昨日のブログで写真について〝私のマコトだけ写っていれば良く、後は全て嘘っぱちで良いのである。いやそれが良いのだ。”と書いた。先日は、私が何を作るのか、にしか興味がない、とも。最近ガマの油のせいか筆が滑り気味である。私が小学生なら、人様の前で、そういうことを言うんじゃない!と母にこっぴどく叱られたことであろう。 窓から手を伸ばせばお隣の家を触ってしまうような下町で、チック症になる程うるさく言われ続けたのも、私の行く末を憂いてのことだったのは、今は理解出来る、おかげで空気も読めるし、人間関係での失敗も、数える程しかない。それを思うと、先日書いた、患者が作ったんじゃないか?という恐ろしく奇妙、ビザールなギターを作った精神科の医師で高校の親友は、会話の中に入って来ると空気が読めず白けてしまうので、シラケの◯◯と呼ばれていた。しかしそんな所が功を奏したのか、今では患者の自殺率の低さを誇っている、というから、人間適材適所、使い様である。彼の一台目のギターのボディには、カタシロ、つまり人形が封じ込められている、といっていた。詳細を聞く気にはならず。かくいう私は本日、頭に巨大な三本足のカエルを乗せた人物に色を塗っているという有様である。