蝦蟇蛙を作ったとなれば、豊干禅師の乗る虎をどうするか考えないとならない。数年前、猫を撮影し、虎を見たことがなかった絵師の描いた虎の味を出そうと考えたが、マタタビの助けを借りても思ったような様子を撮るのは至難の技である。特に寒山と拾得と豊干と虎が仲良く寝る『四睡図』などは、動物園でぐうたらしている虎を撮った方が良いかもしれない。 そろそろ寒山と拾得の頭部に取りかかかりたい。多くの寒山と拾得のように、ただ無邪気な唐子調ではなく、謎の笑みが不可欠であろう。笑っていて笑っていない。目出度くもあり目出度くもなし。あれに私は、引き込まれたのだろう。一つ決めたら、すべてそうあらねばならぬという、案外融通のきかない所のある私であるが、今取り組んでいるモチーフは、それではおそらく上手く行かない。 寒山拾得展を予定しているのに、突然脱線し関係のない『虎渓三笑図』に走った。これがおそらく功を奏した。あれで先ず、私の”寒山拾得でなければならぬ“が壊れたからである。欲動のまま作るに限る。