明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



端午の節句といえばだが鍾馗様だが、今回、達磨大師と鍾馗は似たような顔して、また、あまりにポピュラーで作りたくない。同じ怖い顔なら臨済義玄にしてみた。ただあまり臨済宗だなんだは、流れ上そうなったが、完成したとしても、ごく端の方にひっそりと展示したい。大きな意味で言えば、この人がいたから、寒山拾得その他、此れ等のモチーフに辿り着いた、といえる訳であるが、会場で知りもしない禅について質問されても困る。 それでも作っているのは,昔から人間も草木と同じ自然物であるから、草木程度のことは、元々そなわっているので、へそ下三寸辺りから聞こえる声に耳を傾けていれば良い、と考えていたので、今回のモチーフは座禅などしなくとも私には可能だと信じ込んでいる訳である。 失敗するとしたら、下手に頭で考えた時であろう。それは私の過去の経験が示している。そのためにただ金魚を眺めるという策を考えたが、これは功を奏した。結果水槽内は金魚だらけとなったし、ベランダに出向となった金魚もいるけれども。

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