図工の時間に風景の写生となると嫌でしょうがなかった私は、人間が出て来ない風景画というと洋画では村山槐多の一連の木炭デッサン、松本俊介の橋の風景、岡鹿之助の発電所くらいしか頭に浮かばない、日本画では川瀬巴水の版画は好きだが、その程度であり、写真作品となるとさらに浮かばない。大っ嫌いといえばアンセル・アダムスで、窓を開けてあんな風景だったらウンザリである。 そんな私が中国の山水風景を作ることになるとは思わなかったが、18の頃、カメラマン志望の友人と喧嘩しては「あの山はお前が雄大にした訳じゃないだろ!」と罵ったバチが今頃当たった。何年経とうとバチは確実に当たる物のようで、先日もカエルの肛門に2B弾突っ込んで爆死させたりしたバチが当たって作ることになったばかりである。しかも作り直して2匹も。都会の子供はストレスが溜まっていたのか、田舎の子より非道を働いたとい気がする。 しかし頭の中に浮かんでいる風景はすでに都合よく形作られているからあんな風景はもはや作るしかない。しかし私の場合、不思議と苦手だ嫌いだ、と言っていた写真、パソコンなど、そんな物ばかりが大事な手段と変じてきたし、雪舟が中国に渡り、おそらく「ホントにこうなってたんだ?!」と思ったであろう風景を作ってみたい。