雪舟作の国宝『慧可断臂図』は明の画僧が描いたオリジナルが有るのが判ったが、その作品は洞穴の達磨大師に慧可が弟子入り志願しているだけで、手は着いていて、これでは腕を切り落として覚悟を示す、という意味となった『慧可断臂』ではない。断臂は雪舟の加えたアイデアなのだろか? ネット上で子供時代の遊び習慣についてさまざまな情報が交換され、懐かしく見てるが、参加するには躊躇してしまう。ガキ大将はクリーニング屋の倅で、後で知ったが小学校ではチビの虐められっ子だったそうで、その反作用か、近所ではなかなかリーダーシップを発揮した。副リーダーは一つ下のペンキ屋の倅で何をやっても器用でアイデアマン。リーダーより背が高く、常に「背の順で決めようぜ。」といっては却下されていた。しかし夢中になった数々の遊びだが、ペンキ屋の倅の創作、または改造が加えられていた、という疑念が拭えず。たかが何丁目何番地周辺のことを、これが東京の下町の遊びや習慣でした、などとは、うかつにいえないのである。雪舟とペンキ屋の倅と一緒にしてはいけないけれど。