つい横道にそれて作ってしまったみたいに臨済義玄は、展示の際には端の方に、なんていってたバチが当たったか、以来日中から薬を盛られたかのように眠くてしょうがない。 臨済宗の開祖となれば、寒山拾得こそ脇に回るべきでかもしれない。 凄まじい喝!の形相を描いた曽我蛇骨(じゃこつ)の画は、一休宗純が賛を書いており、一休は蛇骨から画を学び、蛇骨は一休から禅を学んだ間柄である。蛇骨の義玄像は見てきたように描いているが、本人を知らないという意味では私と同じ条件である。こうなるといつも無条件に参考にするのは引っかかるので、一日かけて調べた。 元来資料などない時代から模写され続けた鼻毛、耳毛まで描かれた温和な表情の義玄像が日本では室町時代に模写されているが、中国北宋末、南宋初の禅僧が、伝統に乗っとった義玄像を描いている画工に命じて、あの形相の義玄像を描かせたのが起源だと判った。 これで納得した。ここまで古いと、現代、末席に座す私にとって事実だ、といってしまって良いだろう。喝!と言い始めか言い終わりか判然としない口をさらに開け、喝の瞬間にし、側頭部に血管を浮き出させた。これはジャズ時代から緊迫感を出すために用いてきたが、今回は首筋にも浮き出させるつもりである。 禅宗には“不立文字、”という言葉があり、その分、禅画の類が発達し残されて来た。そういう意味では、臨済義玄像は、すでに何某か私に対して効果を与えているといって間違いない。
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