寒山拾得展を考えていて、何故か道を踏み外したかのように『虎渓三笑図』を始めてしまった。“晋の慧遠 (えおん) 法師は、廬山に隠棲して二度と虎渓の石橋を越えまいと誓ったが、訪ねてきた陶淵明 、陸修静を送って行きながら話に夢中になって不覚にも石橋を渡ってしまい、笑い、別れた。”三人の画が浮かび面白く思い、つい手を出してしまったが、面白いといえば、子供の頃読んだ『一休禅師』の”目出度くもあり目出度くもなし“正月の京の町を竹竿にしやれこうべを掲げて歩く姿が浮かんだ。しかし一休は少々唐突である。一休があるなら臨済宗の祖、臨済義玄があってもおかしくないだろう。一休の唐突感も減じるに違いない。 こう書いてみると、40年前に架空のジヤズ、プルーシリーズで個展デビューして以来の行き当たりばったりな私の心の動きそのものである。 つまり突然降ってきたイメージに抗しきれず作ってしまう。しかし子供じゃあるまいし、と一応抗しきれない自分を恥じる、その作った物の唐突感が目立たないよう、別の物を作って補う。そうこうして40年経ってみたら、頭にガマガエルを乗せた仙人を作っている、という始末である。