様子が観られたオリンピックは生まれて始めての祭典であり夢中になった。しかし一方、私の東京というとオリンピック以前の東京であり、以降、東京の何がどう変わろうと不感症になってしまった。世間もドタバタ何やら落ち着きなく騒がしく。”東京オリンピック以降の日本人は、薄いガス室の中で生きているようなものだ“といった人がいたが、おそらくその通りであろう。 私は引っ越しを機に、64年以前の生活に戻ろう、と箒にチリトリ、文机に座椅子の生活に変えた。小津安二郎の『お茶漬けの味』の佐分利信がちゃぶ台に座布団でお茶漬けを食べる姿に、やつぱりこれだよ、と思ったものだが、一年で膝、腰が痛くてギブアップ。貫禄が背広を着ているような佐分利信も、考えてみたら、今の私より大分年下なのであった。