背景用の材料が届かない、と思ったら初めてのショップで、先払いとなっていた。 小川の流れなどはまだ策が思い付かないが、滝は墨汁を使い、反転して瀑布としたい。行燈の蝋燭の火、幽霊の人魂は墨汁の筆描きであった。墨汁というのは黒地に白絵の具より白地に百円ショップの墨汁の方が安上がりだ、というだけの理由である。それを撮影して反転する。陰影がないということは、それぞれのオブジェが影響をし合わないので、パズルのように配していけば良いはずである。 鯉に乗った琴高仙人は、空中高くジャンプさせようと思っていたが、それよりも、半分水中に没した様子の方がやり甲斐があり面白そうである。どうせ水飛沫は墨汁でやるぐらいしか策が浮かばない。これで高いハードルであった水も何とかなるかもしれない。 『虎渓三笑図』は手前から奥に、左から右へ慧遠 (えおん)、陸修静、陶淵明に。初めから複数人を想定して作ったことは案外ない。陶淵明も勝手に作りたかったが、小四に上がる時に、私があまりにも伝記の類いを読み続けているので、転校される先生に内緒で世界偉人伝をいただき、その記憶があった。もっとも李白と区別付かず。中国では詩人や武人は目と眉が吊り上がっている。先生にいただいたあの本をいつかは見つけ出したい。