明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『慧可断臂図』は達磨大師が洞窟内で壁に向かって座禅を組んでいるところに慧可が教えを乞う。その覚悟を己の腕を切り落とし示す。後に弟子入りを許され、それにより禅が中国に伝わることになる。 積雪の日に、洞窟の外にいる慧可に陰影がないのは当然として、洞窟内の達磨に松明だか油灯の灯りが当たり、陰影深い達磨と慧可とのコントラストもドラマチックだ、と一瞬考えたが、達磨大師は面壁座禅を九年の後、手足が腐り落ち、例の姿になる。そんな大師が、洞窟内が暗いから、と火を灯すか?と却下。洞窟奥にいる分、暗くするだけにした。 撮影前に、未だ脚本に手を加えているが、人形手持ちの私の大リーグボール1号は、三脚など一切使わず、街を歩きながら手ブレもかまわず、歩行者も画面に入れてしまえ、と撮り歩いたが、3号になり、脚本通りキッチリとアドリブは許さず、という手法に至った。いってみれば深作欣二から小津安二郎くらいの変化だ。変わるなら生きてるうちである。



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巨匠というのはどこまで行っても巨匠だろうが、明治ごろの風景画の巨匠には、人物画になると、私が言うのもなんだが、別人のようにショボくなる画家を散見する。以前、寒山拾得が表紙の墨絵の描き方みたいな本を入手した。著者はシリーズで沢山出しており、東京美術学校現芸大卒で、何人もの巨匠に師事、某大学教授を30年勤め、総理大臣賞、文化功労賞、勲章までもらっている。ところがその表紙の拾得のホウキを待つ手が、反対向きにひっくり返って描かれている。右手をひっくり返して左手につけている。こんな絵は小学校低学年の私でも描かなかった。まったく〝ボーッと生きてんじゃねぇ”と言う話である。編集者も編集者で、ご丁寧に本文にも載せている。仮に気付いたとして、「先生左手がさかさまです。」言いたくない気持ちもわかる?玉堂も何を教えたのだろう? 博物館に行くと、親から子へ、師匠から弟子へと伝わり、良くなって行くはずが、必ずしもそうでもなく、むしろ今では制作法も判らず、なんてこともあり、独学我流でも構わないや、と思ったものである。あのようなボンヤリしたのが歴史の間に挟まり、スムーズな発展を阻害して来たのであろう。うかつに信じてはいけないのは何もSNSやネットの世界だけではなく、手取り足取り、口伝えのアナログだろうと同じ事である。



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